いずみあり! - いずみあり! 第二章

いずみあり! 第二章

一 

 翌日。
 雲ひとつない空の真上あたりで、太陽が猛威を振るっている。地面には陽炎がたち、木という木に留まった蝉たちが一斉に鳴いていた。道行く人はみな汗をぬぐいながら、暑さに顔をゆがめている。そんな道端で
「元気を出すのだ、宗太郎殿」
 そう声をかける落武者の姿があった。学校の帰り道である。とぼとぼと歩いている宗太郎に在々が肩を並べ歩いている。
「ゆり殿によれば、その期末試験というのはそう大事なことでもないのだろう?」
 軽い調子でそう言う在々に
「はあ。姉ちゃんが何を言ったか知らないけどさ。ものすごーく大事なことなんだよ、アリさん」
 宗太郎はため息をついた。
「……ていうか、自分だってテストがあるからって祠探しを俺に押し付けたくせに、アリさんにはそんなこと言ってたのかよ」
 どこまでも身勝手な姉である。
「そうなのか? だがもう終わったことだ。気にしても始まらん。前を向くのだ、宗太郎殿」
「いったい誰のせいだと思ってるんだよ」
 宗太郎は隣にいる落武者を睨み付けた。
 話の成り行きで在々の『祠』探しを手伝うことになった宗太郎だが、すぐにでも、というわけにはいかない。何故なら今は高校の期末試験期間の真っ只中なのだ。昨夜、在々と出会ったのはまさにその試験勉強の最中だった。おかげで一夜漬けの勉強は全く捗らず、気がつけば机に突っ伏して朝を迎えていた。
「ううむ。強いて言うならば、宗太郎殿自身のせいではないかな。試験というのは、日々の学習の成果を試す場であろう」
「それは……」
 本人に悪気はないようだが、見えない刀がぐさりと宗太郎の胸に刺さった。一夜漬けの試験勉強をしている時点で何も言い返せない。
「さすがは、神様ですね」
 精一杯の皮肉を込めてひとり呟く宗太郎であった。

 二人がこうして下校を共にしているのには理由があった。昨夜の居間での一件が落ち着いた頃、時刻はすでに深夜二時を過ぎていた。ゆりはすぐに床に就き、宗太郎は徹夜覚悟の試験勉強を続けるべく自室へ戻ることにした。在々も「明日の朝また会おう」と言い残し二人の前から姿を消した。そして今朝、学校へ向かう宗太郎の前にどこからともなく現れた在々は「自力で祠を探しに出ようとしたのだが、いかんせんまだ思うように力が入らん。また道端で気を失ってもたまらんからな。今日は宗太郎殿についていくことにした」そう言って、そのまま二人で登校することになった。在々は学校に着くなりどこかへ姿を消し、帰る頃には再び姿を現した。そして今、二人は共に下校しているのである。その姿は宗太郎にしか見えていないようで、学校でも外でも鎧姿の在々に目を向ける人は誰もいなかった。

「ところでアリさん。今日は昨日よりもずいぶん小ぎれいにしているね」
 ぼろぼろの鎧を身に纏っているのに変わりないはずだが、在々の姿は昨夜よりもどこか綺麗に見える。振り乱していた長い髪は後ろに束ねられ、おどろおどろしかった表情もいくらか明るくなった。彫りの深い顔立ちも相まって、むしろ精悍な顔つきになったと言っても良いくらいだ。多少の変化でこうも印象が変わるのかと宗太郎は驚いていた。
「うむ。身だしなみと言うものだ」
「ふーん。神様でも身だしなみとか気にするんだね」
「あたりまえだ。神がみすぼらしくては頼るものも頼れんだろう」
「今のアリさんは落武者っていうより侍って感じだ」
「侍には違いないが。それは、少しはマシになったということかな」
「まあね」
 そんな会話をしながら歩いてゆく。賑わいのある大通りを過ぎ、やがて二人は川沿いの狭い歩道へ入っていった。自然のままの小さな川である。歩道を歩きながら宗太郎はほっと息をついた。幼いころから遊び場にしていたその川沿いには大きな木々が立ち並び、長い木陰道をつくっていた。その木陰が道行く二人に一時の涼をもたらす。横手に流れる水の音もまた涼しげだ。宗太郎にとっては通学路の中でも気に入っている道だった。
「そういえばアリさん」
 制服のシャツの第二ボタンまで寛げて、胸元をパタパタと扇ぎながら宗太郎が尋ねた。
「俺が学校にいる間はどうしてたの?」
 宗太郎が答案用紙に向かい頭を悩ませている間、在々はどこかへ姿を消していた。
「ああ。宗太郎殿からあまり離れる訳にもいかんのでな。校舎をぶらぶらと歩き回っておったよ。なかなか面白かったな」
 暑さが和らぎほっとしたのもあるのだろう、在々の顔つきがわずかに緩んでいる。その姿を見て宗太郎はくすりと笑った。どうやらこの神様は好奇心が旺盛なようだ。旅に夢中になっているうちに帰れなくなってしまったくらいだから、考えてみれば当然なのかもしれない。
「学校というのは昔からあるが、学ぶ者たちが集まるだけあって、今も昔も良い気が流れておる。皆、熱心でよいな。特に校長などは忙しなく働いておったぞ」
「校長? もしかして校長室まで見てきたの?」
「ああ。廊下を歩いていると良い匂いが漂ってきて、つられて部屋に入ってしまったのだ。茶と菓子が置いてあったので、少しいただいてきた」
「いやいや、勝手にいただいちゃだめでしょ。しかも校長室って」
 在々を嗜めつつ宗太郎は校長の顔を思い浮かべる。美咲高校の校長といえば生徒たちの間では有名な人物だ。校長だから有名なのは当り前だが、彼の場合はそういった意味とは少し違う。
 見た目はすらっとした長身で、いつも高級そうなスーツを着こなすロマンスグレー。低く良く通る声は力強く、それでいて優しくもあり、年齢を感じさせない若々しさがある。それにいつも生徒の事を気にかけていて、廊下ですれ違う生徒に気さくに話しかける姿はこの学校では当たり前のことである。校長という立場でありながらもおそらく全校生徒と会話をしたことがあるのではないのだろうか。生徒たちにつけられたあだ名は「紳士」。もちろん、敬意を表しての名である。
「ぷっ、ははは」
 そんな「紳士」と、くたびれた鎧を纏ったむさ苦しい侍がお茶をしている光景を想像して、あまりの不自然さに思わず声をげて笑ってしまった。
「……何故笑うのだ」
 長い木陰の道を歩きながら二人がそんなやりとりをしていると、後方から声が聞こえてきた。
「おーい、宗太郎!」
 振り返るとこちらに向かって軽快な足取りで走ってくる人が見えた。宗太郎と同じ制服を着た少年である。背が高くがっしりとした体つきで、真っ黒に日焼けした顔に白い歯がまぶしく光っている。
「なんだ、拓郎か。そんなに急いでどうしたの」
「お前に用事があったんだ。ホームルームが終わった後、1組に行ったらもう帰ったって聞いたから追いかけてきたんだよ」
 拓郎と呼ばれた少年は、二人の元まで来ると額の汗をぬぐいながら言った。かなりのスピードで走っていたが、さほど息は乱れていない。宗太郎とクラスは違うが、小学校からの同級生であり友人である神崎拓郎は、トレーニングと日焼けと筋肉を愛するスポーツマンであった。
「そっか。こんなところまで走らせて悪かったね」
「いいってことよ。おかげでいい汗かけたからな!ところでお前、今誰と話してたんだ?」
「え……」
 言葉に詰まる。確かに今の今まで在々と話しながら歩いていたが、その姿は拓郎には見えていないのだ。傍から見れば、虚空に向かって話しかけるおかしな人に見えたに違いない。
「何言ってるんだよ。誰とも話してないぞ。見ての通り一人じゃないか」
「そう、だよな。なんだか横にいる誰かと話してるように見えたからさ。すまんすまん、忘れてくれ」
 細かいことを気にしないやつでよかった、と宗太郎は思った。
「それより急いでいたみたいだけど、何の用事?」
「おっとそうだ。まあ大した事じゃないんだ。うちのお袋からお前の家に届け物を頼まれてたんだけど、今日は部のミーティングあるのを忘れててな。遅くなりそうだし、お前、俺ん家に寄ってってくれないか?」
「つまり、お前の家に俺が自分で取りに行け、と?」
「そういうことだ。さすがは宗太郎くん物分りがよくて助かる……あ、いやすまん。そんなに怒るなよ」
「あきれてるんだよ」
 調子の良い所は小学校時代から少しも変わっていない。
「それに、試験期間中なのに部活なんてやってていいの?」
「もちろん先生たちには内緒だ。ほら、うちの部って先輩たちがかなりアツいだろ」
「知らないけど」
「例え試験期間中でも、全員が集まってチームの意識を高めようってことなんだよ。それに今日のミーティングはかなり大事なものなんだ。もうすぐ始まっちまうし、な、頼む」
 仏頂面の宗太郎に向かって拓郎は拝むように手を合わせた。この友人にこの手の頼まれ事をされるのは昔からよくあった。そして、頼みごとを断れない宗太郎はいつも決まって
「わかったよ」
 そう言ってしまうのだった。そんな宗太郎の性格を知っている拓郎も
「まあ、拓郎の家はそんなに遠くでもないし。それより早くミーティングに……」
「助かったぜ!そんじゃ、よろしくな」
 宗太郎が言い終わるよりも先に軽やかに来た道をもどっていった。
「相変わらず、忙しないやつだな」
「宗太郎殿の友人か」
 それまで黙って二人のやり取りを見ていた在々が口を開いた。
「うん。小学校からの付き合いさ。少し寄り道してもいいかな、アリさん」
「うむ。友人とあれば無碍にもできぬ。わしはかまわないぞ」
「じゃあ、行こう」
 二人はまた歩き出した。

 いつもの下校ルートを変更し二人は拓郎の家に向かった。回り道にはなるが遠くはない。名残惜しむように並木道を抜けたあと、容赦ない陽射しに再び晒されながら住宅街を歩いていく。車がぎりぎりすれ違える程の狭い道。左右に古い家屋が立ち並び、所々に駄菓子屋や酒屋など小さな店が錆びた看板を出している。昔ながらの町並みを残すその一角を進んでいくと、やがてとびぬけて背の高い家が見えてきた。周囲のくすんだ瓦屋根の間から飛び出す、赤いレンガ屋根。明らかに周囲から浮いている西洋風の建物。拓郎の家であった。
 門の前にたどり着いた宗太郎は、額の汗を拭いつつ呼び鈴を押した。すぐに家の中から声が聞こえてくる。
「はあい。あら、宗太郎くんじゃない!久しぶりねえ」
「こんにちは、おばさん」
 出てきたのは拓郎の母、神崎洋子だった。拓郎ほどではないが、すらりと背が高い。
「こんにちは。今日はどうしたの?拓郎ならまだ帰ってないけど」
「あいつにはさっき会ったんですけど」
 宗太郎がいきさつを説明すると、洋子は眉間にしわを寄せた。
「まったくあの子ったら、宗太郎くんに押し付けるなんて」
「いや、いいんです。あいつも忙しいみたいだし、俺は時間ありますから」
「ごめんね。昔っからあの子はあなたに頼りっぱなしで。せっかくだからあがっていってちょうだいな」
「いえ、荷物受け取ったらすぐに帰りますよ」
「いいからいいから。暑かったでしょう。冷たいジュースでも飲んでいきなさい」
 冷たいジュース。その言葉に宗太郎の喉がごくりと反応した。
「やっぱりおじゃまします」
 洋子はにっこり笑って 
「そうしなさい。さあ、あがってあがって」
 さっさと家の中へ入って行った。
「おじゃまします」
 すでに洋子の姿は見えないが、そう言って家に上がった宗太郎は長い廊下をまっすぐリビングに向かう。小さい頃から何度も遊びに来ているので迷うことはない。在々も宗太郎の後について廊下を歩いて行く。
「なかなか立派な屋敷だが、どうも落ち着かないな」
「どうして?」
 宗太郎は小声で訊いた。
「この家には襖も障子も畳も一切ないようだ」
「ああ、洋風ってこと? 今じゃあこんな家は普通だよ。むしろうちが古いくらい」
「人の暮らしが変わってゆくのは当たり前のことだが、やはり寂しいものだ」
 しみじみとしたその台詞に宗太郎の頬が緩む。
「どうしたのだ」
「神様も人間みたいなこと言うんだね」
「む」
「うちのじいちゃんみたいだ」
「馬鹿な。年寄りと一緒にされては困る。私はまだまだ若いぞ」
「ははは。それもじいちゃんみたい」
 リビングに着くと洋子が飲み物の入ったグラスをテーブルに用意していた。ひんやりと冷房が効いたリビングは、泉家の居間の倍はあろうかという広さだ。促されるままテーブルに着こうとした宗太郎は、端の方で茶をすする人物に気付いた。
「としばあちゃん!」
 ゆっくりと顔をあげた老婆は、湯呑みを手にしたまま微かに首をかしげた。
「はて、どこかで見たような……」
「拓郎の友達の、宗太郎です」
「ああ……そうだ、そうだ。泉さんとこの宗太郎じゃないか。あんた、しばらく見ない間に大きくなったなあ」
「こんにちは。お久しぶりです。としばあちゃんも相変わらず元気そうですね」
 昔より少し小さくなったような気がしたが、全く衰えを感じさせないはっきりとしたその声に宗太郎は懐かしくなった。この老婆、神崎とし子は拓郎の祖母で、子供たちはみな「としばあちゃん」と呼んでいた。小さい頃はよく世話を焼いてくれて、親に内緒でお菓子やお小遣いをくれたこともあれば、拓郎のいたずらのせいで二人して激しく怒られたこともあった。他所の子供たちにも分け隔てなく接してくれるので、宗太郎も自分の祖母のように慕っていた。だが中学に入ってからは滅多にこの家に来ることもなくなってしまい、会うのは数年ぶりのことだった。
「本当に、うちに来るのは久しぶりよね。はい、どうぞ。そこに座って」
 洋子がオレンジジュースの入ったグラスを差し出す。椅子に腰掛けながら、宗太郎は隣に在々がいないことに気付いた。
「アリさ……」
「え?」
 在々を呼ぼうとした宗太郎はとっさに口を塞いだ。つい先ほどまで会話していたが、在々は洋子たちには見えていないのだ。
「ありさ……って元気にしてますか?」
 取り繕う様子の宗太郎に訝し気な目を向けながら洋子は答えた。
「有彩?あの子なら相変わらずよ。元気がない時がないくらいのじゃじゃ馬。……そういえば、小さいころは宗太郎くんに良く懐いていたわねえ」
 有紗とは拓郎の妹である。今は確か中学二年生くらいだろうか。
「有彩がどうかした?」
「あ、いえ。この家に来るのも久しぶりなんで、ふと思い出しただけです。最近会ってないなあって」
「あら、そう。そのうち帰ってくると思うからゆっくりしていきなさい。有彩も喜ぶと思うわ。うふふ」
 どこか意味ありげな笑みを浮かべながら洋子はキッチンへと戻って行った。
 都合よく名前を使ってしまった有彩に申し訳なく思いつつそれとなく部屋を見回すと、在々はリビングを抜けた先にある階段の辺りをうろついていた。家の造りに興味があるのか、もの珍しそうにあちこちを眺めながらそのまま二階へと上がって行ってしまった。もちろん、宗太郎以外の誰も気づいてはいない。
 とりあえず在々は放っておくことにして
「いただきます」
 宗太郎は目の前のオレンジジュースを一気に飲み干した。
「おやおや、そんなに慌てて飲まんでも。しかし外は暑かったろう。おかわりあるから、ゆっくり涼んでいきなさい」
 とし子は嬉しそうに笑うと洋子におかわりを持ってくるように言った。
「すみません。喉が渇いてたんで」
 三杯目を飲み干したところでようやく落ち着いた宗太郎は、久しぶりに対面する二人に訊かれるがまま自分や家族の近況報告をはじめた。だが、話が学業成績に移ってきたあたりで話を変えた。
「そういえば、うちに届ける物ってなんですか?」
 宗太郎は洋子に尋ねた。
「あ、そうだったわね」
 彼女はぽんと手を叩いて台所に向かい、紙袋をもってすぐに戻ってきた。
「昨日いただいたものなんだけど、生ものだから早めに渡そうと思ってたのよ。有名なパティシエが作ったお菓子だから、絶対おいしいはずよ。早めに食べてね」
「そんな高そうなもの、貰ってもいいんですか?」
「いいのいいの。さっちゃんにはよく貰ってるから、そのお礼にね」
 さっちゃんというのは、宗太郎の母親、紗千のことである。二人は中学、高校の同級生で今でも仲がいい。
「ありがとうございます。でも、うちの母親今いないんですけど」
「あらそうなの?」
「親父と二人で旅行中です」
「まあ。相変わらず仲がいいのね」
「しょっちゅう喧嘩してますけどね」
「それも仲がいいってことよ。でも、そう。それなら宗太郎くんとゆりちゃんで食べちゃって」
「いいんですか?」
「もちろんよ。きっとゆりちゃん喜ぶと思うわ」
「姉ちゃん、お菓子には目がないからなあ」
 宗太郎の目に昨夜シュークリームを食べられなかった姉の姿が思い浮かぶ。自分から在々に譲ったとはいえ、心の中では葛藤していたに違いない。これを持っていけばかなり喜ぶだろう。
「ありがとうございます。貰っていきます」
「そうしてちょうだい」
 紙袋を受け取りそのまま暇を告げようと腰を浮かしかけたとき、宗太郎はふと思いついた。
「あ、そうだ。としばあちゃんにちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい?」
「このあたりで神様を祀っている家って知りませんか?敷地内に石の祠があって、先祖代々それを守っているような……」
「自分の土地に神様をかい?うーん、そんな家あったかねえ」
「今じゃなくても、昔そういう家はなかったですか?祠のある家」 
「あるとしたら地主さんとか、何かの神様とご縁のある家かねえ。ほこら、ほこら……」
 記憶を辿るように固く目を閉じるとし子。眉間の皺がみるみる増えていく様子を見かねた宗太郎は、慌てて手を振った。
「あ、ごめん、としばあちゃん。ちょと気になってるだけだから、そこまで考え込まなくても」 
「そんな家があったような気がするね」
「え、マジで?」
「ああ。あったあった。確かにあった……はずなんだけども」
 驚くと同時に期待に胸が膨らむ。聞いてみるものだ、と宗太郎は思った。祠は案外すぐに見つかるかもしれない。
「その家はどこにあったの? この近く? それとも市内のどこかに」
「それがねえ、ここまで出かかっているんだけども、どこにあったか、誰の家だったか、さっぱり思い出せない。やっぱり年かねえ」
 それからしばらく首を捻ってはうんうんと唸るとし子だったが、結局何も思い出すことはできなかった。
「すまないねえ。しばらくしたら思い出すかもしれないし、その時には拓郎にでも伝えておくよ」
「いえ、こちらこそ変な事聞いてすみません」
「でも宗太郎。あんたはどうしてまた、そんなことを聞くんだい?」
「え?あ、それは、その」
 まさか在々のことを話すわけにもいかない――話したとしても信じてはもらえないだろう――が、上手い理由も思いつかなかった。宗太郎が口ごもっていると
「何か調べ物でもしているのかしら」
 二人のやりとりを見ていた洋子が言った。
「あ、そ、そうなんです! 地域の歴史について調べてて……その、民間信仰……とか」
「今って期末試験期間でしょう? そんな時でも自分の調べものをしているなんて、さすがは宗太郎くん」
「い、いえ、そんな」
「昔から勉強熱心だったものねえ。一夜漬けとか言ってあたふたしてるうちの馬鹿息子とは大違いだわ。ねえ、お義母さん」
 とし子が大きく頷く。
「まったくだよ。えらいねえ、宗太郎は。そのうち有名な学者にでもなるにちがいない」
「あ、いや、これはちょっとした人助け……じゃなくて神……でもなくて」
 何となく居心地の悪さを感じて宗太郎は早々に話を切り上げた。
「と、とにかく、ありがとうございました。そろそろ帰りますね。それじゃあ」
 二人に会釈し、鞄と紙袋を持って立ち上がった。在々は見当たらなかったが、そのうち姿を現すだろう。玄関まで見送りに出てきた洋子にもう一度礼を言って、宗太郎は神崎家を後にした。



 一日中猛威を振るっていた太陽がその余韻を残しながら西の端へ沈んでいく。空には無数の星が徐々にその姿を現わし、安らぎを得た街がほっと息をつくようにぽつぽつと明かりを灯し始めた。
 夜の帳が降りる頃。泉家には夕餉の匂いが漂っている。隣の台所でゆりが調理する音を聞きながら、宗太郎と在々は居間でテレビを観ていた。
「へえ、こんな夜景スポットがあったんだねー。知らなかった」
 夜のニュース番組の特集で、美咲市のいくつかの観光名所を紹介している。テレビタレントが所々に笑いを織り交ぜながらあちこちを巡るという、地元ではお馴染みのコーナーだ。
「ううむ」
「……アリさん、さっきから唸ってばっかりだね」
 テレビの前に胡坐をかいた在々は、かじりつくように画面に見入っている。
 昼過ぎに神崎家を後にした宗太郎は、そのあとまっすぐに家に帰ると二階の自室で勉強を始めた。今日は散々だったが、期末試験は明日、明後日の土日をはさんで月曜まである。祠のことも気になるが、さすがにあと一日残っている試験を無視することは出来ない。今日の分を挽回すべく、いそいそと机に向かったのである。
 在々はといえば、神崎家を出た後すぐに宗太郎の前に現れ、今度は近所を散歩すると言い残し去って行った。そして陽も暮れかける頃、何故か学校帰りのゆりと一緒に戻ってきたあとは、腹を空かせて居間に降りていた宗太郎と共に夕食を待ちながら過ごしているのである。
「まるで自分がそこにいるようだ。すごいな」
 宗太郎が何気なく点けたテレビを先程からずっと凝視している。番組に夢中になっているというより、単に映像に驚いているようだ。
「アリさん、そんなに近くでテレビを観てると……」
 目が悪くなるよ。そう言いかけた宗太郎だが、すぐにその言葉を飲み込んだ。目が悪くなるも何もない。在々は人間ではないのだ。宗太郎とゆり以外の人にはその姿は見えないし、今も目の前にいる在々は背後がうっすらと透けて……。
「あれ?」
 宗太郎の目には在々がはっきりと見えている。体が透けているわけでもなく、ぼやけているわけでもない。人間となんら変わりないくらいに見えている。
「どうしたのだ、宗太郎殿」
「目が悪くなっちゃったかな。あれ、違うな……良くなったの?」
「何を言っておるのだ」
 テレビから目を離しこちらを振り向く在々。何度も目を瞬かせてみるが、その姿はやはり透けてなどいない。
「宗太郎殿、テレビの観すぎでは」
「うるさいな、アリさんに言われたくないよ! いや、そんなことより、アリさんがはっきりと」
「ご飯できたわよー。取りにきてちょうだい」
 台所からゆりの声がした。同時に、肉と油の焼ける香ばしい匂いが漂っていることに気付いて、宗太郎は腹を鳴らした。
「いい匂いだ」
 在々もうっとりした顔つきで漂う匂いを嗅いでいる。
「まあ、この話はあとでいいか。それよりお腹空いたからご飯にしよう!アリさんも手伝って」
 そう言って立ち上がる宗太郎。
「む、宗太郎殿。居候の身ながら不躾かもしれぬが、男子たるもの台所に入るなど」
「二人ともさっさと動きなさい! 宗太郎はお皿を運んで、アリさんはテーブル片付けて!」
「はい!」
「承知!」
 短気な姉をこれ以上怒らせまいと、宗太郎は慌てて台所へ下りていく。在々は近くにあった布巾でそそくさとテーブルを拭きはじめた。

 食卓に料理が並ぶと、三人はそれぞれの席に腰を下ろした。ずらりと並んだ料理を見て在々はごくりと喉をならす。
「これはなんとも……」
「うまそうだ!」
三人の前にはハンバーグが乗った皿が置かれている。手の平ほどもある大きなハンバーグからは熱い湯気が立ち昇り、香ばしい匂いが男達の食欲を刺激する。その横には大根と海藻を和えたサラダ、薬味を散らせた冷奴、ほうれん草のお浸しなど、暑かった一日の労をねぎらうような涼しげな小皿が所狭しと並び、また在々は喉をならした。
「さあ、食べましょう」
 畳んだエプロンを側に置いて、ゆりが二人に茶を注いでいった。
「し、しかしゆり殿。こんなご馳走を……。よいのか」
「当り前じゃない。遠慮なんてしないでよね。たんと作ってあるんだから、アリさんもお腹いっぱい食べてちょうだい。ていうか、残したりしたらタダじゃおかないわよ」
「そうだよアリさん。昔から言うでしょ?据え膳くわぬは……何とやら」
「あんたは日本語の勉強しなおしなさい」
「そうか。では……」
「いただきまーす!」
「いただきます」
 揃って手を合わせる三人。それと同時に宗太郎と在々は貪るように食べ始めた。
「ちょ、ちょっと。もうすこし落ち着いて食べてよ」
 そのあまりの勢いにたじろぐゆり。食べ盛りの弟はともかく、一見して落ち着いた歳の在々も、息をするのを忘れているのかと思うほどの勢いで食べている。よほど腹を空かせていたのだろうか。
「いや、でも姉ちゃんこれ……メチャクチャ……うま」
「……む、っは」
「はいはい。食べながらしゃべらないで。おかわりならあるから」
「おかわり!」
「もう一杯!」
 一口も食べれぬまま、二人の茶碗を受け取るゆりであった。
「まったく、男の食欲ってすごいわね」
 大盛りにした茶碗を二人に手渡しやっと自分の食事を始めたものの
「あんたたち、どんだけお腹空いてたのよ」
 目の前の料理が瞬く間に無くなっていく光景に、驚くよりも先に呆れてしまう。
「今日は……色々あったから、お腹空いちゃって」
「うむ……、っは」
「ちょっとアリさん。水泳してるんじゃないんだから、そんな苦しそうに息継ぎしながら食べないでよ。気になって私が落ち着いて食べれないじゃない。ゆっくり食べて」
「す、すまん……ぐふっ」
 突然むせる在々。
「ほらもう、言わんこっちゃない」
 そう言ってゆりは在々の湯呑みに茶を継ぎ足した。
「はい、お茶飲んで」
 慌ただしく茶を飲み干す侍の姿を見ながら
「まるで弟がもう一人増えたみたいだわ」
 と小さくつぶやいた。
「かたじけない」
 少し落ち着いた在々は申し訳なさそうに礼を言う。少しは反省したのか今度はゆっくりと食べ始めた。
「そういえば姉ちゃん、アリさんの……ほこら……なんだけど」
「食べながらしゃべらない」
 ごくり、と喉のものを飲み下して宗太郎が続けた。
「アリさんの祠なんだけどさ、もしかしたら思ったより早く見つかるかもしれないよ」
「何か手がかりでも見つけたの?」
「うん。学校の帰りに拓郎の家に寄ったんだけど、としばあちゃんがいてね」
「あら、珍しいわね、拓郎くんの家に行くなんて。それにとしばあちゃんか、懐かしいわね。元気してた?」
 宗太郎の幼馴染である拓郎は、ゆりにとっても幼いころから知っている弟のような存在である。拓郎の祖母であるとし子にも、宗太郎と同様に可愛がってもらった記憶がある。
「うん。相変わらずしゃきっとしてた。それで、としばあちゃんに祠がある家を知らないかって聞いてみたら、昔そんな家があったって言うんだ」
「へえ。それならもう見つけたも同然じゃない。良かったね、アリさん」
「ああ、それはありがたい」
 在々はほっとした表情で頷いた。
「で、その家はどこにあるの?この近く?」
「それが結局どこの家だったかは思い出せなかったんだ。でもそのうち思い出すだろうから、その時は連絡するってさ」
「そう。すぐにでも、って訳にはいかなそうね」
「だね。としばあちゃんも、もう九十過ぎてると思うし、いつ思い出せるやら」
「だが、大きな手がかりになりそうだな。よかった。祠は、あの家は今どうなっているのだろうなあ。わしがいない間に、悪いことが起きていなければよいのだが」
 在々の目にはかつての居場所が思い浮かんでいるのだろう。箸を止めてしみじみと呟いた。その様子を見ながら、豆腐をつついていたゆりがふと思いついたように言った。
「それにしても、としばあちゃんが言う昔ってどれくらい前なのかしら。そもそも、アリさんがその家を離れて旅に出たのは具体的にいつ頃なの?」
「あ、それそれ、俺も気になってた」
 ハンバーグを頬張りながら宗太郎がうんうんと頷く。しばし考え込んだ在々は、やがて
「具体的な年数までは分からぬが、そうだな。わしがあの家を離れたのは確か、世間では新しい天皇が即位して間もない頃だった気がするな」
「ということは、平成元年かその少しあと……か。昔の話だとは思っていたけど、やっぱり私たちが生まれる前のことなのね」
「今の元号は平成、だったか。何年なのだ?」
「二十九年よ」
「……ううむ」
「でも、二十九年前だったら、まだ探し出せる可能性はあるよね。としばあちゃんだけじゃなくてさ、近所の大人に聞いて回ればきっとすぐだよ」
「いや。そこまで近い話ではないな。もう少し前だと思うが……」
「え?」
「もう少し前って……」
「ちょ、ちょっと待って!それじゃあ昭和ってこと?」
 思わず声をあげたのはゆりである。
「昭和の初め頃って……九十年前じゃない!」

「まあ、そのくらいかな」
 驚いたのは宗太郎も同じであった。
「アリさん昨日言ってたよね。ふらっと旅に出た先で気を失って、起きたら時間が経ってたけど何とかここに辿り着いたって。その話の中で九十年も経ってたの?」
「そうなるな」
 平然と答える在々。姉弟は固まったまま、しばし沈黙が流れる。
「二人とも、なにをそんなに驚いているのだ」
 驚かれるのが驚きだと言わんばかりの様子である。
「昔の話だとは分かっていたつもりだけど、まさか九十年も前だなんて。それこそ、としばあちゃんが生まれた頃じゃない」 
「さっきテレビを珍しがっていたのも、アリさんの時代には無かったからなんだね。単に今まで見る機会がなかったからだと思ってた」
 姉弟の反応に在々は苦笑した。
「なるほど。私からすれば、少しばかり寝ていたという程度にしか思わなかったのだが、確かに二人からすればかなりの年月だな」
「時間の感覚が全然違うのね。……でも、そうね。過ごしてきた時代、時間が違うのだから当然と言えば当然なのかな」
 九十年の時を「少しばかり」と言う、在々が過ごしてきた時の長さを思い、ゆりは改めてその存在に神秘を感じた。
「ジェネレーションギャップってやつか」
「……あんたは英語の勉強も足りてないみたいね」
「ゆり殿。宗太郎殿」
 箸をおいた在々が、やや改まった口調で言った。
「丁度よい機会だ。お互いに知らぬことを聞いてみてはどうだろうか。私は二人のことやこの時代のことをもっと知りたいし、二人には私のことを知ってもらいたい」
 その提案に乗ったのはゆりだった。
「情報の共有ってわけね。いいわ、面白そう」
 姉の言葉に宗太郎も同意する。
「うん。一緒に祠を探すなら、今みたいな食い違いもない方が良いしね」
「それに昔の話ももっと聞いてみたいわね。この街がどんな風に変わっていったのか、武士がいる時代から見てきたアリさんだもん。滅多に聞ける話じゃないわ」
「俺も昔の話聞きたいな」
「よし。では、話をするとしよう。だがその前に」
 言葉を区切った在々は空の茶碗を手にすると、おずおずと伏し目がちにゆりの前に差し出した。
「まだ食べるの?」
「あ、俺も!」
 呆れた顔で二つの茶碗を受け取ったゆりは
「……話はご飯が済んでからにしましょう」
 そう言って再び台所へと向うのだった。

後書き

お読みいただきありがとうございます。
ありきたりかもしれませんが、いずみあり!は「日常生活にちょっと不思議な出来事があったらと面白いな」と、そんな思いから書き始めました。
つたない部分が多々あるかと思いますが、引き続きお読みいただければ嬉しいです。
五十鈴 明

この小説について

タイトル いずみあり! 第二章
初版 2017年1月18日
改訂 2017年1月18日
小説ID 4873
閲覧数 38
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五十鈴 明の写真
駆け出し
作家名 ★五十鈴 明
作家ID 1067
投稿数 2
★の数 0
活動度 193

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