あのときのガメオ君(前編)

 鈴成君は冬が好きだ。それは雪の多い町で生まれ育ったことと無関係じゃない。
 鈴成君は他人と一緒にいるのを好まない。人間が嫌いというのとは違って、他人が近くにいて意識している状態を負担に感じるので、できるだけ避けたいと考えている。ようするに、一人のほうが気楽だということ。やりたいことを気兼ねせずできるし。
 故郷では、冬が深まると町ごと雪に埋まって、外に出られなくなった。友達に遊びに誘われることもなくなる。みんなは、つまらない、退屈だ、と文句を言っていたものだけれど、鈴成君は内心ではほっとしていた。部屋にこもってストーブを焚いて、静かな部屋でぬくぬくと過ごしていられるからだ。
 今は、静けさよりも音楽があることを好む。ヘッドホンをつけて、大音量で存分に重低音を楽しんでいる。「耳が遠くなるよ」と心配されるが、「それも本望です」と答えるようにしている。本当は、音楽が聴けなくなるのは嫌なのでひかえめを心がけている。
 ヘッドホンをはずすと、しばらく耳鳴りが残る。頭蓋骨を何かが浸透しているような、そんな感覚。頭の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれた音が、外の静寂と置き換えられていっているのだろう。そうしていくらか時間が経って、耳鳴りがすっかり止んでしまっても、しかしどこか静けさが足りないように思える。とりわけ何が聞こえるわけでもないのだが、分厚い雪に包まれた環境とは違うものらしい。だから音楽を聴くようになったのかなと鈴成君は思っている。
 冬の日、ぬくぬくしい部屋で鈴成君は筆をとる。ペンの比喩ではなく、れっきとした毛筆だ。鈴成君は書道を趣味としているのだ。
 といっても、けっして仰々しいものじゃないし、そもそも書道と呼ぶことが適切かどうかもあやしい。文字や文章は一切書かずに、てきとうに思いついた模様なんかを気の向くままに書いているのである。「どうせなら字を書く練習をしたらいいのに」と呆れられているが、一般に書道と呼ばれるものが字を書くものだからそういう意見が出るだけであって、自分の趣味とは無関係だと鈴成君は考えている。たまたま同じ道具を使うだけの、まったく別のものという認識なのだ。写真を撮ったり絵を描いたりするのに近い。それらと並べるとどこか高尚な雰囲気が感じられるが、まあ端的にいってラクガキといって差し支えない。
 素直に写真や絵画をたしなむことをしないのは、センスがないからである。少なくとも鈴成君はそう思っている。人並み以上にできないことを続けるのは、いわゆる下手の横好きというやつであって、あまり感心できたことじゃない。しかしだからといって誰もが首を傾げるようなことに没頭するのもいかがかと思われるところなのだが、そこまで深くは考えていない鈴成君である。最近になって、「他人にあれこれ寸評されるのが嫌なんでしょ?」との指摘を受け、なるほどそうなのかもなぁ、と遅ればせながら思い至った次第。
 ただ、書いたものはすべて何らかのかたちで残してあるので、きっと鈴成君なりの愛着があるのであろう。今でこそスキャナーによってデジタルデータとして保存しておくことができるようになったが、以前は紙の束が押入れの一角を占領していたものだった。
 墨を磨り、紙を前にして精神を研ぎ澄ませていると、しばしば猫がまとわりついてくる。この猫は水アメといって、鈴成君の同居人の一方である。鈴成君自身は、猫に特別な思い入れはない。じゃあ犬派かというわけでもなく、至ってニュートラルな立場だ。ただ、最近は、ややうっとうしいと感じる。こうして邪魔をされるからだ。しかし妙になつかれている。「お地蔵様だと思っていたらマタタビ臭がするから不思議なんじゃない?」「それなら野良猫にもたかられそうですが」「冗談はさておき、やたらと構ってくる相手にはほうっておいてほしいと思うけど、ほうっておかれると構われたくなるわけよ。押して駄目なら引いてみな、っていう恋の駆け引き、あれね」などという見解が提示されたが、鈴成君にはいまひとつピンとこない。どう考えても、猫は人間に恋愛感情なんて抱かないだろう。それなのに人間同士の恋愛心理を安易に引き合いに出すのは適切とは思えない。そんなことでは、もっと別の、猫特有の動機には迫れないのではないか。たとえば、お地蔵様のように動かない物体の低頻度の動作が、たまたま猫がもつ何らかの習性に合致する、みたいな。
 携帯電話がメッセージを受信する。着信音はヘッドホンに遮られて聞こえないが、ランプが光るので気づける。筆と紙とに神経を集中させていても、武道の達人のように周囲への注意は怠っていないのだと鈴成君はうそぶくが、しばらく気づかずに放置することは少なくない。
『ブリ大根をつくったよ』とあった。受信から10分と経っていない。これはもう、着信音を手動で止めて確認したも同然だ。そういう時間帯であることを意識していたからだろうと鈴成君は自己分析する。一人で暮らしていたときには決まった時間に食事するなんてしなかったから、そういうことを意識するようになったことには多少なりとも感慨をおぼえる。
 筆を置いてダイニングへ行くと、さやかさんがテーブルの上に料理を並べているところだった。メッセージに気づかなくても、さやかさんは特に鈴成君に呼びかけるようなことはしない。食卓が整えば一人でも粛々と食べる。「声をかけてください」とお願いしても、さやかさんはそうはしない。伝えてはあるので、あとは鈴成君の都合だというのである。
 べつに怒っているわけじゃないらしい。少なくとも鈴成君が見るかぎりにはそうだし、さやかさん本人もそういう意思表示はしない。
 しかしごはんを用意してもらっている立場としては心苦しいし、ずいぶん時間が経ってしまってから一人で食べるのはたいへん居心地が悪い。食事の時間を意識しないわけにはいかなかった、というのが正直なところだ。
 もともと鈴成君は食事に頓着しないタチだ。好き嫌いなく何でも食べるし、逆にほうっておくとろくに食べなかったりする。運動の類に縁遠いため、以前は断食を繰り返すお坊さんのように痩せこけていた。このごろはさやかさんのおかげですこぶる血色が良い。
 子供のころはむしろ太っていた。運動会の写真を見たさやかさんに「ん? どっちが大玉かな?」といわしめるほどであった。その原因は、鈴成君の祖父母にもとめられる。一人っ子で、両親が不在がちな鈴成君は、祖父母に甘やかされていた。雪深い厳しい土地柄もあってか、祖父母は孫にひもじい思いをさせてはいかんと食べ物を絶やさなかった。差し出されるまま口に入れる鈴成君は、かくしてまるまるとしたお子さんに成長する。鈴成君自身は、当時からさして食欲に関心があったわけでもないにもかかわらず。
 というよりも、そもそも食欲の大元である空腹感をおぼえたことがないのではないか。そのような危惧に考え至ったのが中学生のころのこと。食事に頓着しないようになったのはそれ以来だ。いわば意識的に無頓着を装っているのであって、生来の資質というのとは違う。擦り切れるような空腹感をおぼえることに生の実感をもとめているようなところもあって、当時の反動なのかもしれない。
 一方のさやかさんは、食べることに幸福を見出しているふしがある。テレビで紹介されているお店のものをすぐに食べたがるし、自ら腕をふるうときにも手が込んでいる。鈴成君はその腕前を高く評価しており、いつもおいしくいただいているのだが、「味音痴の人にほめられてもね」とさやかさんは素直に聞き入れてくれない。さやかさん的には失敗してしまった日もあるわけで、それなのに鈴成君の感想は一言一句違わず「おいしい」なのだから無理もない。でもそうとしか思わないのだからしかたない。
 そうでなくとも、これまでに知り合っただいたいの人から感情が読みづらいと評される鈴成君である。話し方は淡々としているし、表情のバリエーションにも乏しい。そのうえ人付き合い自体に消極的でもあったので、一定以上親しい間柄というのはほぼ皆無だった。
 大学生になったとき、故郷を離れる不安も相まって、鈴成君はそのような自分の性質を省みて、積極的な人間関係の構築を検討した。まあ結論から言えば、少し考えてみたていどで特に具体的な行動を起こしたわけではないのだが、その心境の変化はわずかなりとも影響をもたらし、気の迷いを生んだ。中学高校時代、部活動に見向きもしなかった鈴成君だったが、サークルに所属したのである。平静であったならありえなかった、と鈴成君はのちに振り返る。
 入学して間もないころ、たまたま少し親しくなったクラスメイトに誘われるままに入ったという不用意極まりないきっかけではあったが、『出不精同好会』と名乗るそのサークルはインドアな遊びを手広くやるという活動内容で、鈴成君の嗜好に近かった。ちなみにサークル員の半数が太っていたが、人間を太っているか痩せているかの二種類に区別した場合、確率的には偏りのない分布だ、とのことだった。そりゃそうだろうな、と鈴成君は聞き流したものだった。
 その出不精同好会が、さやかさんとの初対面だった。さやかさんは鈴成君の一学年上で、太っていたかどうかは、まあ確率的に半々である。サークル員にはデブも多かったが、同時におとなしい人柄も多く、人間関係はおだやかだったが、それにしてもその中にあって鈴成君の無味乾燥ぶりは異彩を放っていたため、さやかさんは「君は、多くの人が相互理解を求めて正確なニュアンスを伝えるために工夫を凝らす部分を怠っている」などとたびたび説教をした。鈴成君としては「はぁ、すみません」と曖昧に謝るくらいしかできない。さやかさんとて、鈴成君の態度によって迷惑をこうむっていたわけじゃないし、そもそも当時の二人は取り立てて親しくしていたわけでもなかった。たまたま部室で顔を合わせて、ときどき「怠慢だ」「申し訳ない」と益体なく繰り返すだけの間柄だった。
 交際をほのめかす意思確認のようなものが行われたのは、さやかさんが卒業する段になってのことだった。「暇なとき電話するから、そのつもりで」とさやかさんは言った。鈴成君は「はい」と頷いた。それまで電話越しに話をしたことはなかった。
 その後、言葉どおりの低頻度のやりとりが数年ほど続いて、居を同じくしたのがここ数か月の出来事。急転直下の事態だが、そこに至る劇的な展開があったわけでは全然ない。さやかさんからの要望であったことは確かだが、いったいどのような思惑があってそのような話を切り出したのか、いまだに計りきれないでいる鈴成君である。
 にもかかわらず同意したことに関しては、いかな鈴成君といえども思うところはある。
 ときどき、二人でどこかの店へ食べに出かける。鈴成君にとってはほとんど唯一といっていい休日の外出の機会である。さやかさんは、テレビで知っては食べてみたいとこぼすけれども、具体的な計画を立てることはないので、話をもちかけるのはもっぱら鈴成君のほうだ。
 本心で言えば、出かけるのはいつだって億劫だ。冬は寒いし、夏なら暑いし、気候が良ければ人が多い。外出に都合の良い日なんて存在しない。出かけないのが間違いなく最良の判断。それでも、一種の義務感として、鈴成君はさやかさんを誘うのだ。
 責任感、と言い換えてもいいし、あるいは、積極性、と呼んでもいい。
 それらははたして自分の中で恒常的に存在し続けるのかどうか。それが問題だ、と鈴成君は考える。ブリ大根を食べながら「おいしい」とつぶやく今も、考えている。
 そうしておもむろに、切り出すのだ。
「ずいぶん前にですけど、友達の彼氏が、ゲームがしたいからといってデートを断ったとかって話、しましたよね。なんていいましたっけ、名前……えっと、オメガ君?」

(続く)

この小説について

タイトル あのときのガメオ君(前編)
初版 2017年5月27日
改訂 2017年5月27日
小説ID 4944
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こてさきのてばさきの写真
熟練
作家名 ★こてさきのてばさき
作家ID 1074
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活動度 1588

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