RED ARROW - 〜紅の護り人〜6

『第五章〜白珠神(はくじゅしん)』

「そんな」

真琴が慌てた。

「私に力なんて無いです。焔翠玉(えんすいぎょく)は置いてきちゃったし、しらたまちゃんの声だって」
「聞こえていたではないですか」

淡河が上品に小さく笑った。

「先程ヘリコプターで帰ってきた時、あなたのお陰で事故を回避できたのですよ」
「あれは。その……」

淡河の片手が、
最後の鳥居に下げられていた
黒いカーテンをさっと引いた。

「わっ、眩しい」

思わず言葉に出るほどの
強烈な明かりが、
広い室内に満ちていた。

昼の太陽を連れてきたような白い光が、
天井全体を光らせている。

その明かりの下で、
会食の席にいた大人達が
二人を待っていた。

「お待ちしておりました」
「こちらへどうぞ」

その時、
入口で離れたはずの侍従が
そっと淡河の傍らへ寄り、
耳元へ囁くのが見えた。

頷く淡河の
優雅な指先が何かを指示する。

再び消えていく侍従を
不安な目で追う真琴に、
淡河が教えた。

「やっと到着したようです。大切な宝物を持参した、あなたの忠実な番犬が」
「え?」

言葉の意味を理解する前に、
真琴は待ちかねた声を聞いた。



「真琴!無事か!」

既に懐かしささえ感じる姿。

「紅矢!」

真琴は迷わず紅矢の胸に飛び込み、
彼もまたしっかりと彼女を受け止めた。

「良かった……もう帰れないかと思った」
「それはねえよ」

安心感に冷静さを呼び戻されて、
紅矢は照れ隠しに腕を伸ばすと、
身体を離した。

「怪我はないみたいだな」
「うん。優しい人ばっかりだったよ」

肩の力を抜き、
真琴は目尻を指先で拭う。

「それにしても。ここは、何だ」

片腕で彼女を抱えるように立ち、
紅矢は周囲を見渡して、
最後に、
佇む淡河を睨みつけた。

「真琴は返してもらうぞ」

淡河は穏やかに、
紅矢の鋭い視線を受け流す。

「落ち着いてください。少しでいいので、お話を聞いていただけませんか」
「は。ふざけんな。人攫いみたいな真似しといて、威張ってんじゃねえよ」

狂犬のように唸る紅矢に
周囲の大人達は怯え、
少し離れた場所から
淡河の指示を待つだけだ。

「待って、紅矢」

服の袖を引き、真琴が見上げる。

「私、まだちゃんと聞いてないの」
「何を」
「私がここに連れてこられた理由」
「そんなもん、別に聞かなくたっていいだろう」

聞く耳を持たない紅矢に、
淡河が静かに近付く。

「紅矢さん、でしたね」
「気安く呼んでんじゃねえよ」

真琴の肩を片腕で抱え込んだまま、
噛みつく紅矢。

土で汚れたTシャツとぼさぼさの髪が、
本物の野犬のようで。

「あなたは、本当に真琴さんを守る気があるのですか」
「当たり前だ」

何を言い出すのかと淡河の顔を見れば、
思ったより真剣な眼差しで紅矢を見ている。

「もう、日は落ちたのですよ」
「それがどうした」

言いかけた紅矢がはっと口を閉じた。

「今居る場所が明るいので、勘違いをなさっているようですが」

淡河のすらりと長い腕がフロア全体を示す。

「ここには、夜がありませんから」

言われて天井を見上げる紅矢。

表情を崩さない淡河の話し方は理知的だ。

「擬似太陽と天体模型、陰陽道の極みと最新の科学技術を融合させました」
「よく解らないけど、夜が来ないなら……」

呟く真琴を見て表情を緩め、
微笑で頷く淡河。

「そうです。ここに居れば、真琴さんは安全に満月をやり過ごせるのです」

淡河の白い手のひらが、
紅矢に向けられた。

「紅矢さんも、今夜はこちらに待機してください」




外界では、
本物の満月が、ミヤコを照らしていた。

濃紺の闇を、蒼白い光が切り裂く。

切り取られた影はくっきりと
アスファルトに浮かび、
その輪郭が幻のように揺らぐ。




「満月の夜に真琴さんを護るのは、紅矢さんにしか出来ない難しいお仕事ですから」

明るく暖かいフロアの中央へ誘いながら、
淡河が言う。

「真琴さんはこちらに」

床に描かれた大きな丸。

縁取るように
ぎっしりと書き込まれた文字や記号には、
特殊な力が込められている。

丸の中央には、
座ったらひっくり返りそうなくらい
分厚い座布団が置いてあった。

「焔翠玉を渡してください」

急に言われて、紅矢は思わず
カーゴパンツの大きなポケットを
上から抑えた。

「誰がおまえなんかに。ていうか、どうして持って来たって知ってるんだよ」

少しだけ首を動かして、
淡河はその質問を流す。

「わたくしにではありません。真琴さんに、です」
「紅矢、持って来てくれたの?」
「……あとで、そっと渡そうと思ってた」

紅矢はしぶしぶポケットに手を突っ込み、
周囲の大人達は好奇の目で見守った。


「素晴らしい輝きです」
「何と、神々しい光でしょうか」
「あれが焔翠玉なのですね。初めて見ます」
「しかし、素手で掴むのは如何かと」
「あんな無造作に。ポケットなんかに」


真琴の胸元に戻った焔翠玉は、
安心したように周囲の光を反射した。

ワンピースの濃紺色が、
石の美しさを更に引き立てている。

「祠篭りは今日まででしたね」
「はい」
「その円の中を、あの祠と同じ状態にしてあります」
「え?」
「そんなこと、出来んのかよ」
「論より証拠、です。真琴さん、入ってみてください」
「は、はい……」

真琴は
焔翠玉を胸元でしっかり握り締めたまま、
紅矢の顔を見上げる。

「大丈夫だ。オレがいる」
「……うん」

ぴんと張り詰めた空気。
少し冷たい山の風。
苔むした古い匂いと、穏やかで巨大な丸岩の呼吸。

円の中に入った真琴は、それらを肌で感じた。



真琴の表情が変わる。



豪華な座布団を脇に避け、
真琴は床に直接正座すると、
両手で石を包むように持って目を閉じた。



「最後の夜が始まりました」

少し緊張感を増した淡河の声は、
紅矢にではなく周囲の大人達に向けられる。

「総指揮を彼に一任します。紅矢さんに従い、粗相のないように」
「はい」
「畏まりました」
「お願いしましたよ」

淡河の手が、紅矢の肩に載せられた。
体温を感じない冷たい指先だった。

「あ、あんたは。何処に行くんだよ」

少し不安な紅矢の声。

「わたくしがここに居ても邪魔なだけですから。自室で明朝を待ちます。では失礼します」

呼び止めて
何か質問できるような
空気を持ち合わせていない後ろ姿に、
紅矢は不満たっぷりのしかめっ面を送る。


「あのう……紅矢様」

そう呼ばれて振り向けば、
迷える羊達が
きれいに整列して指示を待っていた。

「私達は何をすればよろしいでしょうか」

彼らは束帯と呼ばれる正装で立っており、
今夜が大切な日であることは
理解している様子だ。

「おじさん達は弓とか刀とか、武器持ってないの?」

当然のように言い放つ紅矢から目を逸らし、
彼らは小さく固まると何やら相談をしている。

「まあ、いいや。はじめから期待してねえし」

畑の土で汚れた白いTシャツ、
迷彩柄のカーゴパンツ。

通した櫛が折れそうな、
硬くてぼさぼさの髪。

そんな少年が
背中にくくり付けてきた漆塗りの和弓は、
彼が手に掴むと同時に
殺気を孕んで周囲を威圧した。

「真琴」

床に描かれた丸は、
見えない壁を作って
他者の侵入を阻んでいる。

岩壁越しに
背中で庇ってきた真琴が、
今日は見える場所に居た。


「……あんな顔、してたのか」

既に無我の域に居る、
穏やかで静かな真琴の顔は、
何処かの屏風に描かれた観音様のようで。



「私達の武器といえば、こんな物しかありませんが」
「これでよろしいでしょうか」

真琴を見つめる紅矢の背後から、
膝の力が抜けるような情けない声がした。


「何、それ」
「魔除けの護符です」
「私達は護身しか学んでいないので」
「紅矢様は、その弓で戦われるのですね」
「様とか言われても嬉しかねえけどさ」

ため息混じりに紅矢は、
皇宮仕えの陰陽師達を眺め回す。

「おじさん達はいつも、ここで何をしているんだ?」

見渡す室内は神社のようで、
しかし何かの研究室にも見える品揃えだった。

「私達はここで天体や天気を、二十四時間体制で観察しております」

天井からぶら下がって見える
立体画像の大きな球体は、
地球だったのか。

「異常があればただちに報告することが義務付けられておりまして」

話す機会のなかった特別で難しい仕事を、
陰陽師達は若干表情を緩め、
口々に説明したがった。

大きな半円形の、
銀色のテーブルに載せられた
沢山の精密そうな機械。

「他には、新しいミヤコの暦を作ったり、亀甲や筮竹(ぜいちく)を使用した卜筮(ぼくせい・占い)をおこなったりしています」

示された方を見ると、
なるほど本物の亀の甲羅があり、
香炉では炎が小さく揺れている。

「それから、相地(地相に現れた吉凶を見ること)も研究対象にしております」
「あああ」

苛々と紅矢が遮った。

「何言ってるかさっぱり解んねえよ」

その他大勢から意識を戻した紅矢の身体が動いた。

足を肩幅よりやや広く開いて立ち、
後ろから押されても重心が動かないくらい
腰を安定させる。

上半身はまだリラックスしているのに、
その背中から一切の隙がなくなった。


「おお……」
「なんと美しい」

静かに呼吸を整えた紅矢が弓を構えると、
大人達は思わずため息を漏らした。

淡河に対して
殺気を剥き出しにしていた彼とは、
まるで別人だ。

「ここにも来るじゃねえか」

細い目尻の鋭い視線が、
北東方向の壁を睨みつけている。

「え」
「まさか。また来たのでしょうか」

束帯で護符を握り締めた大人達にも、
それらは見えるようだった。

「また?」

言葉尻に反応した紅矢が聞き返す。

「紅矢様、お助けください」
「あれは以前にもここへ来たことがありまして」

すがり付くような彼らの視線が重たい。

「襲われた者が、生命を落としております」
「死んだのか?」

さすがに驚いた。

「はい」
「あいつは知ってるのか。そのこと」
「あいつとは何方(どなた)のことでしょうか」
「淡河だよ」

苛々と早口になる紅矢は、
自分が今ここに居る、
本当の理由に気付き始めていた。

「もちろん、ご存知です」
「その者は、淡河様を御守りして犠牲になったのですから」

返事をしない紅矢の右手が空を掴んだ。


弓は、押して引く。
余計な力みは要らない。


彼はいったい、誰から弓の作法を教わったのか。


「あの少年で、本当に大丈夫なのでしょうか」
「しかし淡河様が、彼に従えと仰いましたから」
「ちょっと見てください。前と違いますよ」
「何でしょう。あんなものが来るなんて、聞いていません」

背後の動揺には構っていられない。

紅矢は、
分厚い鉄筋コンクリートの壁すら通り抜ける
それらの動きを見守り、待った。



「今夜は趣向が違うようだな、紅矢」



待ちかねた相棒は
窓のない室内に小さな竜巻を起こし、
デスクに積まれた書類を
わざと散らかしてから矢尻に乗った。

固く結ばれていた紅矢の口元が笑う。

「もう、来ないかと思ったよ」

光を纏った破魔の矢が、
もぞもぞと黒く蠢いて見える壁に向かって
一直線に飛んでいく。

侵入に成功した最初の一体が、
その矢をまともに受けた。

嫌な軋み音が耳の奥でかすかに聞こえ、
黒く蠢くものは形になる前に消え去る。

「おお」
「凄いです。一撃ですよ」
「浄化が出来るのですか、彼の矢は」

震える両手で護符を握り締めていた
大人達が息を吐く。

「まだ、だ」

構えを解かずに紅矢が言った。

「次が来るぞ」
「任せておけ」

白珠の名を持つ西風が矢を強化する。

黒いものは、
染みのように点々と壁を汚し、
広がりながら室内へと侵入しようと蠢いていた。

「ああ。あんなにいっぱい」
「紅矢様」

恐慌状態の大人達。

振り向かない紅矢が大きな声を出す。

「おじさん達は、自分の身だけ護っていればいいよ」

紅矢の声は室内に大きく響いたが、
丸の中に居る真琴は微動だにしない。

横目でそれを確認した紅矢が薄く笑う。

「油断するな、紅矢。今宵は大物が来るぞ」

白珠が警告した。

「大物?」
「そら。あれだ」

壁の染みが一所に集まり、形になっていく。

「……鵺(ぬえ)か!」

頭部が猿に似ていて、
正面に付いた双眼は人のように見えた。

胴は狸くらいの大きさだが、
尾が蛇になっていて、
手足は虎のように頑丈だ。

特徴はその鳴声。

まるで人がすすり泣いているような、
薄気味の悪い音が広い室内に響いた。


「ああ。恐ろしい」
「紅矢様。お助けください」

生まれて初めて聞くその鳴声に、
煽られた大人達が
一斉に紅矢の周囲に集まってくる。

動き難い束帯、握り締められた護符。

不安のあまり今にも倒れそうな顔色で、
紅矢の筋肉質な腕へと必死にすがる。

「ちょ、引っ張んな。狙いが」

耳元で笑うのは白珠。

「人気者だな、紅矢は」

鵺は細々と鳴きながら、
しかしその双眼はかなり残虐な光を湛えて、
ゆっくりと間合いを詰めてくる。

「おじさん達。わかったから、手は放してくれって」
「もう一体来たぞ」

白珠が警告した。

「早くその矢を放て」
「でも」

ぬるりと壁を越えて、凶暴な猿の顔が現れる。

「わああ。また来た」
「ひいい。助けて」

慌てて振り回した誰かの手が、
紅矢の手の甲を打った。

何か言う間もなく、
弾かれた矢は明後日の方向へ吹っ飛んでいく。

「くっそ。一番の敵はこのおっさん達じゃないのか」
「仕方がないな。人間は」

少しも待たない白珠が呟き、
纏っていた風を脱いだ。


「おお。何だあれは」
「人なのか」
「物の怪の類ではないのか。急に現れたぞ」

護符を握り締め、
紅矢に群がる大人達がその姿を認める。



渋柿色の小袖に黒っぽい裃(かみしも)、
その手に携える棒は木の枝ではあるまい。

猫か狐を思わせる細面の、
高貴で色白な風貌は、
淡河に似て見えなくもなかった。


「この姿になるのは久しいが……」

音もなく鞘から抜かれた
鍔のない細身の刀身が、
天井からの照明を反射する。

鵺が明らかに警戒心を高めた。
身を低く、太い足の先に力を込める。

「……試し切りだ」

慣れた仕草で鋒を地へ下ろし、
無造作に鵺に向かって歩いていく、
人の姿をした白珠神。


引き摺る草履の音がなく、
大人達は紅矢の後ろで、
護身の呪文を声高に唱え始めていた。

「少しは心得があるようだな」

皇宮仕えの陰陽師達をちらりと振り返り、
動きを鈍くした鵺と向き合う白珠。

「白珠」
「ああ」

紅矢が呼ぶ声に、
白珠は片腕に纏っていた風を放り投げ、
刀を構えた。

次の瞬間。

殆ど同時に跳ねた二体の鵺が、
光る矢と刀の一閃で粉々に霧散した。

「い、一瞬で」
「あんな化け物を」

鋒を汚す黒い霧を、
白珠が鋭い腕の一振りで消し去り、
弓を背中に戻した紅矢を待つ。

「真琴は無事なようだ」

円の中で
無心に祈る真琴を見つめた
白珠が呟いた。

「もうすぐ、夜明けだな」
「ああ。良かった」
「とはいえ、まだ油断はするなよ。紅矢」

先刻のような邪魔が入らないとも限らない、
と、
白珠は大人達を振り向いて薄く笑った。

「紅矢様」

円の淵ぎりぎりまで寄り、
真琴の傍に立つ二人に、
一人の大人がおずおずと近付く。

「先ほどからこの方を白珠と呼んでおられますが、まさか白珠神のことでは」
「そうだよ」

野良犬のような紅矢が、
片足に体重を掛けた、
リラックスした姿勢で頷く。

「ご、ご本人様」
「ま、まさか。そのようなことが」

自分の視力の方を疑う大人に、
紅矢が追い討ちをかけた。

「だって見ただろ。この人急に現れて、鵺を一斬りだよ。ばっさあ!と」
「い、いや。しかし」

目を合わせられず、
人型の白珠神を、
下から横から盗み見る大人達。

「信じなくてもいいよ。とりあえず、前みたいに死人が出なくて良かったな」
「は。はい、それはもう。心より感謝致します」
「ありがとうございました」
「これからも、よろしくお願いいたします」
「え」

最後の台詞に紅矢が首を傾けた。

「これからも、って」
「紅矢」

黙っていた白珠が不意に呼んだ。

「んん、どうした白珠」
「夜明けだ」
「ああ。ほんとだ」

広い窓いっぱいに、
本物の朝日が射し込み、
満たし始めていた。

「淡河といったか」
「え、何が」
「紅矢。気を付けろ」

朝日に掻き消される白珠の姿。
ふと顔を上げた真琴が、小さく微笑む。

その優しい笑顔に吸い込まれていると、
背後から氷のような空気が迫ってきた。

「皆さんご無事で何よりです」
「淡河」
「紅矢さん。本当にありがとうございます、焔翠玉は護られました」

柔らかな素材の衣服に包まれた淡河の中身が、
剣山の様に棘とげしく感じて、
思わず退く紅矢。

気付かない陰陽師達が、口々に己の功績を報告する。

「オレが護ったのは、石じゃない。真琴だ」

扉を開けるように、
真琴が立ち上がり円の外へ出てくる。

ふらつく華奢な身体を支え、
紅矢はその頭にそっと唇を寄せた。

「お疲れさん」
「ありがと。紅矢」

後書き

陰陽師、って職業。復活しないかな?

この小説について

タイトル 〜紅の護り人〜6
初版 2017年2月4日
改訂 2017年4月21日
小説ID 4882
閲覧数 51
合計★ 0
アクアビットの写真
ぬし
作家名 ★アクアビット
作家ID 666
投稿数 27
★の数 62
活動度 7373
継続の大切さと恐ろしさを実感する今日この頃

コメント (0)

名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。