Remain 4

 彼は足元が見えないような暗がりの道の上を手探りで歩いていた。
「出口は何処だろうか。今はこんな不気味な場所から抜け出したい」
 彼が迷い込んだ先は光さえ届かない暗闇の道。それは先程の妖しさとは毛色の違い怖さのある世界ばかりだ。そこで彼が別世界に垣間見た存在たちは人の形をしていない不気味な存在ばかりになっていた。
「何処かに人は居ないのか」
 そう言って駆け足で自分以外の人を探していた。
 せめてどの方向へ歩けばいいかを知りたかった。
 もう帰れないかと思うと、日頃は見下していたあの人の世界が恋しくなっていた。

 黒猫が横切る細い道の上に彼は居た。
「あそこに見えるのは果たして人だろうか」
 彼は一人の女性が近くに居ることに気付いた。近寄って見るとそれは美しい女性で、美しい白く長い肢体が闇夜に浮かんでいる。彼はようやく「人の形をした存在」と出会えたことに安堵した。そして緩んだ表情で声をかける。
「もしもし道を訊ねたい。人の世はどちらの方向だろうか」
 彼女は答えなかった。それでも指で方向を示してくれた。
「助かりました。あなたが話が通じる人間で良かった」
「――そう言うとあなたは」
「ええ、夢食いに案内された人間です。ですがこれで無事に帰れそうだ」
「ふふ、嫌ですよ、まさか人間だったとは。夜市に参加していい者は妖しなど人外の存在だけです。知らないと言いたげですがそれが決まりごとです」
 女性はそっと彼の首に触れようと手を伸ばしてくる。
 魅魔の居ないこの状況では彼は命の危険を感じ取り恐怖を覚えていた。
「そんなに命が「人の世の中の生が」あなたには大事ですか」
 その問いかけに彼は震える声で答えた。
「俺にはまだ成していないことがある。俺は作家になるまでは死ねない」
 その言葉は彼女に取っては意外だったようで、彼に触れる直前でその手を止めた。どうやら彼のこの先に少し興味があるようで笑った。

 女性は彼の目を見て聞いた。
「見逃してもらいたいたいですか」
 上手く言葉が出ずに、彼は必死に首を縦に振るだけで精一杯だった。
「それでは命の代わりにその懐の物を奪って行きます」
 そう言って懐を指先で示した。それは彼の原稿だった。
 けれど彼は「命を奪われるよりはマシだ」と思ってしまいそれを渡してしまう。こうして彼は事なきを得たけれど、また同じようなことが起きた時は、次こそ妖しに取って食われるかもしれないと彼は帰ることにした。
「妖しの世界は魅力的だけど長居するには危険なようだ」
 そう呟きながら女性の示した方向へ歩き始める。
 しばらく進むうちに遠くから童歌が聞こえ始めていた。彼は「誰の声だろうか」と不思議に思ったけれど今はそれほど大事ではないと深く考えなかった。それは子供の声でどうやら「通りゃんせ」を歌っているようだ。

 ――通りゃんせ、通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ
   天神さまの 細道じゃ ちっと通して 下しゃんせ
   御用のないもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに
   お札を納めにまいります 行きはよいよい 帰りはこわい
   こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

 示された道の上に二人の幽霊が居て彼に聞いた。どうやら妖し世界と人の世の関所のようで、一人は刀を、もう一人は書類を手に持っている。
『名前を言え。人の名前なら取って食う。答えられぬ時も取って食おう』
 今ここで本名を答えることは危険だと彼は本能的に悟っていた。
「……俺の名前は「二葉亭 漱石」だ」
 そう答えた。筆名であっても名であることには変わりがないだろうと。
『聞いたことのない名前だ。私の持つ「管理帳」には記載がない』
『一致しないのなら人にあらずだ、通れ」
 実名ではないので命を奪われることはなかった。中身がなくても名前であるために妖しの追求から逃れられたようだ。しかし中には名前の提示以外に追求する存在も居た「置いてけ堀」を通った時に青褪めた亡霊に言葉をかけられた。
『通りたいなら「置いて行け」お前は見たところ人間のようだな。死銭を持っていないのならお前が持っている「何か」を置いて行け』
 彼は震える口調で聞き返した。
「一体ここに俺の何を置いて行けと言うんだ」
『お前の手に宿った、その二つの財産を置いて行ってもらおうか』
 そう言って亡霊は何かを彼から奪い取った。
 それはこの妖しの世界では無一文の彼が持っていた二つの財産。
 彼が積み上げてきた「文才」と「想像力」
 彼はその二つを取られたことを今一つ理解出来なかった「一体奴は俺の何を取っていったのだろう」と考えていた。それでも早足で人の世へ向かう。そして彼「二葉亭 漱石」は才能と想像力さえも失ってこの世に何とか戻ってこれた。

 ・・・・・・・・・・

 彼が光を感じ取る、朝の光が部屋の中を鈍く映し出していた。
 気付くと家の中に仰向けで倒れているようだった。
「どうやら無事に帰って来れたようだ」
 魅魔はまだ部屋に帰って来ていないようだった。
 昨夜見たものは夢ではないようだ、部屋の何処にも書き上げた原稿が見当たらない。それは昨夜、彼があの女性に差し出した物だった。だけどそれについて彼は「無事で良かった」としか思わなかった。命の方が大事だと考えたからだ。
「原稿など命があれば幾つでも書ける」
 彼は一度、部屋を出て一階の共用の水道へ向かった。
 顔を洗いながら昨日の出来事を頭の中で整理しようとした。何時もならば直ぐに小説の道筋が浮かぶはずなのにぼんやりとしていた。
「そう言う時もあるだろう。ペンを持てばすぐに冴えるはずだ」

 二階に戻りすぐに夜市について書き出そうとした。彼は何時もと同じようにペンを握ったけれど言葉が浮かんでこなかった。何時もならば文才と想像力で文字から文字へと繋いで「文章になる」はずなのに何一つとして書けなかった。
 言葉の一つ一つの「繋がり」が見出せなくなっていた。
 彼は「疲れ」のせいだと思うことにした。
「俺も東京に来て毎日書きすぎだったかもしれん」
 特に昨日は疲れたと、少しは休もうとペンを置いた。
 気付くと、部屋の隅で静かに座っている魅魔が居た。
「お前は何時の間に帰って来たんだ」
「先程ですよ。二葉亭さんはよく無事に戻ってこれましたね」
 魅魔はそれだけ言うと何かを言いかけながら止め、横になって眠ってしまった。

後書き

「月と缶チューハイ」より転載。
http://moon-can-zhuhai.info/

この小説について

タイトル Remain 4
初版 2017年4月12日
改訂 2017年4月12日
小説ID 4918
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作家名 ★青樹 凛音
作家ID 1080
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