いずみあり! - いずみあり! 第一章

いずみあり! 第一章



 それは七月も半ばをすぎた、蒸し暑い夜のことだった。
「おい、少年」
 自室でテスト勉強をしていた泉宗太郎は、突然聞こえたその声に思わず顔をあげた。
右手にペン、左手に食べかけのアイスキャンディーを持ったまま、宗太郎は固まってしまった。それもそのはず、今この部屋には宗太郎以外に誰もいないはずなのである。それなのに今、声をかけられた。それも聞いたことのない男の声だ。
 気付かないうちに誰か侵入したのだろうか。まさか泥棒か。
 警戒しつつ、宗太郎はゆっくりと背後を振り返った。そこには、敷きっぱなしの布団の上に読みかけの漫画が散らかっているいつもの光景があった。当然、人はいない。
 気のせいだったか。そう思い、ほっと力が抜けるのを感じたとき
「おい、そこの少年」
 再び声がした。今度はさっと声の方を振り向く。開け放した窓。その側に、部屋の中に人がいた。いや、人ではない。「何か」がそこにいた。
「で、出た」
 かすれた声でそう言うと、相手は顔をしかめたように見えた。
「なんだ、わしを化け物みたいに言いおって」
「え、違うの?」
「違うわ」
 そう言った「何か」は、ぼんやりと、そして薄く背後が透けていながらも人の姿かたちをしていた。
 だがその様子は尋常ではない。所々が破れた鎧を身に纏い、腰には太刀を帯びている。そして顔を覆うように乱れた髪から覗く、獣のようにぎらりと光る目。濃く太い眉、髭を蓄えた彫の深い顔立ち、薄汚れた肌。その姿はまるで……
「お、落武者の幽霊」
「違うと言っておろうが!」
 宗太郎がそう思ったのも無理はない。その姿はまるで、今しがた戦場から逃れてきた落武者そのものである。
「それじゃあ、どちらさまですか?」
「ほう。おぬし、あまり驚かぬのだな」
 平然と受け答えをする少年を睨み付けながら、落武者風の男は意外そうな顔をした。確かに十六歳という年齢にしては宗太郎は落ち着いて見える。だが肝が据わっているというわけではない。元々あまり大げさに感情を表さない性格なのである。内心はかなり怯えている。
「まあ、よい」
 ひとしきり睨み付けたあと男は続けた。
「これをきけば驚くであろう。実はわしは、神である」
「紙?」
「神だ!発音で分かるだろうが!」
 男は太い眉を吊り上げて怒鳴った。その大きな声に
「す、すみません!」
 宗太郎は思わず首をすくめる。ものすごい迫力である。
「それじゃあ、その、神様……ってことですか?」
「いかにも」
 男が大仰にうなずく。
「どうしてまた神様なんかが俺……あ、いえ、僕の部屋に?お告げでもあるんですか?」
 散らかった部屋を見回しながら、宗太郎は言った。
「うむ。なかなか物分りがよいな。そのとおり。わしはおぬしに警告しに来たのだ。心してきけよ」
「は、はい」
 宗太郎が律儀に居住まいを正すのを見届け、一つ咳払いをしてから、男は続けた。
「おぬしが住むこの家には、古くから伝わる石の祠があるはずだ。その祠はおぬしの先祖が代々守ってきたはずだが、なぜか今はどこにも見当たらない。このままではこの家には安寧なく、やがて次々と不幸が訪れるであろう。直ちにその祠を整え、シュークリームを供えよ」
 畏まってお告げを聴いていた宗太郎だが、最後にがくりと体勢をくずした。
「シュークリーム、ですか。お供え物に」
「そうだ」
「かわってますね。ですが神様、この家にはそんな祠なんて無いはずです」
「なに」
「たしかに家は古びていますが、ここは引っ越してきた家なんです。先祖代々の土地でもありませんし、祠なんて見たこともありません」
「なんと」
「もしかして、人違いではないですか。出る所を間違ったんじゃあ」
「……」
「ていうか、あなた本当に神様なんですか」
「この……たわけがあ!」
 まるで雷が落ちたかのような声が部屋を震わせた。その一喝で、部屋の空気が一瞬にして変わる。ぴりぴりと肌を刺すような、ただならぬ気が満ちている。あまりの気迫に、宗太郎は金縛りにあったかのように体を動かすことができなかった。
「たかが人間の小僧風情が! 浅はかな問答でこの私を謀ろうとは、身の程を知らぬにも限度がある!」
 息が苦しくなるほどに男の怒気が伝わってくる。この緊迫感、この力。もしかして本当に神様なのではないか。それまで半信半疑だった宗太郎は慄いた。神の逆鱗に触れてしまったのではないか、と。
「いいか小僧、よくきけよ!きさまの先祖は私を神として!この土地を守る偉大な神として、だな、その……」
 その時。ふっ、と緊迫した気配が解けた。先ほどの勢いが嘘のように、突然男はよろよろと膝をついた。見れば顔色は青白く、ぎらついていた目にも今は生気がない。今にも突っ伏してしまいそうな様子だ。体が動くのを感じた宗太郎は素早く男の傍に駆け寄り体を支えた。
「神様、どうしたんですか?」
「うむむ……。近頃誰からも忘れ去られ力が衰えていたところに、今ので限界が」
「急に大声出すから。今救急車を、いや、違うな。神様だったら誰を呼べば」
「少年よ、すまぬが、シュークリームを持ってきては、くれまいか」
 息も絶え絶えに男は言う。
「神様。いま家にはシュークリームはありません。何か他のものでは」
「いや、あるはずだ。冷蔵庫の最上段の奥に、紙袋に入った特大の……シュークリー……」
 言い終わらぬうちに、男は事切れた。
「か、神様!こんなところで死なないでくださいよ、縁起悪い!」
 宗太郎は辺りを見回す。何かこの状況を打破するものは、と考えたが、何もなかった。とりあえず
「おーい、姉ちゃん!姉ちゃんって!ちょっと大変だから手伝ってくれ!」



 「と、まあこんなことがあったんだよ」
 一通り話し終えると、宗太郎は麦茶を飲みほした。
 泉家の居間。宗太郎と座卓を挟んで向かい合っているのは四つ年上の姉、泉ゆりである。パジャマ姿の姉は不機嫌そうに頬杖をつき、弟の話を聴いていた。
 向かい合う弟の隣には、学校帰りに買ってきたシュークリームの包み紙が置いてある。勉強の合間の楽しみに、と取っておいたそれが、何故か今、見知らぬ男に食べられている。それもただの男ではない。
 目の前に胡坐をかいたその男は、身に付けているのか貼り付けているのか分からないような、ぼろぼろの鎧姿の薄汚い中年男で、おまけに刀まで持っている。訳の分からない格好だが、真に驚くべきはそこではなかった。その男、よく見ると半透明で背後がうっすらと透けて見える。明らかに人間ではない。その人間でないものがシュークリームを食べているのだ。
 その姿に初めは困惑していたゆりだったが、時がたつにつれだんだんと苛立ってきた。その怒りの矛先は……。
「それで、この人が神様だってのはおいといて、なんで私の大事なおやつをあげなきゃなんないのよ」
「そこはおいとくのかよ。いや、まあいいか。どうもシュークリーム食べないと死んじゃう、みたいなこと言ってたから。まあ、人助けしたと思ってよ。あ、神か」
「だからそこはどうでもいいって言ってんの!」
「ごめんって。明日同じやつ買ってくるから」
「ふう、生き返った」
 宗太郎が取り繕うのを気にもとめず、包み紙まで舐め回した男は満足げに麦茶を飲みほした。髭にクリームがついている。
 ゆりが男を睨みつける。
「ちょっとあなた、どこのどなたか存じませんが」
「わしは神だ。なかなか美味いシュークリームだった。そこの娘よ、もう一つあればここに持って来い。そうすれば……」
 次の瞬間、弛緩していた空気が再び緊張したのが宗太郎にはわかった。だが、先ほどとは少し違う。男の獣のようにぎらついていた目が揺らいで見える。まるで何かを警戒しているように。そしてその視線の先には、姉がいた。
「なに?聞こえなかったわね。もう一回言ってごらんなさい」
 低い、静かな声だった。
 ゆりの目に射すくめられた男。しばしの沈黙。
「もう一回言ってみろって……」
 まずい、と宗太郎が思ったときには遅かった。
「言ってんでしょうが!」
 ばんっ、という大きな音とともに、空のグラスが二人の前で飛び跳ねる。
 咄嗟に押さえようと身を乗り出した宗太郎は、せりあがってきた座卓に押されそのまま後ろへひっくり返った。男は顔をかばうように両腕を前に突き出した格好で、背後の障子を突き破り転がっていった。勢いよく立ち上がったゆりは男を睨み付ける。
「神様だかなんだか知らないけど、人様の家で飲み食いして何よその態度は!礼の一つもないどころか、もう一つ持って来いだあ?ふざけんな!何様よ!」
「だから姉ちゃん神様」
「あんたは黙ってなさい!たとえ神様だからって何をしてもいいわけないでしょう!ていうかこんな薄汚いおっさんが神様なわけないじゃない。どう見たってただの落武者でしょう。あんたも素直に信じてないで、少しは疑いなさいよ!」
 怒りの矛先が突然自分に向いて宗太郎は思わず身をすくめた。こうなると姉はなかなか止められない。その時、男の声がした。
「なんと、罰当たりな娘だ」
 男の声がした。が、その姿はすぐには見当たらなかった。どうやら背後の障子を突き破った勢いでそのまま隣の土間に転がり落ちたようだ。ついでに調理台にも突っ込んだらしく、土間には鍋やフライパンなどが散乱していた。調理器具を押しのけ姿を現した男の頭の上には笊が乗っていた。
 ゆりはそこにずいずいと歩み寄って土間に片足を着くと、男の襟をつかんで持ち上げた。うっ、と呻きがした。
「罰当たりはどっちよ!あんた、泣く泣く夜食の楽しみを譲った私に対しても、私に怒られるのを承知でそれを用意した弟に対しても、失礼だとは思わないの?あんたが本当に神様だとしたら、世も末ってもんよ!私はそんな神なんて敬いもしないし畏れもしない。そんな価値ないわ!」
「姉ちゃん、落ちけって」
 まくしたてるゆりの肩を、宗太郎が後ろから押さえる。
「なによ。あんたは何とも思わないの?こんなしょうもないヤツに」
「姉ちゃん!」
 弟の大きな声に、姉は動きを止めた。
「いったん落ちつこうぜ。な。」
 その優しい声に諭されるようにゆりはしばらく黙っていたが、やがてしぶしぶといった様子で男から手を放した。どさっと鈍い音がした。
「ぐむむ」
 呻く男はひとまずそのままにして、宗太郎は姉をもといた場所に座らせる。感情が収まり切っていないのか、ゆりはわずかに肩を上下させている。
 宗太郎は何も言わずテーブルを起こし、散乱したグラスを拾い始めた。そんな弟の姿を見て少し落ち着いたのか
「ごめん、なんかむかついたから」
 ふてくされたようにゆりは言った。
「この人にもさ、何かわけがあるんだろうし、追い出す前に話をきいてみようぜ」
 そう言って宗太郎は、土間にひっくり返ったままの男を立ち上がらせようと近づいた。しかし、
「無用」
 男は宗太郎の手を拒むと自ら起き上がった。ぶつけたのだろうか、肘をさすりながらゆっくりと居間にあがってくる。ゆりがわずかに腰を浮かすのをそっと制しながら、宗太郎が男に座るように促した。
「うおっほん」
 静かに元の場所に胡坐をかいた男は、大仰に咳払いをした後、ちらりと二人を見やる。
宗太郎とゆり、それぞれと視線を交わしたあと、男はそっと目を閉じた。
 そこで二人は不思議な光景を目にした。
 なんとなく、である。なんとなくだが、男の姿が光って見えるのだ。目を閉じてしまうほどの眩い光ではなく、ほんのりと、東の空が白んでくるような、柔らかい光だ。同時に、それまでうっすらと透けていた男の体が、徐々にはっきりと見えるようになっていった。
 男は目を開いた。瞬きとさして変わらない程の時間だったのに、不思議なほど男の雰囲気が変わっていることに姉弟は気付いた。その目には獣のような荒々しさはどこにもなく、むしろ落ち着き払った人間の目のようだった。
 男が言った。
「姉上殿の言う通り、わしとしたことが礼を欠いてしまったようだ」
 落ち着いた声だった。男は胡坐をかいたまま後に腰を引くと
「いくら腹が減っていたとはいえ、我ながら見苦しい限り。まずはこの通りだ」
 男は両手を床について深々と頭を下げた。
「施しを受けたのにも関わらず、横柄な態度をとってしまったこと、許していただきたい」
「え?いやいや、なにもそこまで」
 大の男が目の前で土下座をしている姿にうろたえる宗太郎だったが
「ふん、当然よ」
 ゆりは怒りが収まり切っていないようである。
「そして、貴重なシュークリームを分け与えていただいたこと、感謝いたす。ありがとう」
 ゆりの目をしっかりと見据えた後、男は再び頭を下げた。さっきまでとはずいぶん態度が変わっているが、今のほうがしっくりくると宗太郎は思った。偉そうにしていながらも、目の前の男がどこか必死になっているようにも見えたからだ。本人が言うように空腹で気が立っていただけなのかもしれない。
 男の真摯な態度に、ゆりもへの字に結んだ唇をいくらか緩めて、居住まいを正した。
「分かりました。許しましょう。私たちも少し怒りすぎたわ。顔をあげてください」
 私たち、という言葉にひっかかりを覚えたが、とりあえずは事態が収まったことに宗太郎はほっと息をついた。
「それで、落武者さん。あなたはいったい何者なの?神様だとか言っていたけど」
「わしの名は路乃在々。ついでに言えば落武者ではない。お二方は」
「泉宗太郎です」
「姉のゆりです。ぷっ」
 ゆりの肩が震えている。
「みちのありあり、さん、ね。変な名前」
「姉ちゃん!」
 弟が姉をたしなめる。
「宗太郎殿に、ゆり殿か。わしは見ての通り、人ではない。だが幽霊でもない。今となっては俄かには信じてもらえぬもしれぬが、わしは……」
「どこからどう見ても落武者の幽霊なんだけど」
「姉ちゃん、神様になんてこと言うんだよ」
 弟の言葉に、ゆりはあきれたように首を振った。
「いやいや。あんたねえ、もう少し疑うってことを覚えなさいよ。そんな風に他人の話をほいほい信じてたら、社会じゃやっていけないわよ」
「自分だって学生のくせに」
「うるさい。そんなことはどうでもいいの。で、続きをきかせてくれるかしら、えーっと」
 男、路野在々は姉弟のやりとりに苦笑しつつうなずいた。
「わしのことは在々とでも呼んでくれ」
 そう言った路乃在々は、やがて思いをめぐらすように宙を見つめた。
「遠い昔のことだ。もうわしの事を知る者もいないのであろうな。今ではこのような姿をしておるが、わしはかつて、この土地の守り神だったのだ」



「わしはかつて、このあたり一帯の守り神として人々に崇められていた。とはいえ、雨を呼んだり戦に勝たせたり、そんなことが出来るようなたいそうな神ではなかったがな。ただ、わしには災厄を払うことができた。この腰の太刀を振るえば、あらゆる厄介ごとを斬ることができた。
 村人を困らせる獣ども。夜ごと家々を荒らして回る賊。どこかの戦場から流れてきた怨霊。人を騙す竜を斬ったこともあったかな。とにかく、この土地に住む人間たちが安らかに暮らせるよう、あらゆるものを斬り払い、守ってきた。人々は私に願い、わしはそれを叶えてやる。叶えてやれば、人々はさらに信心を厚くする。信心が厚くなれば、わしの力も強くなる。そうやってわしは神としてこの土地に在ったのだ」
「へえ、意外としっかり神様やってたのね」
 素直に驚いた表情でゆりが言った。
「だから姉ちゃん、さっきから失礼だろ。でも、本当に神様だったんだね」
「なに?やっぱりあんたも疑ってたんじゃない」
「いや、そういう訳じゃないけど」
「お姉ちゃんは安心したわ」
「いや、だから」
「よいのだぞ、宗太郎殿」
 姉弟のやりとりを在々は穏やかな表情で見つめている。
「疑うのは悪いことではない。むしろ、人にとっては必要なことだ」
「どうして?」
「人は疑わなければ、己が死ぬこともある」
 宗太郎は少し視線を宙に漂わせたあと、首をかしげた。
「よくわからないや」
「そうだな。まあ、この話は置いておこう」
 在々は話を続けた。
「わしの寝床は小高い山の上にあってな。田畑で働く人々の姿、村落の屋根、行き交う旅人。そして遠くには海も見える、見晴らしの良いところだ。そこに小さな祠があって、人々は代わる代わるわしの元を訪れた。村の長が深刻な顔で手を合わせることもあれば、喧嘩をした子供が仲直りの願をかけに来ることもあった。どんな些細なことにでもわしは耳を傾けたし、力及ばぬことにも精一杯に応えた。
 わしはこの土地が好きで、そこに生きる人々が好きだったからな。だから、守りたかった。自分に出来ることがあるなら、この太刀を振るうことで人々が平和に過ごせるのなら、と思ってやってきたのだよ。人々もわしを信じ、頼りにし、慕ってくれていた」
 木漏れ日がちらつく石造の祠。苔むした屋根にとまる小鳥。木の葉を踏む音。蝉の声。手を合わせる人。駆け回る子供たち。
 宗太郎の頭の中にはそんな風景が浮かび上がっていた。穏やかで、懐かしい風景。不思議な空気が部屋を満たした。ゆりも何かを感じているのだろう、目を閉じて話に耳を傾けている。
「しかしな。それも長くは続かなかった」
 二人はそっと目をひらく。
「時が経つとともに世の中も変わっていった。国が平定され戦はなくなった。そうして暮らし向きが良くなったのもあるのだろう。人々は作物を育て、物をつくり、それらを商うことに精を出した。小さかった村はやがて町となり、栄えていった。
 そして、いつしかわしのもとを訪れる者はいなくなっていた」
「そんな」
「そんなことってないわ。だってあなたは」
「おっと、勘違いしてもらっては困るぞ。それはわしにとってはとても喜ばしいことだったのだ。彼らは自分たちの力で、確かな暮らしを得るようになっていった。里が発展し、そこに住む者たちが安らかに、幸せに暮らせるのなら、守り神としてこんなに嬉しいことはない。わしを必要としなくなるのならそれでよい。役目を終えたわしは、そのまま静かに消えてしまおうと思っていた」
 そこまで言って、そろって身を乗り出す姉弟に気付いた在々は、ふと笑みをこぼす。
「いやはや、ここまで聞き入ってもらえるとは思いもよらなかった。宗太郎殿にゆり殿。お二人は優しいのだな」
 その言葉に
「おっほん」
 ゆりが小さく咳払いを返す。
「別に聞き入ってるわけじゃないわ。戦だとか賊だとか、想像もできないくらい昔の話だから珍しく思っているだけ。それに、あなたの話を全部信じているわけじゃないし」
「なんでそこで意地を張るんだよ」
「意地なんて張ってないわよ」
「まあまあ」
 すかさず間に入った在々が、二人に両の掌を見せるようにしながら
「二人とも、その辺にしておこうではないか。わしもこうやって人と話すのは久しぶりなのでな。聞いてくれているというだけでつい嬉しくなってしまった。まあ、あまり深く考えず何の気なしに聞いてくれ」
 そう言って姉弟を落ち着かせた。
「わかった。続けてくれる?」
 ゆりの言葉に小さく頷いた在々は、再び語り始めた。
「誰も訪れなくなった祠で、わしはひっそりと時を過ごした。日がな一日、活気あふれる町を眺めながら、自分が消えてゆくのをただ待っていた。
 だがそんなある日、どれくらいぶりだろうか、人がやってきたのだ。若い男だ。そやつはわしの祠の前にたどり着くなり
『やっとお会いできました』
 そう言って握り飯を供えたかと思うと、祠の前に膝をつき祈るように語り始めた。話を聞くにはその男、どうやら里の百姓の息子で、なにやら問題を抱えておるようだった。自分の力ではどうにもならず、方々の神仏を頼んでみたものの一向に良くなる気配もない。困り果てていたところに、幼いころ祖父の口からきいたわしのことを思い出し、わずかな記憶を頼りに祠にたどり着いたようだった。
 久々の握り飯に気を良くしたわしは、最後の一仕事と思い、男に力を貸してやることにした。だが、それはなかなか厄介な問題でな。長い間怠けていたせいか、大した力も残っておらず苦労した。それでも出来る限りのことをして、結果その願いを叶えてやることができた。
 そして、そこでわしの力は尽きた」
「それで、そんな落武者みたいな姿になったの?」
 宗太郎が尋ねる。
「いや、それはまだ先だ。それに落武者ではないが、鎧を着ておるのは昔からだ。今は力を失ってこんな姿だがな」
 在々は苦笑しつつ続けた。
「力を使い切ったわしは今度こそ消えてしまうはずだったのだが、そうはならなかった。
 それはその男の仕業でな。わしが消えてしまうのを悟った男は、すぐさま人を遣ってわしの祠を解体し、自分の屋敷へと運んだのだ。そして敷地に祠を建て直すと
『あなた様への御恩は子々孫々、忘れるわけにはいきません。どうか、この屋敷でお祀りさせてください』
 そう言って篤く信仰したのだ。そうなればわしも消えるわけにはゆかぬ。必要とされるのであれば応えてやろう。その日からわしは、その家の守り神となった。かつて人々にそうしていたように、その家にまつわるあらゆる災いを斬ってやった。家はしだいに繁栄し、富を築いていった」
「へえ。いい話ね」
 ゆりが言った。
「でも、めでたしめでたし、ってわけじゃないのよね」
「どうだろうな」
 在々は苦笑する。
「山の上にいた頃と同じだ。時が経てば世は変わり、人の心も変わってゆく。
 いつしか、その家の子孫にわしのことは受け継がれなくなった。まあ、形ばかりの信仰はあったがな。何度か屋敷を建て直すうちにわしは敷地の隅に追いやられ、ただそこに居るだけで、わしの元を訪れる者はいなくなってしまった」
「また? 昔の人ってみんなそんなにいい加減だったの?」
「いや、いい加減なわけではないのだ。人の時は短いのだよ宗太郎殿。時が経てば心もかわってゆく。それだけのことだ」
「そういうもの?」
「そういうものだ。そのうちわしは、屋敷を出ようと思うようになった。いや、家の者と縁を切りたかった訳ではないぞ。屋敷でじっとしている毎日にうんざりしてしまったのでな。ただ暇つぶしに少し外を見てまわろうと思ったのだよ。そしてある日、わしは屋敷を離れ、気の向くままに歩いて行った」
「旅に出たのね」
「そういうことだ。それも人の姿に化けてな。不慣れな旅は苦労もしたが、なかなか新鮮でおもしろかった」
「へえ。神様が旅をするなんて不思議だな」
 楽しそうに宗太郎が笑う。
「実はそう珍しいことでもない。日本にはいろんな神がいるからな。旅をする事などよくある話だ。まあ、それはさておき。旅を続けるうちに、わしはいつの間にかえらく遠い土地まで来ていたことに気付いた。もう十分に旅を堪能したことだし、そろそろ帰ろうかと思ったその時、異変が起きた。体が動かなくなってしまったのだよ。どうにもこうにも力が出ない。進もうにも戻ろうにも、その場から離れなくなってしまった。四苦八苦するうちに、わしはそのまま意識を失ってしまった」
「意識を……」
「それからどれくらい時が経ったのかは分からないが、目が覚めるとわしは見知らぬ土地におった。やつれ果てたぼろぼろの姿でな。初めは状況が分からず困惑したが、やがて旅の途中で伏してしまったことを思い出し、すぐに祠へ帰ろうと思った。わしは守り神だ。あの家の者達がわしを待っているかもしれない。
 だが、どうやらわしは力をすっかり失ってしまったようだ。思うように動くことすらままならず、戻ろうとしていたはずが、ふと気が付くと別の場所にいる。ふらふらと彷徨い、また意識を失い、また目覚める。それを幾度となく繰り返し、やっとのことでこの町にたどり着いた。
 もう少しで戻れる。早くあの家に帰らなくては。……そしてようやく屋敷に辿り着いた」
「よかった。帰れたんだ」
「その時わしは、気ばかり焦っていて気付いておらんかった。あれからもう、何十年もの時が経っていたことにな」
「…………」
「かつて屋敷があったその場所には、見たこともない大きな建物が建っておった。
 わしは自らを恥じた。自分はなんという愚か者なのだ、と。のんきに旅などにうつつをぬかしておるうちに、守るべき者を、帰る場所を、失ってしまったのだからな」
 在々は小さく息を吐くと、奥歯を噛みしめるようにして言った。
「何とも情けない最後だが、頼られる者もいない今、もはやわしがいる意味はない。もう大した力も残っておらぬ。わしはそのまま消えてしまおうと思った。
 だがその時、わずかだが気配を感じた。祠の気配をな」
「祠の?」
「ああ。長い間わしが住処としていたのだ。あの祠には少なからずわしの力が宿っておる。場所はともかく存在していることは分かる。屋敷は取り壊されたとしても、もしかするとどこか別の場所に移されているのかもしれない。ならば、消えてしまう前にせめてあの祠へ戻ろう。祠と共に遂げようと、そう思った。
 意識朦朧としながらあてもなく彷徨ううち、かすかに祠の気配がする家があることに気付いた。この家にあるかもしれない。もはやこれ以上動くこともかなわぬ。ならば最後にあがいてみよう。
 そうしてわしは、その家にいた人の子に声をかけた。それが宗太郎殿、おぬしだったのだ」



 しんと静まり返った居間に衣擦れの音がかすかに響く。ゆりが静かに立ち上がったかと思うと、そのまま何も言わず土間へ降りて行った。
 語り終えたところで息をついた在々は、そのまま小さくしぼんでしまったかのように宗太郎には見えた。おそらく疲れたのだろう。
「神様も大変なんだね」
 なんと言葉をかけていいか分からず、そんなありきたりな事しか言えなかった。
「はは。情けない話だろう。誰からも忘れられ、帰る場所もなく彷徨う。今のわしは、神でもなんでもない。まさに、落武者のようなものだな」
「そんなことは」
「ほんと、情けない話ね」
 土間から聞こえたゆりの声に、さすがの宗太郎も黙ってはいなかった。
「そんな言い方ないだろう。在々さんだって頑張ってきたんだよ。自分を慕ってくれる人たちの為にさ。それなのに」
「大きな声出さないでよ。近所迷惑でしょう」
 盆を手に居間に上がってきたゆりは、二人の前にグラスを置いていった。
「近所迷惑はどっちだよ。自分はあれだけ騒いでおいて……」
 麦茶と共に出されたものを見た宗太郎は、そこで口をつぐんだ。
「ゆり殿、これは」
「姉ちゃん」
「あんたの分はないわよ」
 在々の前に、先ほど食べたものと同じシュークリームが置かれていた。
「最後の一個なの。在々さん、あなたが食べちゃって」
「いやしかし、これはゆり殿の」
「いいから食べなさい」
「…………」
 ゆりの目を見て無言でうなずくと、在々はシュークリームを食べ始めた。神妙な面持ちだが、その目はいくらか輝いて見える。よほど嬉しいのだろう。だが先ほどとは違い、ゆっくりと味わうように食べているようだった。
「私が情けないって言ったのはね、あなのことじゃなくて人のことよ。必要な時はあなたを頼り、そうでなくなれば、はいさようならってことでしょう。いくら年月が経ったからとはいえひどい話よ。自分勝手だわ」
 ゆりは麦茶を一口飲んだ。
「でも、それは多分私たちにとっても言えることなのよね。私たちはご先祖様のことなんて大して知らないし、ましてやそのご先祖様がお世話になっていた人のことなんて知る由もない。あなたの話を聞いてすごくムカついたんだけど、なんか、こう、自分も同じことをしている気がして怒るに怒れないっていうか……」
 歯切れ悪く言葉を切ったゆりに
「確かになあ」
 と宗太郎がうなずく。
「俺たちが小さい頃、じいちゃんがよく散歩に連れて行ってくれたけど、その度に小さな神社にお参りしてたよな。そこにはこんな神様がいて、こんな風に見守ってくれていて……とかよく話していたけど、今じゃあなんの神様なのかも覚えていないし、今の今まで忘れていたくらいだ。
 その神様からすると、俺たちは在々さんに頼っていた家の人たちの子孫とまるで同じだよなあ」
「結局、私たちも自分勝手ってことなのね。なんだか複雑な気分」
 両手に持ったグラスを見つめながらゆりが呟いた。
 正義感が人一倍強く、曲がったことは許せない。それがゆりの性格だと宗太郎は知っている。だから時々、姉はこんな風に悩みだすことがある。
 そんな時はいつも宗太郎は何も言わないことにしている。ゆりをどうにかする言葉を持ち合わせていないからだ。適当なことを言ってもゆりは納得しないし、下手に口をはさめば火の粉が降りかかる可能性もある。
 いつもは――少なくとも宗太郎の前では――傍若無人に振る舞っているが、変なところで生真面目な姉なのだ。
 二人の話を聞いているのかいないのか、静かにシュークリームを食べていた在々は、やがて最後の一片を口に入れた。先ほどまでの陰鬱な表情はどこへやら。幸せそうなその顔に
「本当に好きなんだね」
 宗太郎は思わず頬を緩めた。
「さっきから思ってたけど、落武者がシュークリームを食べてる光景ってなんだかシュールよね」
 ゆりがぽつりと言った。
「ははは。確かに似合わないね。この光景、友達に見せてあげたいよ」
「いいね、それ。写真撮っちゃおうか」
「タイトルは『スイーツと落武者』」
「ふふ。なによそれ」
「和風にして『甘味と落武者』とか」
「茶屋っぽく『甘味処 落武者』なんてのはどう?」
「前後のギャップが凄いね」
「じゃあ『甘味処 武者武者』……あ、ちょっと可愛くなった」
「はは。そんなことより写真には写るのかな」
「あー、おっほん」
 盛り上がる二人を横目に、食事を終えた当の落武者がいささか気まずそうに咳払いをした。
「ごちそうになった。どうもありがとう」
 折り目正しく礼を述べる在々に、ゆりも向き直って答えた。
「おそまつさまでした。少しはお腹が膨れたかしら」
「それはもう。おかげでこの通り、力がみなぎっておる」
 確かに在々の顔色は先ほどよりもよくなっている。体が少し透けて見えることを除けば、もはや生きている人間と変わらない程である。
「今ならどんなものでも斬れるはずだ。なんなら試しに」
 そう言って素早く膝立ちの状態になった在々の右手は、いつの間にか腰の刀を握っている。
「いやいや、危ないから! それは出さなくていいから!」
 今にも刀を抜いてしまいそうな在々を宗太郎が慌てて制止する。
「あ、いやすまん。勢い余ってつい抜いてしまうところだった。申し訳ない。
 とにかく、お二方には本当に感謝している。ありがとう」
 興奮気味の在々にゆりが答える。
「気にしないで。これは私たちからのお詫びだから」
「お詫び?」
 怪訝な顔をする在々。
「あなたをほったらかしにした人たちの代わりに、よ」
「いや、しかしゆり殿。ゆり殿がそこまで気に掛ける必要はないのだぞ。わしはそんなつもりで話したわけでは」
 困り顔の侍に
「いいから」
 と、ゆりが言う。その口調には有無を言わせない圧力があった。一度決めたら譲らない、頑固なところもまたゆりの性格だった。
「そうか。わかった。それでゆり殿の気が済むのなら……」
 そこで改めてゆりに向き直った在々は、すっと背筋を伸ばし、目を閉じた。
「わしの名は路乃在々」
 静かに、しかしはっきりとした声で言った。
「泉ゆり。泉宗太郎。先ほどのシュークリームは、そなたたちからの詫びの印として確かにいただいた。これに免じて、わしはそなたたちを許そう」
 簡潔な言葉だった。そして、優しい響きを持った温かい言葉だった。在々の声はそっとゆりの心の中に入り込み、いささか凝り固まった気持ちを優しくほぐしていった。そんな気がした。
 いつの間にか開いていた目が、ゆりを見つめている。
「これでどうかな、ゆり殿」
「それだけ?」
 ゆりが答える。
「えらく簡単に許してくれるのね」
「いけないか」
「ううん。よくわからないけど、スッキリした」
 ゆりは自分の胸に手を当てる。
「不思議。さっきまでもやもやしていた気持ちが無くなっちゃった」
「先にも言ったが、わしは人々が平穏に暮らしているのならそれでよいのだよ。忘れ去られてしまった事に怒っているわけでもない。だから、ゆり殿の言うお詫びとやらも必要のないことだ。ただ……」
「ただ?」
「その気持ちはとても嬉しい」
 にこりと在々が笑う。
 不思議。そう言ったゆりの言葉に宗太郎は共感していた。在々はただ『許す』と言っただけなのに、姉同様に宗太郎の気持ちも驚くほど軽くなっていた。
「やっぱり、アリさんは神様なんだね。うん。間違いない」
「どうしたの、急に」
「姉ちゃんがそんなにあっさり納得するなんて、アリさんはただ者じゃあないと思うんだ」
「どういうこと、それ。まるで私が頑固オヤジみたいに聞こえるんだけど」
「オヤジではないけど……。あ、いや何でもない!」
「……まあいいわ。それより、そのアリさんって何よ」
「在々さん、って呼ぶと長いだろ。だからアリさん」
「安直ねえ。もっとマシな呼び方あるでしょう」
「おっほん」
 姉弟の会話を遮るように、咳払いをひとつ。
「わしのことは、どのように呼んでもらっても構わない。それより、お二人に頼みがある。
 単刀直入に言おう。わしの祠を探すのを手伝ってはもらえぬか」
 在々は言った。
「あの祠は、言わばわしの体。あれが見つからなければ、わしはこの落武者の状態のままなのだ。
 いや、神の立場に戻りたいと思っている訳ではないぞ。あの家の者にとってもはや必要でないのであれば、わしは潔く消え去るつもりだ」
 「そんな」
「だが、このまま消えてしまうのは不本意だ。せめてあの祠と共に終わりを迎えたい。もちろん、わしの力及ばぬが故は承知しているが、最後の悪あがきをしてみたいのだ。
 これも何かの縁。わしを救ってくれたお二人のその力を、今一度貸してもらえないだろうか」
 頼む。そう言って、在々は頭をさげた。
 しばしの沈黙の後、口を開いたのはゆりだった。
「わかったわ。その祠探し、手伝ってあげる」
 在々は勢いよく顔をあげる。
「ゆり殿、まことか!」
「といっても……」
 そう言ってゆりは呆けた様子の弟に目をやった。
「探すのは宗太郎だから。二人で頑張ってちょうだい」
 驚いたのは宗太郎である。
「えっ、俺だけ?」
「あんたと違って私は忙しいの。大学の期末試験にレポート提出もぎっしり。単位落としちゃったらどうするのよ。それに部活もバイトもあるんだから」
「期末試験なら俺だって……。まあアリさんを手伝うのは良いんだけど、姉ちゃんはノータッチかよ」
「在々さんは元々あんたのところに現れたんでしょう。だったらあんたが最後まで面倒みてあげなさい」
 涼しい顔で言う姉を、宗太郎は信じられない目つきで見つめる。
 昔からそうだった。ゆりは、弟に面倒ごとを押し付ける事になんのためらいもないのだ。
そして、宗太郎はそれを断れないことを知っている。こういった場合、断れば何かと文句をつけ、最後には暴れ出すのがこの姉である。宗太郎にとっては、引き受けることよりもそちらのほうが面倒であった。
「わかったよ。やればいいんだろう」
 あきらめてため息をつく宗太郎。見れば、在々は何故かほっとした表情である。
「宗太郎殿。よろしく頼む」
 宗太郎は思った。この神様、ひょっとして姉ちゃんのことが苦手なのだろうか。
 

 それは七月も半ばを過ぎた、蒸し暑い夜の事。

 こうして、泉姉弟と路乃在々の『祠』探しが始まったのである。

後書き

お読みいただきありがとうございます。今回初めて投稿します、五十鈴 明(いすず あきら)と申します。つたない文章ではありますが、感想などいただけると嬉しく思います。
引き続き書いていく予定ですので、よろしくお願いいたします。

物語は第四章で完結する予定です。

この小説について

タイトル いずみあり! 第一章
初版 2017年1月9日
改訂 2017年1月17日
小説ID 4865
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五十鈴 明の写真
駆け出し
作家名 ★五十鈴 明
作家ID 1067
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