ウツ空からの平和論 - 続『ウツ空からの平和論』(2)

私は経済的なことも関係しますが、主に健康上の理由で警備員の仕事を続けています。
実は夫婦で鬱病でありながら、二人ともあまり精神的負荷のかからない職業について過ごしております。無理のない範囲での仕事であれば、家庭で養生するよりも健康的な生活を送ることができると信じているからです。実際発病してもう十年を超しますが、一日も休むこともなく週三日の夜勤をこなしております。とはゆえ仕事が済むとさすがにぐったりではあります。それでも鬱病なんかには負けないとの信念で持続しています。
警備員と言っても館内警備とフロント雑務の仕事でして、交通整理や対話を要する仕事内容ではありません。鬱を患う身としてさほど神経を使う必要がなく助かっています。
それよりも巡回チェックで館内をまわる行動が階段の上り下りなので、足腰が鍛えられるというメリットの部分が多いと感じております。

私の勤務するホテルは観光ホテルではありますが、学生の研修旅行つまり修学旅行がほとんどです。ですから国内の高中小学生が対象です。中でも中学生を多く受け入れています。
生徒の多い学校ですと一度に200名を超える団体になります。
この中学生を引率する先生方のご苦労は、大変なものだと理解しております。
何故ならば年齢的に小学生、高校生と比べた時に最も難しい年頃だと言えるからです。
いわゆる思春期の真っただ中の団体研修です。研修と言っても生徒たちにとっては実質旅行気分100%ですから気分は高揚しています。愉快でたまらない気分が満ち満ちています。毎夜、大浴場から漏れ聞こえる大歓声は凄いものがあります。
ですからはめを外すこともあれば、怪我をしたり興奮して鼻血を出したり熱を出したりもします。一つの学校で必ずと言ってよいほどに、一人二人は就寝前になるとそれらを訴える生徒がいるから不思議です。

仕事で私が実践していることは、ルールに基づいて行動していただくことです。
当ホテルの館内は原則スリッパを着用することになっていますし、学校もそれを徹底してはいるんですが、部屋から部屋に移動しているときや、風呂上がりなどでいつのまにかスリッパを紛失したり無くしたりすることがあります。中には絨毯の上を歩くのが気持ちよいからという確信犯もいます。原則絨毯は土足です。
例えばスリッパを履いていない生徒には、“スリッパを履かずに出入りすると畳が汚れるからと”具体的に指摘して、新しくスリッパを与えます。たいがいそれからはスリッパを着用してくれているようです。
ルール違反という目で見るならば、スリッパを粗雑にあつかう生徒の多い学校は、落ち着きがなく腕白な生徒が多いと感じられます。都会の中の学校と地方の学校と比較した場合、都会育ちの生徒は地方の生徒に比べて落ち着きがなく、対人的に攻撃的なケースが多く見られます。ですから今日が関東の都会からの生徒だと知ると、つい身構えてしまいます。各方面別に気性や態度の違いがあることは、おそらく気象や生活環境が影響しているのかも知れません。調べてみると案外面白いかもしれません。 

それらは挨拶の仕方にも現れます。顔を合した時に自分から自主的にはっきりと挨拶をする生徒の学校は、行儀正しい性格の生徒が多いように思われます。
すれ違いで挨拶のまともにできない学校は、不思議と先生もあまり挨拶がよくありません。
中には生徒に積極的に挨拶をしても、先生や私たちに対して知らんそぶりを見せるケースもあります。第三者的に見ると明らかに大人や先生を舐めてかかっています。
学校によっては一見生徒と先生が仲の良さそうな学校がありますが、じゃれる様に接するそれは先生の大きな勘違いであり、実は完全に生徒に舐められているように思えます。
又、そう言った学校に限って『説教部屋』などを構えて、闘う前から臨戦状態で臨んでいるケースが多いようです。

通常の学校は班長会等を組み込み、その席で汚れ役として厳しく総括をする先生が多く存在します。学校によってその役目は男の先生であったり、女の先生であったりします。
日本の未来を担って立つべき存在を、あやまった道に進まないように教育し育てていく先生方のご苦労は大変な仕事ですし、崇高なお仕事だと思います。
クラス長会や班長会などを開いて、説教やら注意喚起などをまともに開催できる学校は真面目な生徒が多く、それがまともに出来ていない学校はどちらかと言うと落ち着きのない行動に走る生徒が多く見られるようです。

彼らはゲームを通して正義を学び、暴力を学びます。ゲームの世界と現実の世界の見境がつかなくなったらどうなるのでしょう。彼らを取り巻く身近な人々の助言や声掛けが大事な要因になることでしょう。そう言った意味で、間違っていることは間違っていると言い切れる大人の存在が大事ではないでしょうか。見本を見せていく大切さを感じずにはいられません。教え育む行為はまことに崇高な精神性をはらんでいます。
自分を振り返った時に、厳しくも優しかった先生方をいつまでも忘れられない記憶が残っています。 

修学旅行という研修旅行は、ある意味絶好の教育の場かも知れません。日常の中では見えない生徒の非日常な実態と接する機会だと考えるべきだと思います。
最近は新聞紙上を埋める少年少女の残忍な事件が目立ちます。非行に走る生徒を見て注意することを躊躇っていたら、それこそ永遠に暴走を止めることはできないでしょう。
修学旅行はルール違反を諫めていく絶好の機会でもあります。しかし常日頃の環境こそが大事ではないかと思います。いきなり旅行で先生方が豹変してしまえば、それこそ子供はパニックを起こすことでしょう。“常日頃から学校で挨拶し合う環境を整えること”も、大事な作業のように思われます。時間をかけてでもそれを心がけていければ、きっと有意義な結果を招き寄せることが出来るのではないかと強く思っています。

学校教育に携わっている先生方の中には、心労から鬱病に追いやられる方々も多くいらっしゃるのではなかろうかと危惧しています。実際そうである実態の話を聞いた覚えがあります。大変でしょうが”人を育てる“崇高な志に燃えて頑張って下さるよう願わずにはいられません。

私の見解が間違ってなければ、鬱病患者の場合は笑顔を作るのが苦手です。無感動な精神状態に追いやられるケースが多いのだと思います。鏡を覗くといつの間にかうっとうしい顔になっています。だから鬱病なのでしょうね。(笑)
私は仕事を通して喜怒哀楽を出せるように、日々訓練だと思って取り組んでいます。
両頬の筋肉を使いやや引きつりながらでも、笑顔をつくり意識して挨拶ができるように心がけています。そうして挨拶できた時には相手も笑顔で返してくれます。そう言った意味で毎日が鬱リハビリのような環境で仕事ができていて幸いです。

私の業務の一つに見送りの任務があります。
ホテルの駐車場から大通りに出る際、大型バスが4、500メータの細い道を通るのですが、対向車のタイミングを見計らって誘導する必要があります。
毎朝フロントメンバー総出で対応するのですが、警備的にも対向車がこないタイミングを計るわけですが、スムーズにバスが通過すると見送る形で手を振ります。
すると乗車している生徒が多く手を振ってくれます。やんちゃ坊主も手を振ってくれます。この時私は、みんな素直で幸せになるように祈りを込めています。
まさに一期一会でしょうが、それが私のルールだと思っています。

人と人の出逢いがもたらす喜びやいざこざも、心を開いて接すれば分かり合える。
これは民族と民族、国と国の場合でも一緒ではないだろうか?
そんな事を考えながら、仕事の合間に今日もこの文を書き上げました。

5月21日(日)

後書き

ちょいと精神状態が快晴ではありません。
そんな中での執筆だったので、掲載をためらったのですが、
どんな時にでも表現ができる自分になるべきだと思うちょります。
日常の中にも平和論は潜んでいると考えます。

この小説について

タイトル 続『ウツ空からの平和論』(2)
初版 2017年5月24日
改訂 2017年5月24日
小説ID 4943
閲覧数 124
合計★ 5
そら てんごの写真
ぬし
作家名 ★そら てんご
作家ID 675
投稿数 30
★の数 106
活動度 7730

コメント (2)

★アクアビット 2017年6月12日 15時10分16秒
そらさんの日常が垣間見えて、
わくわくしながら読みました。

平成時代になって、
この国の教育環境は悪化する一方ですね。
『心をひらく』
これが実は一番大切で、一番難しいことなのかな。
そら てんご コメントのみ 2017年6月12日 21時06分36秒
アクアビットさん
本当に心を開いて対話をすることは、
難しいことですね。

口論ではなくて対話し分かり合える世の中になることを、
祈るのみです。
名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。