Remain 3

 どうやら魅魔はこの先もこの部屋に居座るつもりらしい。
「あいつは一体こんな部屋の何処が気に入ったのだろうか」
 部屋は二階にあって街の通りが見えた。それでも明治の集合住宅の上階というものは決して良いものではない。この建物自体は元々は一階建てで、仮の階層で上の階を造ったために水道などは二階には通っていなかった。
「もっとマシな環境ならば俺ももっと良い作品が書けるはずだ」
 彼は日常の中で自分の作品を書き続けていた。
「今の俺に足りないものは時間と環境だ。それも執筆のための」
 今の彼には書きたい題材が山のようにあって想像力に溢れていた。暮らしの中で生活のために最低限は働きながら、残りの時間を全て創作へと当てている。その行為には迷いや躊躇いもなく書くことが全てだった。
「いずれは書きたいものを全て書いてみせる」
 それでも「誰かを肖る」ことを諭されてからペンが冴えなかった。
 編集者に直接指示されたわけではないけれど彼は何時も誰かにそう示されているような妙な脅迫概念を持っていた。他人と違うことは良いと言うのは「その道の枠内に収まっている時だけ」彼の作品を収める枠はまだこの世にない。

 ――決して俺の作品が駄目なわけではないはずだ。
 時間と生活に追われているけれど、彼の作風は自由だった。
 机に向かい安物の万年筆のペン先に墨汁を付けた時、自然と紙の上に文字が並べられていく。そして文字と文字の繋がりが思い浮かび文章と成って、幾つもも文章は「小説」へと成る。出来上がった作品に誰よりも彼自身が魅せられていた。
 そんな時に部屋に戻って来た魅魔が彼に声をかけた。
「二葉亭さん、これから夜の散歩に付き合いませんか」
 彼を含めて明治の人間は基本的に夜には出歩かない。
 夜は寝る時間を削り執筆に時間を当てている。
「……たまには気分を替えて夜の散歩も良いものかもしれない」
 彼女は彼の手を取って「妖しの世界」へと誘った。その指先の細く触れると彼の指先から瑠璃色の葉が零れ落ちた。それが何処か儚く思えた。

 ・・・・・・・・・・

「昼間と夜では街の印象が打って変わるものだな」
 昼間と同じ道の上を歩いているはずなのに、道の上を一歩踏み外すだけで街灯さえない暗闇の道へと繋がっている。表通りの文明開化と、その影の未開が共存する明治の夜は怪しい。その闇の中には妖しがひっそりと住んでいるようだ。
「まるで闇夜の海を渡るかのようだ」
 目印は遥か遠く、彼方の灯台だけで未開な海を渡る想像を浮かべていた。
 彼はこの感覚を覚えていようと思った。実に稀有で貴重な小説の題材になると思ったからだ。彼はこのようにして小説の題材を集めている、それは日々の努力によって磨かれた「文才」と「想像力」と言う彼の財産だった。
 こうして日常の中から実に様々な題材を引き上げてはペン先に宿す。

 闇夜の中に浮かび上がっているのは彼女の白猫の仮面。
「手を離さないでくださいね。私は気まぐれなので何処かへ行ってしまいますよ」
 魅魔の案内の手を離したらこの闇夜の道の中に迷い込んでしまうだろう。
 そしてその夜の道を歩き魅魔は彼を妖しの世界へと誘導した。
 月明かりの上で見た夜の東京に住む妖したちの姿は何処か美しくて、日常の感覚が狂った。まるで彼の生きている世界の方が嘘まやかしのように思えて感情と思考の平衡が崩れた。世界への理解より先に心が奪われた形だ。
「これが妖しの世界なら俺の小説は未完成だ」
 彼は日頃から幻想小説を書いていた。
 それは彼が怪しく魅力的な世界に憧れていたからだ。
 まるで自分が常日頃書き続けていた世界に来れたかのような気がした、それは夢の際のように怪しい浮遊感を伴う夜の散策だった。次から次へと浮かび上がった別世界。歩いているうちに静かに賑わう市のようなところへ出た。
 彼はここについて魅魔に説明を求めた。
「おい、ここは何と言う場所だ」
「ここは妖しの市、妖したちの間では通称「夜市」で通っています」

 夜市に居る異形の者たちは、不気味な物を取り扱っていた。それは一見しただけで危険と分かる代物から、ただの石ころにしか見えないものまで。全てに値段が付けられているようで「妖しが物を売る光景」が今宵の彼の好奇心を煽った。
 彼女は気付いていない様子で先へ誘おうとする。
「まだ全てを案内しきれていないですね、早く次の場所へ行きましょうか」
 彼は先へ行こうとした魅魔の手を離して伝える。
「今夜はここでいい。ここを見ていくから残りは次の機会にしたい」

 彼はこの得体の知れない夜市を見ると決めた。
 彼は子供のように周りに気を取られては目を輝かせていた。
 感動のあまり次作でこの夜市を舞台にして物語を書こうと心の内で決めた。そしてここに居る存在や売っている物や、この独特の空気について「物語として書くために」一つ一つ詳しく調べて回ることにして見て回る。
 夜市では人の世では見慣れない物や用途が不明な物が多く売られている。
 詳細が知りたくて質問しようとした時に魅魔の気配が消えていることに気付いた。
「……不味いな、俺は浮かれるあまり離れてしまったようだ」

 ――手を離さないでください。私は気まぐれなので何処かへ行ってしまいますよ。
 先にそう注意されていたにも関わらず彼は自分から手を離していた。そして何よりの失敗は慌てて周囲を探し回ってしまったことだった。気付くと彼はどの方向から歩いて来たのかさえ分からなくなっていた。
 不安になると自然と一人言が多くなった。
「果たして生きて人の世に帰れるだろうか」
 知らない場所を一人で彷徨い歩く道、足元は暗闇に消えている。
「本当に別世界に迷い込んでしまったようだ……」
 ここが人に取っては危険だと分かっていても経験することが何よりだった。言葉や想像力の元には「体験」があると彼は考えていたからだ。そしてまだこの状況に対して危機感を持たずに妖しの世界に見蕩れていた。
 それは命取りにもなる迂闊過ぎる好奇心だった。
 だけど次第に彼のその浮かれ気分は覚めて行く。
 歩けば歩くたびに目印を失い、自分が今何処にいるのかすら危うく感じ始めたからだ。まるで灯台の灯りを見失った船のように彼は暗闇の中で彷徨っていた。

後書き

「月と缶チューハイ」より転載。
http://moon-can-zhuhai.info/

この小説について

タイトル Remain 3
初版 2017年4月9日
改訂 2017年4月9日
小説ID 4917
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作家名 ★青樹 凛音
作家ID 1080
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