ウインストン

 1972年、異国で放浪の一人旅の途中。
 ホテルなんて何処でもいい。下手に拘わりを持たない方が楽だ。
 余程酷いホテルはまあ別として今まで死ぬようなことは一度も起きたことがない。運が良いだけかもしれないが。例えば俺が金持ちだったならば少し状況は変わるだろうけど文無しの一人旅ではむしろ寂れた安いホテルがお似合いなんだ。

 名高いウインストンホテルとは真逆のようなこんな寂れたホテルが。
 4階建ての古ぼけた色の建物。すぐ近くに華やかな大通りがあるのにこのホテルは寂れていてまるで幽霊でも出そうな外見をしている。普通の人は避けそうなものだ。
「いいじゃないか。これはこれで良い味を出してる」
 そんな酔狂な気持ちから俺はその古いホテルに泊まることに決めた。
 ホテルの中の感想は「外見よりはまともな内装」だ。汚れているわけではない。それなりに掃除はされているしホテル内は思ったより広い印象だ。こんな寂れたホテルにしては受付の女性がとても綺麗だったけれど何故か一言も喋らない。
 彼女は多言語で書かれた案内版を指で示していた。
 ――お名前のご記入をお願いします。
 英語で書き終えてから鞄からビザを取り出して女性に見せた。
「俺は「街角 桧」日本人だ。このビザは観光用」
 彼女は観光ビザを確認した後で鍵を取り出した。
「101号室」1階の一番奥の部屋のようだった。
 チェックインで鍵を渡された時に女性から小さなメモ用紙を渡された。書かれていたのは「部屋で待っていてください」と言う文字。それを見て俺は口元を歪ませた。それ以外には何も書かれていないが夜のお誘いだろうと思ったんだ。
「俺の顔や体格は悪くない方だ。時には惚れる女性も一人や二人はいるだろう」
 ここは暑い土地だ。もっともこの時期の気温はまだ優しい方らしいけれど。
 風に生温さがあってとてもじゃないが涼しいとは言えない気候だ。
 夜に部屋で待っていた。まだもう少し時間がかかるのかと思った俺はポケットに入れた煙草に手を伸ばそうとした時にノックの音がした。俺は胸を躍らせて扉を開けた、だけどそこに立っていたのは受付の女性ではなくて一人の少女だ。


『あなたが「街角 桧」ね。日本人は噂に聞いていて前から興味があったの』
 黒髪に日本人に似た肌の色。背丈は150くらいだろうか。瞳の色は少し赤みがかった茶色に見える。着ている服は身なりの良いお嬢さんという姿で清潔さがある。そしてその子が何故俺の部屋に来ているのか。勝手に部屋の中へ入ってくる女の子。
「……何だこの小さい子供は。おい、部屋を間違えているんだよ、お嬢ちゃん。パパとママの居る部屋へ帰れ。ほら、さっさと出て行った」
「ええ、すぐにでも出て行くわ。何か少しお話してくれたらね」
 俺が「出て行け」と言っても一向に出て行こうとしない。それどころか「何か話してみて日本人はどんな話をするのか興味があるから」なんて。日本人は異国ですぐに舐められる、とにかくベッドの上に腰かけて動こうとしない。
 無理やりに外へ出そうとして泣かれたら、俺はこの状況をどうすればいい。仕方ないと思った。とにかく何か適当に話をしてさっさと部屋を出て行ってもらおうか。俺が適当な口調で話を始めると、女の子はその話に耳を傾ける。


 ・・・・・・・・・・


 この国の女の子は目に映る世界があまりにも汚れているから、時間があれば家の近くのホテルの前をよく歩いていました。ホテルには異国から観光に来る人がたくさんいるから、少しでもその空気を知りたいと思っていたのです。
 女の子は思います「この狭い街を国を出て広い世界を見たい」
 そこまで叶わなくても自分の知らない世界に少しでも触れられたのならと。
 そう思いながらホテルの前を歩いていると声をかけられたのです「君、そんなにホテルの前をうろうろしてどうしたんだ、何か落し物でもしたのかい」と。英国風の帽子を被った紳士が少女に優しく問いかけるのでした。
 女の子は正直に答えました「他の世界に憧れているんです」
 それを聞いた紳士は笑顔でこう女の子に答えました「そのくらいの望みならば私が叶えてあげようじゃないか。私は昆虫標本を集めるのが趣味でね、世界中の美しい蝶をコレクションしているんだよ。君に是非見せてあげよう。ホテルの中の私の部屋にあるよ」
 女の子は胸を躍らせながら紳士に連れられてホテルの101号室の中へ。
 そして部屋の中で残酷に殺されてしまったのでした。


 ・・・・・・・・・・


 俺はそう話をした後に不気味に笑って見せた。
 彼女を怖がせようとした。この警戒を知らない女の子に、少し世の中の怖さを教えといてやろうと言う悪趣味に似た行為だ。俺はこういう男なんだ。
 思惑通り女の子は少し驚いていた。けれどベクトルの違う驚きのようだ。
「今の物語に点数を付けるなら「80点くらい」かしら。だけど聞いていた日本人ってもっとつまらないものだと思っていたけれど、中々ブラックユーモアがあるものね。もっと他に何かあるはず。それももっと日本人らしい話が」
「……お嬢さん、結構肝が据わっているな」
 怖がらせるつもりが計算違いで懐かれてしまったようだ。興味本位で話しかけてくる。
「日本人は真面目と言うか、馬鹿正直者ばかりだと思っていたのだけど」
「日本人だって色々さ。俺は侍の子じゃなくて商人の子。それだけの話」
 もっと色んな事柄を話せと言ってくるから俺は言った。
「子供は好きじゃないんだ、何考えてるのかが分からないから。俺は煙草が吸いたいの一人で。なのにそこに居られたら煙草が不味くなるだろ。さっさと部屋を出て行ってくれ、一つ話したんだから今日は終わりだ。今日はこれで店仕舞いだ」
 向こうも仕方なしと言うように立ち上がり扉の前まで。
 そして振り返って一言伝える。
「明日もお話聞かせてね」
「はいはい、明日ね。バイバイさよなら」
 生返事で部屋の中から追い出した。その後でため息を一つ。
 女の子が去った部屋の中でようやくウインストンの煙草に火を点けた。
 部屋に置かれていたのは鉄製の重い灰皿だった。鈍く燻った銀色の灰皿の上に煙草の灰を落としていく。窓の外で吹いている風の音が聞こえていた。
「10代に見えたな。だけど物腰は柔らかだったな。年食ったような口調と態度な」
 日本人よりは鼻が高いし、外国人の少女は日本人と比べ綺麗に見える。
 もう少し年食ってれば俺の好みなんだが……そんなことを考えていた。
「そう言えば名前を聞くのを忘れていた」
 灰皿に押し付けた煙草。フィルター越しに愛おしい煙をゆっくりと口に含み、吐き出すだけの行為。肺を染める脂を望んで吸っている。吸い始めた理由はもう忘れたけれど今もこうして吸い続けているのは完全に依存しているからだ。体と心が煙草を愛してやまない。
 換気のために窓を開けると生温い風が部屋の中へと通った。

後書き

パソコンのHDDが壊れた時に続きは消失されました。

この小説について

タイトル ウインストン
初版 2017年3月30日
改訂 2017年3月30日
小説ID 4909
閲覧数 48
合計★ 3
青樹 凛音の写真
熟練
作家名 ★青樹 凛音
作家ID 1080
投稿数 10
★の数 3
活動度 1139
from「月と缶チューハイ」

コメント (2)

弓射り 2017年4月2日 21時09分47秒
チョコレートレインより文体が作風にマッチしてるように思います。

ウィンストンてタバコの銘柄ですよね。もう少し着想をカモフラージュしてもらえると、何がテーマかとか気にせずに読めるのですが。ここで終わっているのでショートショートとして読んだとき、テーマが透けて、物語より書き手が見えてしまうと損かなぁと思います。

月と缶チューハイの作品も拝見しました。数年後どんな作品を書いている人たちなのか楽しみな試みだと思います。
★青樹 凛音 コメントのみ 2017年4月2日 23時51分52秒
弓射りさん、ありがとうございます。
実は冒頭部の「ウインストンホテル」のくだりからだったりします(汗
もともとはもっと長い物語で、ウインストンホテルとはかけはなれた、ブラックユーモア的なものを目指していました。1972アメリカ、メキシコ辺り。主人公の低俗な語りを楽しもうと言うコンセプトだったのが、
冒頭部以外、原稿データ消失で「ちょっと手直しして短編にするか」
と整えたら中途半端になりました(笑

確かにもうちょいカモフラージュしても良かったかも、と思います。ありがとうございます。
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