サトウ家の人々

 1パック3個入りのプリンが冷蔵庫にあった場合、わが家では戦争になる。
 まずわたしと兄がひとつずつ食べ合い、残るひとつをどちらがいただくかを係争するのだ。兄は大の甘党であり、糖分を摂取することに関して一切の妥協を許さない厳格な人柄である。プリンを勝ち取るためにはあらゆる労力を惜しまず、妹のわたしに譲ったり、手心を加えたりすることは決してない。
 たたかいはいつも、わたしに不利であった。当然だ。年も違えば、性別も違う。腕力で兄に勝てる見込みはなかった。
 母を味方につけることを思いついた。母はわが家の支配者も同然である。この後ろ盾をもってすれば兄などおそるるに足りない。
 わたしは兄に悟られぬよう、秘密裏に母に接触した。
「お母様、お話があります」
「なんですか? わたくしは今いそがしいのです。これこのとおり、『大岡越前』に夢中なのですよ」
「もうしわけありません。ですが、どうしても聞いていただきたいのです。お兄様のことです」
「しかたがありませんね。どうしたというのです?」
「はい。お母様も知ってのとおり、お兄様は甘いものをこよなく愛しておられます。それ自体はけっこうなことですが、近ごろとみにおなかがふくれてきているように思われませんか? わたしは以前に弟か妹がほしいと駄々をこねたことがありましたが、まさか兄から産まれてくるのではないかと気が気でなりません」
「安心なさい、そんなことはありません。あれはただのデブです」
「わかっています。わたしが言いたいのは、お兄様が日に日にデブっていくことについて、お母様は心配なさらないのかということです」
「痩せるよりは良いのではなくて? あなた、自分の身体を見てみなさいな。もうすこし肉付きを良くしたほうが見栄えが良くってよ」
「ほっといてください。わたしのことは良いのです。それよりお兄様のことです。肥満は万病のもとと言います。ご自愛なさるよう、お母様から一言おっしゃってはいかがかと」
「わたくしが言ってどうにかなるとは思えないのだけれど。あなたも知っているでしょう? 糖分に対するあの鬼気迫るほどの執着……わたくし、あの子の名前を『グラニュー』にすれば良かったと思っているわ」
「ハイカラで良いと思います。でも……そうですね、わたしなら『甘太郎』にします」
「あら、それでは居酒屋ですよ。訴訟を起こされてしまうわ」
「そ、そうなんですか。すみません、未成年なもので……」
「いいのよ。でも、訴訟になったときには謝ってはだめよ。毅然として開き直らないと」
「はい……それで、お兄様のことですが」
「そうだったわね。でもやっぱり、わたくしが何か言ったところであの子が甘いものから距離を置くとは思えないわ。それにおなかだって、そんなにふくれているかしら? あのくらいで妊娠を想像するだなんて、あなたきっと、将来は想像妊娠でまわりをふりまわすにちがいないわね」
「へ、へんなこと言わないでください! 今はお兄様の話です。そういう心配も、お兄様になさってください」
「男なのに想像妊娠するなんてことあるのかしら……それはたしかに心配ね」
「ちがいます。今はまだ、お兄様のおなかはほどほどのふくれ具合かもしれませんが、考えてもみてください、このままでは今後しぼむ見込みはないのです。世間はデブにたいへんきびしいと聞きます。世の女性たちはシュッとした男性を好むのです。ぽよん、よりも、ムキッ、がちやほやされるご時世なのです。このままではお兄様は女性に見向きもされず、『プリンス・オブ・プリン』とか『汁なし豚汁(汗だく)』とか『血糖大王』などと揶揄されながら生きていくことになってしまいます。お母様はそれでも良いとお思いですか? わたしは、お兄様にはきちんと女性経験を積んでもらって、ゆくゆくは芯のしっかりした気立ての良いお嫁さんをもらってほしいと思っています。でないとわたしの将来設計が台無しになってしまいますから」
「わたくしは、老後の面倒を見てくれるならどちらが家に残ってくれても構わないわ」
「ごめんこうむります。わたしは悠々自適な生活にあこがれているのです。将来の旦那様は高収入で、長男でなく、妻の言動に文句をつけない方と心に決めております」
「どうしましょう……わたくし、あなたのほうが断然心配になってきたのだけれど」
「心配ご無用です、お母様。わたしは常日頃から男性を掌中に収める手管を研究しておりますので」
「ほんとうに? あなたのおてんばっぷりを見るに、その手管が成果をあげるとはとても信じられないのだけれど。小さいころから、いつまでたっても生傷をつくってばかりだし……」
「生傷はお兄様のせいです。いえ、生傷だけではありません。だいたいのことはお兄様のせいなのです。お兄様がプリンを譲ることをしないばかりに、わたしは欠食児童のように貧相な身体のままで……せめてお兄様のおなかの半分でもこの胸がふくらめば……」
「何を言っているのです。ひとつは食べているではありませんか」
「いいえお母様、わたしはふたつ食べたいのです。いつもお兄様がふたつ食べるのがどうしようもなく気に入らないのです」
「たとえふたつ食べても、胸がふくらむとは限らないのですよ?」
「わかっています。覚悟の上です」
「ふぅ……そう、あなたの決意のほどはわかったわ。でも何度も言うけれど、わたくしにあの子のことを止めることなんて――」
「わたしに考えがあります。聞いてもらえますか」
「……なにかしら」
「1パック3個入りのプリンを買うのをやめるのです。3個入りこそがすべての元凶なのですから」
「あなた何を言っているの? プリンはいらないということ? あなたがプリンを食べたいという話ではなかったの?」
「もちろんプリンは食べたいです。ですが、3個入りである必要はないのではありませんか?」
「ではいくつ買えば良いと言うのです。4個入りですか? あれはいくらか高いのです、おいそれとは買えませんよ」
「お母様、買うのは、ひとつで良いのですよ、ひとつだけで。すこしおいしいのが買えるでしょう、同じ金額で」
「…………」
「それを、お兄様に気づかれないようこっそりわたしに渡してくだされば良いのです。わたしはうれしいし、お兄様のおなかもしぼみます。ひいてはお母様の老後も安泰でしょう」
「……それは、できないわ」
「なぜです」
「わざわざ3個入りを買うのには理由があるのです。ひとつはあなたの分、ひとつはあの子の分、残るひとつは――あの人の分」
「えっ、まさか……」
「そう、ほんとうはあなたのお父様の分なのですよ、あなたたちがいつも取り合っているプリンは」
「そっ……そうだったのですか……」
「あの人はもう大人ですからね、あなたたちとちがってプリンに執着なんてしません。3個入りがあなたたち兄妹を争わせているのはわかっています。でもわかってちょうだい。わたくしはそれでも、妻として、あの人のプリンを用意しないなんてできないの」
「…………」
 わたしは動揺を禁じ得なかった。まさか、思うがままに権勢をふるい、わが家の絶対的支配者として君臨している母が、その実は父を慮っていたとは……
 はっきり言って、わたしは父の存在を軽視していた。経済的見地から父が必要であることは理解していたけれども、わが家の趨勢はあくまで母の意向によるのだと思っていた。わたしは母の振る舞いに影響を受けるところが大きく、それゆえの高望み甚だしい将来設計でもあったのだ。
「……お母様のお気持ちはわかりました」
 引き下がるわけにはいかなかった。なおのこと、母に食い下がらなければいけなかった。
 わたしは、やはりなによりも、兄の横暴が許せないのだ。
「ですが、それならお父様に是非にも最後のプリンを食べていただきましょう。わたしもひとつで我慢します。お兄様だって、お父様がご所望とあらば不満を口にできる筋合いもありません。これぞ平和的解決です。お母様も本望なのではありませんか?」
 ところが、母は目を伏せたまま、ゆるく首を振るのだ。
「……あなたは、昔のあの人を知らないから」
「どういうことですか?」
「あの子の、あなたの兄の泣く子も真顔になるほどの甘党ぶりは、あの人譲りなのです。いえ、もっと苛烈だった。ひとたび甘味を食せば、辺り一帯で深刻なケーキ不足が発生し民衆はやむなくパンを食べるしかなくなると言われるほどで、『スウィーティーとは柑橘ではなく彼のことだ』と巷でおそれられていたわ」
「そんな、嘘でしょう? お父様、あんなにシュッとしてらっしゃるのに。シュッとしてて、ポキッといきそうなのに」
「もしもお父様がプリンを食べたら、ひとつだけでは済まされない。最低ふたつは食べるでしょう。ともすればみっつとも。そのときには、あなたの分は……」
「ああ、わたしの、分なんて……」
 愕然とした。兄と、ただひとつきりのプリンを奪い合う。しかも、そのひとつさえないこともあるのだとすると、兄はプリンの確保のためには悪魔に魂を売ることもいとわないだろう。無力なわたしにいったいなにができるだろうか。兄がプリンをむさぼり食うさまを、ただ指をくわえて見ることしかできないのではないか。
「……わかりました」
 打ちひしがれて、わたしは折れた。
「ごめんなさい。わたくしがふがいないばかりに、あなたたちの争いを止められない……」
「いいえ、お母様のせいではありません。やはりわたしにとってお兄様は不倶戴天の敵だということです。今は無理でも、いずれはプリンをこの手に勝ち取ってみせます。たとえお父様がプリンをご所望されたとしても」
「ありがとう、そう言ってくれてうれしいわ。わたくしも、いつか3人で3個入りを平和的に分け合う日が来ることを心から祈っています」
「おまかせください。それにしても、あのナナフシのようなお父様が昔はデブっていらしたというのはおどろきでした。きっとダイエットには苦心されたのでしょうね」
「そうね、あのころはたいへんだったわ。あの人、そうとうに荒れていて……もう糖と名が付けばなんでもかまわないと言って、誤って唐辛子をむしゃむしゃ食べて悶絶したりしたものよ」
「お父様がそんなありさまではお母様もたいへんだったでしょうね。お母様だって、たまには甘いものを食べたいときもあったでしょうに」
「そう、ですからわたくし、甘味はこっそりたしなむ癖がついてしまって、いつもかくれて食べるのです」
「いつも? えっと……それは、どういう……?」
「ですからね、あの人に見つかったらたいへんなことになってしまう、と今でもついつい思ってしまうのよ。こまったものね」
「え? 今でも? え?」

この小説について

タイトル サトウ家の人々
初版 2017年5月13日
改訂 2017年5月13日
小説ID 4938
閲覧数 72
合計★ 4
こてさきのてばさきの写真
熟練
作家名 ★こてさきのてばさき
作家ID 1074
投稿数 16
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活動度 1588

コメント (1)

弓射り 2017年5月19日 9時23分30秒
兄のデブいじりは斬れ味が良くて好きです。
親父いじりも加えて、もうひとつ畳み掛けてほしかったかも。
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