名誉体育祭実行委員の余人をもって代えがたいお仕事

 生徒会長から委ねられた各クラスの体育祭実行委員のリストを見て、わたしはふと首を傾げた。欄外に『名誉実行委員 媛川橙(2−C)』と記されているのを見つけたからだ。2年C組からは、彼女とは別に男女一名ずつ委員が選出されている。どういうことか、会長に確認してみた。
「彼女はね、名誉体育祭実行委員よ」
「…………」
 鈴の音を鳴らすような心地よい声に、わたしはしばし聞き入った。
 ここでなんの回答にもなっていないと憤るのはあさはかである。彼女は大変頭の良い人物だ。自分の言葉がわたしの疑問を解消するものではないことは百も承知。その上での返答であることを、わたしは汲み取らなければならない。
 媛川橙という生徒については知っていた。尋常ならざる身体能力と怪力を有しており、天狗の生まれ変わりだとか、現役の天狗だとか噂されている女子生徒だ。並外れた能力はどうも持て余されていて、なにかと不自由な生き方を余儀なくされているらしい。昨年の体育祭においては、竜巻のような活躍ぶりで、多くの備品や生徒がなすすべもなく宙を舞ったのは、わたしも実際に目の当たりにしたところである。
 そこで合点がいった。なるほどつまり、競技に参加させるのはいろいろと危ういから運営サイドに回ってもらおう、ということか。
「普通に実行委員でよかったんじゃ?」
「クラス委員なのよ、彼女。意欲的で感心するわ」
「あ、そうなんだ……」
 確かに、委員のかけもちは原則的にできない。『名誉』の枕詞は特例を意味するらしい。
「ってことは、本人は了承してるんだよね?」
「もちろん」
「でもなにしてもらったらいいの?」
「なんでもやってもらっていいと思うわ。やる気はすごくある子だし、実行委員長の専属秘書だと思えばいいんじゃないかしらね」
「秘書の仕事なんて知らんよ……」
 お茶を入れたり、スケジュールを読み上げたりするくらいしかイメージにない。そのどちらも必要とは思えなかった。


 実行委員会の初回の会合はほとんど顔合わせみたいなもので、大まかなスケジュールと各員の役割を確認したていどでとどこおりなく終わった。件の媛川橙とは散会後に別途面談した。彼女もやはり、自分の役どころをつかめていないようだった。
「会長からは、なんて言われてるの?」
「委員長のかばん持ちになったつもりで、ってことでした」
 師匠かわたしは。
「それってパシリも同然ってことだけど、いいの?」
「仕事って、だいたいそんなようなもんじゃないですか?」
「オゥ……」
 意外に核心を突いてくる。彼女をすこしあなどっていたかもしれない。確かにそのとおりだった。わたしはテニス部で副部長というポジションにあったが、得をしたことといえば部員たちに多少えらそうにできるくらいのものである。あとはひたすら面倒なだけの、それこそ『名誉』職といえる。
「じゃ、じゃあ……めんどくさそうなこととか、どうでもよさそうなこととか、いろいろ押しつけちゃうかもしんないけど……いい?」
「はいっ、なんでも言ってください」
 どうにも気が引けるわたしとはうらはらに、彼女は形の良い眉をぴんと立てて、こころよく請け合ってくれた。


 実際媛川橙は嫌な顔ひとつすることなく雑用に応じてくれた。ただ有能かどうかといえば、かなり疑問の余地があった。
 とにかく細かい作業を不得手とすることにおいて、彼女の右に出る者はいなかった。できないことはない。しかし人より時間がかかるし、わずかな気の緩みが致命的な失敗につながるようだった。彼女にとって、日用品は豆腐かなにかでできているようなものであるらしい。わたしたちが普段なにげなく行っていることが、彼女にとっては神経をすり減らす繊細な作業なのだ。彼女に無用の重責を負わせることと、文房具の不毛なる消耗とを避けるために、細かい作業では他の委員の手を借りることにした。露骨に嫌な顔をされたし、彼女は彼女で申し訳なさそうにしょんぼりとしていた。わたしは二重に心が痛んだ。
 代わりに、連絡役や力仕事での活躍は目覚ましかった。体力は無尽蔵かとおののくほどで、男子の存在価値はあからさまに目減りした。百人力というか、百馬力くらいありそうだった。いやマジで。
 見るかぎりには、快活そうな普通の女子なのである。動きやすくポニーテールなんかにしていると健康的な色気が感じられて、我がテニス部に入ろうものなら不埒な男子部員が倍増しそうだ。
 準備が本格化するにつれ、その手の仕事は増えていく。彼女があちこち動いてくれるおかげで、わたしは次々と噴出する問題にも腰を据えて対応できた。他の委員たちからも、次第に頼りにされるようになっていった。とりわけ、男子に頼みごとをしづらい内気な女子にとってはありがたいようだった。
 校内を駆けずり回る彼女は疲れるどころかむしろいきいきとしており、頬を上気させてわたしのもとに戻ってくる様子はわが家の愛犬アンジーを彷彿とさせた。馬だったり犬だったり、女の子を評するには少々失礼かもしれないが、ともあれ彼女の働きぶりには大変助けられ、生徒会長の采配に深謝した。


 イベントの準備というものは、総じて、佳境になると荒れるものだ。書いていないだけでスケジュールどおりである。わたしのプロジェクト運営に不備があったわけではない。と思いたい。信じたくない。嘘だ。わーわー聞こえなーい!
 責任転嫁先としてもっとも有力なのは一般生徒である。準備のあるていどまでは実行委員のみによって行われるが、途中からは一般の生徒も関わってくる。しかも、期日の差し迫った段階で。
 協力的な生徒ばかりではないし、各クラスのまとめ役である実行委員の能力にもばらつきがある。それら不確定要素が短期間に集中的に積み上がるのである。問題が起こらないはずがない。まあそれ自体は想定済としても、解決に費やせる時間は限られているし、その間にも烏合の生徒たちは思い思いの行動をとる。混迷の度合いは深まるばかり。かくして人心は荒廃するのであった。
「……するのであった……」
 一番荒廃していたのはわたしの心身であった。どうしてこんな役を引き受けてしまったのか、麗しい生徒会長に良い格好をしたいとかあさはかな思いつきで安請け合いした自分がうらめしい。
 そんな中であっても、媛川橙はがんばってくれていた。言うこともよく聞いてくれた。彼女だけがわたしの癒しだった。もうどうしようもなくやさぐれたときに、試しに熱いお茶が飲みたいと駄々をこねてみたら、生徒会室で淹れて持ってきてくれた。愛犬アンジーを超えた瞬間であった。


 準備が大詰めになると、生徒同士の単なるいざこざみたいなものが多くなった。どちらが良いも悪いもなく、仲裁にただただ時間と神経を削るだけでなんの生産性もない。そのうえ、上級生がからんでいると下級生の実行委員は口を挟みづらいし、実行委員自身が積極的に関与していたりもして、わたしが出向かなければ収集がつかないケースが多々あった。
 もう何度目かになるその現場に、わたしはうんざりした。野次馬が見守る中、男子の十人ばかりが、これから天下分け目の決戦でも始まるかのごとく左右に分かれていがみ合っていた。とりあえず間に入って経緯を聞いてみると、前のグループが割り当てられた時間を超えており、次のグループがそれをとがめたところ、さらに前のグループがそもそも時間を押して終えたのが原因だとのことで、発端となったそのグループはすでにこの場におらず、それなのにもめているらしい。
「わかった。時間通りにやらなかった連中にはわたしからきちんと言っておくから、とにかく君たちはそれぞれ既定の時間ずつやるということで」
 わたしの裁量に、しかし後発のグループから不満の声が上がる。そのぶん帰るのが遅くなるじゃないか、と。わがまま。
 かといって先発のグループには後発のグループを配慮するいわれはない。しかし後発の言い分としては、先発が最初に文句を言わないからこうなったんだ、と。水掛け論。
 そうこうしているうちに、わたしから離れたところでなにかしらの発端があったらしく、小競り合いが勃発する。きっかけが与えられるともうどうしようもなくて、あっという間に取っ組み合いのケンカに発展した。わたしは焦って手近な一人に組み付いたが、あっけなく跳ね飛ばされてしまう。痛いというか、おどろいた。男子って力強い。
「わっ、だ、大丈夫ですか?」
 転がったわたしに、媛川橙が駆け寄ってくる。
「うん、平気……だけど」
 わたしは乱闘騒ぎを眺めやって途方に暮れる。
「あーあ、困ったなぁ……」
「……あの」
 彼女はおずおずと口を開いた。
「なに?」
「止めたほうがいいですよね……?」
「そりゃあそうだけど……?」
「ですよね。うーん……」
 彼女はすこしの思案顔のあと、なにごとか思いついたようで、おもむろに体育用具倉庫に向かった。そして、高跳びに使う分厚いマットを抱えて戻ってくる。普通数人がかりで運ぶような代物を、かるがると。
 野次馬たちがぎょっとして道を空ける。もしかしたらあのマットでケンカしている連中を叩き潰すつもりかと思って血の気が引いたが、マットが下ろされたのはそのすこし手前だった。
「んっ!」
 並の女子ならプルタブを開けるのがせいぜいであろう控えめな気合いで、分厚いマットはぐいぐいと押し進められた。向かう先は無論、連中である。彼らは膝上ほども高さのある重量物に押しやられ、収穫されるジャガイモのように次々とマットの上に転ばされていった。起き上がろうにもマットはなおも移動を続けて足元が定まらない。彼女はそのままブルドーザーのごとく前進を続け、壁際に到達する。
 そして、上に人間が乗っかっていることなど歯牙にもかけない様子で、マットをひっくり返すようにして壁に立てかけた。男子たちは壁とマットの間で、もみくちゃになって静かにうなるだけになった。
 居合わせた誰もが、言葉を失っていた。
 わたしはひとり、その手際に感心し、拍手していた。


 その後の仕事は楽だった。
 揉め事が起こっても、まず媛川橙を差し向けておけば、わたしが現着するころにはとりあえずおとなしくなっていた。話はそれからゆっくり聞けばいい。お互い冷静でさえいれば、どうとでも折り合いはつくものである。
 わたしは武力の有用さを知ってしまった。彼女をそばに控えさせておくだけのことで、いかに多くの物事がスムーズに進行することか。力技万歳。
 名誉体育祭実行委員とは、秘書でもかばん持ちでもパシリでも、まして馬でも犬でもない。用心棒だ。
 ただ、なんでも嫌な顔ひとつ見せずに引き受けてくれる彼女が、そういう扱いをされることについてはどうもこころよく思っていないようだった。

この小説について

タイトル 名誉体育祭実行委員の余人をもって代えがたいお仕事
初版 2017年4月8日
改訂 2017年4月8日
小説ID 4915
閲覧数 169
合計★ 5
こてさきのてばさきの写真
熟練
作家名 ★こてさきのてばさき
作家ID 1074
投稿数 16
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活動度 1588

コメント (1)

弓射り 2017年4月19日 7時05分36秒
清潔感ある文章で、しかも人物描写が滅茶苦茶魅力的です。
読書欲をそそるタイトルで、隙がない。

特に
>>彼女にとって、日用品は豆腐かなにかでできているようなものであるらしい。わたしたちが普段なにげなく行っていることが、彼女にとっては神経をすり減らす繊細な作業なのだ。
これは良い文章だと思います。ニュアンスの捉え方に心を惹きつけるものがあって。

すごくまとめやすい所で終わったなぁと思います、もう少し媛川橙と委員長の関係性の変化とかエピソードに作中でぐっと踏み込んで展開してほしかったかなぁと思います。この終わり方は短編としての余韻は抜群ですけど、この文章と世界観ならもう少し先まで進んでも旨みがあるはずだと。職業作家と文章が上手い人の間の壁はなんとなくソコではないかと。

1点、いやマジで、だけ作風に似合わないなと思いました。兎も角久々に良い物読ませて頂きました、ありがとうございます。
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