ANOTHER WORLD 〜外伝〜

2018年3月15日完結
=64頁 17996文字=
=原稿用紙44.99枚分=
<<ANOTHER WORLD 外伝>>

「スコーピオ」

呼ばれて振り返るまでもない。
見知った顔が数体、並んで立っている。

「おまえ、宿賃払ってないんだってな」
「チャン・ランさんが怒ってたぞ」

スコーピオは黙っていた。
彼らの目的は所持品を巻き上げることだ。
何を言っても無駄だから、拳を固めて待った。

「おまえもこの町の生まれだろ」

無遠慮に近付いてくる誰もが、スコーピオの体格の三倍はあった。

「ここで生きてくやりかた、知らねえとは言わせねえぞ」

みんな、硬くて丈夫な毛皮を持っていて、爪も牙も立派だ。
防御率を上げるには、剥きだしの皮膚を布で覆うしかない母星型のスコーピオは、どう見ても、細くて小さくて、弱そうだった。

「ほら。宿賃寄越せ」
「何か持ってんだろ」

見上げる高さに奴らの顔がある。
鍛える必要のない野太い腕が伸ばされた。

「肩を掴んで、顔を殴ってやる」

そう言われて、はいどうぞと差し出すような生きかたはしてこなかった。
掴ませたまま僅かに身体を捻り、スコーピオは相手の急所を速く鋭い拳で抉る。

「痛ってえ!でも、逃がさねえぞ。羽交い絞めにしてやる」

されるわけがない。
体格差のある奴らへの対抗手段は速度だ。
スロー再生な腕を掻い潜り、相手の手首を上から抑えたまま、スコーピオは奥歯をしっかり噛みしめると、全力で頭を突き上げた。

「やべえ。意識が」

顎の隙間から流血しながら、大きな身体が向こうへ倒れていく。

「この、チビが」

手を離したスコーピオは素早く次の相手に向かった。

「この星から出て行け、母星人」

次の相手が、唸りながら毛むくじゃらの腕を振り回す。
さっきと同じように、スコーピオは相手の手首を上から掴んだ。
恋人達が抱き合うくらいの至近距離。

「俺は、母星人じゃない」

否応もない、超・接近戦の距離感で、スコーピオの怒った声が呟く。

「月の人だ」

硬い毛皮に覆われた顔が、凶暴さを失わないまま笑いに包まれた。

「そんな種族、聞いたこともねえ」
「そりゃそうだ」

靴の先に当たった棒切れを、スコーピオは器用に足先で掬い上げると、横向きに力いっぱい振り抜いた。

「俺が、最初だからな」

最後に残ったごろつきが、一歩後退する。

「やりやがったな、チビ野郎」

怒りで血走る目が泳ぎ、その相手は、突然視界から消えた小さな生き物を慌てて探した。

「あ、あれ。どこ行った」
「ここだよ」

背後に回り、片方の手首を掴むスコーピオ。
こうすると、相手の声がはっきり聞こえる。
だから、彼は不利な環境で負け無しだった。

「うわっ!素手じゃ駄目だ。刺してやれ」

そいつは、腰に隠していた刃物を取り出そうと、手を後ろに回す。

「あ、れ。武器がない」
「これのこと」

氷を砕く調理器具みたいに、不器用に先端を尖らせた刃物は、スコーピオの手にあった。

「てめ、返せ」

急いで身体を反転させる。

「頭を上から殴って取り返そう」

薄い笑みを浮かべるスコーピオ。

「返すよ。ほら」

痛々しい叫び声を上げて、最後の相手がうずくまった。
片足の甲が、地面に縫い付けられている。

「痛え!畜生!」

その頃にはもう、スコーピオはごろつき達から遠く離れ、一軒の店に入っていくところだった。

「遅いぞ、スコーピオ。何してたんだ」

酒場に入った少年をいきなり怒鳴りつける、厨房の店長。
彼も硬い毛皮と鋭い爪を持っていた。

「チャン・ランの手下に絡まれてた」

言い返しながら身軽な動きで厨房に向かうと、傍らにあった木製のコップを手に取る。

「またやったのか」

呆れる店長は、ごろつきと同じ種族だ。
口の両端からはみ出る牙が大きい。

「オウルさんから預かったにしても、おまえは騒ぎを起こし過ぎだぞ」

それには応えず、一番近くにあった酒樽の栓を捻って中身を注ぐと、スコーピオは一気に飲み下して、激しくむせた。

「がっはっは」

カウンターに居た客が笑った。

「子供にゃキツいぞ火星酒は」
「俺は早く呑めるようになりたいんだ」

濡れた口元を手の甲で強く拭いながら、少年は馴染みの常連客をも睨みつける。

「何もそんなに急ぐことはあるまいよ」

両生類特有の滑った肌を持つ常連客は、頭頂部付近に付いた目玉をぎょろりと動かして、まだ若い店員をなだめた。

「俺は早く大人になりたいんだ」
「どうして」

常連客は優しく尋ねる。

「大人になれば、馬鹿にされない」

皮膚が剥き出しの、小さな拳を握りしめて、スコーピオは唇を噛んだ。

「大人になっても馬鹿にされるやつは居るぞ」

常連客はぬめぬめと全身を光らせながら、店長を見た。

「スコーピオは頑張っているよなあ」
「普通だ」

空樽を厨房から運び出す店長。

「これを外に出してこい、スコーピオ」
「……わかったよ」

仕方なく返事をして空樽を担ぐと、母星型の小さな身体が、大きな樽に隠れてしまう。

「中身の入った樽を担げてからが始まりだ」

店長が、その背中に声を投げた。

「まあ。頑張れよ」

唇を尖らせたまま外に出て行くスコーピオ。
常連客が店長に言った。

「スコーピオはオウルさんの子なんだって」
「見て分かるが育ての親だ」

店長の表情は複雑だ。

「あいつにゃ、羽も嘴(くちばし)もない」

カップを置いた蛙型の常連客が頷く。

「オウルさんは、フィール星人だろう」

空になったカップへ、新たに酒を注ぎながら応える店長。

「森の賢者とか呼ばれる種族だな。フィール星は二つ隣の銀河にあったはずだ」
「この星にフィール星人は、オウルさんしか住んでないだろ」

ガイタ星人の常連客が呟き、店長はカップの中身を見ながら少し考えた。

「……まあ。不思議なお方だよ」



空樽を所定の場所に置いたスコーピオが、額の汗を拭う。
遠近二つの太陽が照らす昼間の地表は暑い。
無理して呑んだ火星酒のせいで喉も胃も熱い、というより痛い。

「スコーピオ」

樽の陰で休む彼の正面に、ふさふさの尻尾を持った友人が立った。
強い日差しが遮られ、影が出来る。

「何だよラッキー。仕事はどうした」

チャン・ラン一族に似た風貌だが、ラッキー達は優しい性格で、それが表情に出る種族だった。

「おまえと同じだよ」

真っ白な尻尾がゆらゆら揺れる。

「何だよ、同じって」

幼馴染の気安さで返すスコーピオ。
ラッキーは笑いながらゆっくり言った。

「サ・ボ・り」

笑うと牙が見えたが全然恐くない。
頭の上にある大きな耳も、白く柔らかな長毛で覆われている。

「別に。サボってるわけじゃ」

顎を上げ、スコーピオは鼻を膨らませた。

「親方達がマギーの店に向かってるんだ」

ラッキーの、まん丸に近い茶色の瞳が気持ちを映して輝いている。

「ガキはついて来るな、って言われてさ」

躊躇いは一瞬で、母星型の少年は悪戯な笑顔を浮かべると立ち上がっていた。

「そうか。なら、行こう」
「そうくると思ったよ」

嬉しそうに尻尾を振り、ラッキーが先に走りだした。

「地下列車まで競走だぞ」

追いかけて走り出しながらスコーピオが訊いた。

「勝ったらどうする」

挑戦的な微笑みを返すラッキー。

「負けた方が一杯奢る」
「よし。乗った」

全力で走った。
ただそれだけなのに、腹の底から笑いが弾けて出てくる。
嫌な出来事を総て忘れたスコーピオが、ラッキーより僅かに遅れて駅の入口に到着した。

「よおし!俺の勝ちな!」
「おまえ。ずるいぞ」

肩で息をしながら、スコーピオがラッキーに殴りかかった。

「わあ!待った、待った」

辛うじて避けたラッキーが半笑いで謝る。

「だって、本気出さないと負けそうだったんだもん」
「だからって、四足使うなよな」
「悪かった、って」

幼児なら許される四足歩行は、行儀が悪いとか粗野とかいう理由で、大人はやらない行動だった。
ラッキー達に限らず、月で暮らす殆どの種族は、四足で走らせると格段に速い者が多く居る。
口惜しさを怒りに変えたスコーピオが、側にあった看板のような物を蹴っ飛ばした。

「こらあっ!悪戯すんな、悪ガキ共が!」

店主が屋台から飛び出てくる。
くねくねと蠢く数本の腕が、二人を捕まえようと振り回された。

「逃げろ、ラッキー」

わざと仲間の名前を叫ぶスコーピオ。

「あ、待てよスコーピオ」

即座にやり返し、笑いながら走りだす。

「また、おまえ達か!」

いっぱい生えた店主の腕は空を掴み、怒った声だけが追いかけてくる。
二人はそのまま構内へ潜り込み、顔馴染みの駅員に目配せをすると、改札を飛び越えた。



「追いついた。親方達だ」

前方を確かめたラッキーが、スコーピオの腕を突いて知らせた。

「一番前に乗ったぞ」

ホームは様々な種族の人々でごった返し、いろんな匂いがした。
更にそれぞれが抱える大きな荷物で狭まる隙間を、泳ぐようにすり抜けていく少年達。

「ラッキー。ほら」

最後尾の車両で落ち着いた親友に、スコーピオが何かを投げつけた。

「わっ」

慌てて両手で受け止め、確かめる。

「食いもんじゃん」
「美味いぞ、これ」

既に頬を膨らませたスコーピオの隣で、ラッキーがまだ温かい食料をほぼ丸呑みにした。

「ほんとだ。美味いな」

車両の前方で誰かが、荷物を失くしたと騒いでいる。

「諦めろ。探しようがねえよ」

座る場所もない車内はほぼ満員。
他の乗客が気だるく慰めた。

「今日はまた、えらく混んでるしな」
「また、移民が来たのかもな」

憤慨する被害者はもう無視され、列車は前触れなく動き出す。

「こんな星に来たって、何もないのによ」

誰かの呟きに、ため息が賛同した。

「自由に使っていい土地、ったってなあ」
「地表じゃ、まず暮らせねえよ」
「空気は薄い。自由に使える水がねえ」
「結局、母星人だけか。調子良く稼いでいるのは」

母星人、という単語に、スコーピオの傍に立っていた数人がじろりと睨みおろした。

「地下街に何の用ですかねえ、母星人さん」

鱗の肌を持つ乗客が嫌味を言った。

「地下だけは譲らねえぞ」
「母星人は入ってくんな」

騒ぎ始めた乗客相手に、怒ったのはラッキーだった。

「おい待てよ。こいつは母星人じゃないぞ」
「は。どう見ても母星人じゃねえか」

嘲笑が渦巻く車内で、少年は黙っていた。

「見ろよ。薄っ気味悪い、剥き出しの肌」
「細いし、小さいし」

ぐるりと囲まれた状態で、雨のように降り注ぐ罵倒の言葉。

「母星人が強いのは、強い武器を持ってるからだ」
「剥き身じゃ、何も出来ないくせしてよお」
「聞く耳も持たずに、すぐ排除とか何様だっつうの」

逃れようもなく流れ込んでくる感覚。
慣れようと努力したが、無理だった。
棘のようにささくれ立った悪意が、痛い。

「出ていけ」
「今すぐ降りろ」

嫌な連帯感が車内に広がり、スコーピオとラッキーは、地下を走り続ける列車の窓辺に追いやられた。

「やめろよ、放せ」

ラッキーが怒鳴り、振り回した拳が誰かの顔に当たった。

「痛え!このくそガキゃ」
「窓を開けろ」
「落としてやれ」

最悪に険悪な空気だった。
それ程でもなかった大人達が困ったように目を逸らす。

「そのくらいにしませんか」

凛と響いた清涼感のある声に、その場にいた全員が、一瞬にして毒気を抜かれていた。

「あっ。その制服……」

誰かが困った声を出す。

「何で。こんなとこに」

少年を掴んでいた大人が慌てて手を放した。

『母星防衛庁・惑星監視警備隊・月支部』

保安官とは違う色の制服を着たその人は、まだ若い顔に正義感を堂々と浮かべて、静かに続けた。

「今すぐ仲良くしろとは言いませんが」

列車の速度が落ちた。
次の駅が近付いたようだった。

「少なくとも、この少年達は何も悪くないでしょう」

むしろ時代の被害者なのだ、この子達は。

「わ、悪かったよお」

両手を降参のポーズにして、鱗の肌を持つ外星人が身を退いた。

「謝るからよ。一種排除だけは勘弁してくれよな」

母星人が恐れられている一番の理由。
気に入らない種族を丸ごと月から消してしまうような武器と、それを平気で扱う戦闘部隊を、母星人は持っていた。

「そんなことはしません」

降りる用意をしながら警備隊の青年が返す。
列車が停まり、扉が開かれた。

「突き飛ばしてやろうかな」

鮫男の声を誰も聞いていなかったのだろうか。
背中を向けた警備隊員に伸びる殺意の腕を、スコーピオが黙って掴んだ。

「な、何だよ」

何も言わず、黙って見上げる少年の黒い瞳。

「気味悪いな」

鮫男が躊躇しているその隙に、警備隊員は無事に下車していく。
その後ろ姿を、スコーピオはじっと見送っていた。

「どうしたんだよ。ぼうっとして」

再び動き出した列車の中で、ラッキーが呼んでいた。

「あんな母星人もいるんだな」

スコーピオの、世の中総てに喧嘩を売っているような目付きと、不満そうに尖らせた唇から零れた殊勝な台詞に、笑いだす親友。

「やめろよ。砂嵐が来るぞ」
「砂嵐はいつも吹いてるだろ」

いつも通りの不機嫌だ。

「ははっ。そりゃそうだ」

乗客はそれぞれ目的の駅で順番に降りていく。
疎らになった車内で、少年たちは終点を目指した。

「スコーピオはさ、何になりたいんだ」

凄い速度で灯りが飛び去る窓の外を眺めながら、ふと、ラッキーが訊ねた。

「フィール星人」

今はもう理解している。
親だと信じていたオウルは、梟型の大型外星人だった。
幼いスコーピオは、羽も、嘴も、大きくなれば生えてくると思っていた。

「違うよ。俺は大工、おまえは」
「別に」

なりたいものなんて、無い。
消えてしまいたいと思ったことなら、何度でもある。

「じゃあさ。警備隊になれば」
「はあ?」

呆れた顔つきで親友を眺めた。

「俺達の敵だろう、あいつらなんか」
「俺は保安官の方が嫌だけど」

呟きながら顔を眺め、にやにや笑う。

「何が可笑しいんだよ」
「別に」

さっきの真似をして言い返し、ラッキーが先に下車していく。
列車は終点、地下十番街に到着していた。



「こりゃ!ラッキーではないか!」
「あっ!やべえ」

降りるのが早過ぎた。
のんびり下車してきた親方に発見されたラッキーは、耳を掴まれ連行されていく。

「いたたた……スコーピオ、俺はここまでだ。マギーによろしく言っといて」

尻尾の無い、黒猫に似た外星人、マギー。
身体にぴったり寄り添うタイトなワンピースは、今日は輝く緑色だった。

「あら、スコーピオ」

彼女が営む食堂はいつも客で一杯だ。

「仕事はどうしたの」

金色の瞳が、何もかも見透かしていそうで、少し怖い。

「休憩中」

目を合わせずに奥の席へ向かうスコーピオ。

「また勝手に抜け出したのね」

マギーの傍をすり抜ける時に、いつものいい香りがした。
その一瞬だけ、鼓動が強くなる。

「あなた、あんまりお父さんに心配かけちゃ駄目よ」

それには応えずに、スコーピオは言った。

「腹、減ったよ。マギー」
「マギーさん、でしょう」

優しいげんこつが頭を掠めていく。
妖艶な微笑みを残して、マギーはそのまま次の客を迎えに歩き去った。

「何だよスコーピオ。また来たのか」

常連客が向こうの席から声を投げてくる。

「おじさんだって、毎日居るじゃないか」

不機嫌に言い返し、スコーピオは机に顔を伏せた。

「そりゃ仕方ないさ。大女優マギーの店だからな」
「俺達は、彼女を追ってこの星まで来たんだぞ」

柔らかな談笑と、厨房から聞こえる調理の音。
毛皮で出来た暖かな店内。
凍りつきそうな少年の心が、少しだけ溶かされる。



「……スコーピオ」

いつの間に眠っていたのか、優しいマギーの声で目が覚めた。

「地表はもうすぐ夜になるわ」
目の前に並んだ食事に、空っぽの胃袋が正直な反応を示す。

「食べたら、戻りなさいね」

歩き去るマギーの、しなやかで細い背中を暫く見つめるスコーピオ。
やがて視線を逸らし、勢いよく全てを平らげて、店を後にした。

「スコーピオ」

再びギザの町に戻った彼を呼び止める、チャン・ランの手下達。

「おまえ、ウチの仲間に怪我させたんだってな」
「もう宿賃なんて温い事じゃ済まねえぞ」

小さなため息。

「だったら、どうするって言うんだよ」

凶暴な光を瞳に宿すスコーピオ。
普段は腹の底に隠されている鬱々とした思いは、こういう時に表面化する。

「チャン・ランさんが、連れて来いってさ」

底意地の悪い顔が、歪んだ。
前触れなく後頭部に衝撃が走り、スコーピオは意識を失って前のめりに倒れる。

「運べ」

軽々と少年を担ぎ、歩き出す虎型の外星人。

「あああ。大変だあ」

瓦礫の影から見守っていたスコーピオの遊び仲間が、慌てて反対方向へと走りだした。

――――――――――

地下一番街。
何の規制もなく自由勝手に開発された地下の、最初の駅にある、今の月で最も混沌とした町。
ここでは、外星人と母星人が公然と向き合い、互いの品物を交換し、普通に商売をしていた。

「オウルさん。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

母星の亀に似た外星人が、薬屋を預かる梟星人を訪ねてきた。

「おや。いらっしゃい」

大型外星人が暮らすには若干狭く感じる小さな店内で、茶色の翼を持つオウルが顔を向ける。

「これなんだけど」

亀型商人は、背負っていた袋状の入れ物から、奇妙な品を取り出してオウルに見せた。

「何に使うのか判るかい」
「どれ」

オウルは大きな身体をゆっくりと回転させて、差し出された品物を手に取った。

「これは、誰から買ったのかな」

そっと持ち上げ横から眺めるオウルが、穏やかな声で訊いた。

「母星人だよ。すごく便利、って言ってたから、つい」
「確かに、母星では便利だろうね」

森の賢者が発する静かな声に、悲しい表情になる亀型商人。

「もう、嫌な予感しかしないよ」
「これは帽子の一種なのだけれど、私達には頭に何かを被せるという習慣自体が無いからね」

オウルは、開いた傘を閉じて商人に返した。

「また、やっちまったか」

がっかりする彼に、オウルは自分の商売道具でもある薬湯を手渡しながら微笑む。

「まあ、これを飲みなさい。落ち着いて考えれば、この星でも使える方法が見つかるかもしれないよ」
「そうかな。ありがとう、オウルさん」

亀型外星人の体温に近い温度の、どろっとした液体が発する匂いに、思わずカップの中身を眺める亀型外星人。

「こ、これ。飲んでも良いのか」
「薬だからね、苦いと思うよ」
「うへえ」

覚悟を決めて目を閉じ、一気飲みした商人が店を後にする。

「オウルさん。相談があるんだけど」

奇妙な荷物を抱えて咳き込む亀型商人を不審顔で見送り、次の誰かが小さな建物の扉を押し開ける。

「おや。いらっしゃい」
「キリヤ星人から聞いた話なんだけど」

オウルの薬屋は、そんな風に繁盛していた。
二つの太陽が地平線の向こうへ隠れると、砂しかない地表は急激に寒くなる。

「オウルさん!大変だよ!」

片付けを始めていた店内へ、土竜型の少年が駆け込んできた。

「おや、コルド。どうしたのかね」
「スコーピオが攫われちゃったんだ」

荒く漏れる息の隙間から、コルドは必死で伝えた。

「相手は、コルドの知っている者だったかい」

どんな時でも、オウルは冷静だ。

「うん。チャン・ランの手下だよ。あいつらずっと、スコーピオのこと睨んでて」
「そう。ありがとう」

コルド少年にも同じような薬湯を飲ませて、オウルは店じまいを進めた。

――――――――――

目が覚めると同時に、胃袋が持ち上がる嫌な感覚に襲われた。
我慢することなく、スコーピオはそのままの姿勢で嘔吐する。

「うわ、驚いた。目が覚めたのか、こいつ」

見知った場所だった。
チャン・ランの手下共がたむろする小屋だ。
でも、床に転がされたスコーピオを見張る外星人に見覚えはなかった。

「気持ち悪い」
「だろうな!見りゃ判るよ」

小型だが虎に似た風貌のそいつは、スコーピオの肩口を掴むと引き摺るようにして場所を変えた。

「何か飲むか」
「……火星酒」

寝転がったまま、スコーピオは自分の体調を確かめる。
後頭部に鈍い痛みは残っているが、他は元気だ。
骨折もない、縛られてもいない。

「アタマ悪いなおまえ。そんなの呑んだら余計吐くだろ」

苦笑いとともに、そいつはどこかが欠けてるらしいカップを差し出す。
スコーピオは無言でそいつを見上げた。

「何だよ。毒なんか入ってないぞ、そんな甲斐性ないしな、俺は!」

随分無防備に笑うんだな。

「おまえ、新入りか」

起き上がったスコーピオはカップを受け取ると、胡坐のままカップを傾けた。
月では主流の、果実系の甘い液体が喉を潤す。

「おうよ。バリィってんだ」

放り投げられたカップを両手で受け止めて、小さな虎型外星人、バリィはお代りを注ぐ。

「俺のこと、聞いてないの」
「え。見張ってろ、って言われたけど」

アタマ、悪いのかな。

「俺が暴れて出て行くとか、考えなかった」

二杯目を飲みながら、スコーピオが上目遣いに訊ねる。

「今まで寝てたからな、おまえ」

バリィは白い牙を剥き出して笑う。

「暴れたら、考えるよ」

そんなに強そうには見えないけど。
二杯目を飲み干して、スコーピオは立ち上がった。
欠けたカップを、飲料器の脇に返す。

「ありがとう。元気になった」

目線は合わせずに、そのまま歩いて出口へ向かうスコーピオ。

「うん、じゃあな……って!」

座っていた椅子を倒す勢いで、バリィがすっ飛んできた。

「待て、待て。おまえをどうするかは、チャン・ランさんが決めるんだ。もう少し待てよ」

スコーピオの腕を掴んだその手首を、反対の手で掴み返す。
向き合う姿勢で、スコーピオは挑戦的に口角を上げると、掴まれていた腕を振り解いた。

「俺をどうするかは、俺が決めることだ」

言いながら、手のひらから伝わる相手の心を、いつも通り読もうとした。

「あれ」
「へええ。そういう能力なんだ」

バリィは無防備に笑った顔のまま、手首を返し、スコーピオの拘束から簡単に逃れた。

「でも、俺みたいなの相手にするのは、初めてって顔だな!」

感じたことのない恐怖を、スコーピオはバリィとの距離感で表現した。

「心を閉じられる相手とは、向き合ったことないんだ」

こんな時に、バリィの牙は白くて綺麗だと思う。
拳を固めて壁際に立ったまま、スコーピオは無言で相手の次の動きを待った。

「母星人のガキがえらく強い、って聞いてたけど。種明かしすりゃ、そういうことね」

面白そうに笑いながら、バリィはスコーピオとの距離感を楽しんでいるようだった。

「凄い警戒心。嬉しいなあ」
「あんたは、何なのさ」
「俺は、バリィ」

腕と爪に、力が入るのが見えた。
まともに向き合ったら、体力では絶対に敵わない。
加えて、チャン・ランはスコーピオを殺す気だ。
どうしたって、逃げ出さなきゃならない。

「そんなの聞いたよ。何で、心を閉じられるのか」
「おまえは判るのか」
「え」

戦闘の意志を保ったまま、バリィの瞳は明るく輝く。

「おまえは、自分が何で相手の心が読めるのか、理由が判って生きてんのか」

返事に詰まった。
それが、時々死にたくなる原因のひとつだった。
思春期の戸惑いを、バリィは逃さなかった。
一足で踏み込むと、若干降ろされたスコーピオの腕を薙ぎ払い、細く感じる首を掴んで床に捻じ伏せる。

「そんなにショックだったかい」

楽しそうな笑みを崩さずに、バリィは上からスコーピオの顔を覗き込む。

「俺のだって、生まれつきだよ。気が付いたら心を閉じて、こうやって笑ってる」

思い切り、暴れた。
全身のばねをフル稼動させて、バリィの腕の下から、芋虫が這うように逃げ出した。

「いいね!格好の良さは捨てる勇気」

無防備な笑顔が今はとてつもなく恐い。
視界の端で出口を確認して、スコーピオは外に出る機会をうかがう。
一歩で踏み込まれてしまう、狭い小屋だ。
二度はない。
今度掴まったら、多分、落とされる。

「そろそろ、チャン・ランさんが来る頃だ」

バリィが呟いた。

「遊びはお終いだよ、スコーピオ」

瞬きの隙もなかった。
気が付いたらスコーピオは再び床に倒されていて、背中を大きな手のひらで抑えつけられていた。

「知ってたんじゃないか、俺のこと」
「あれ。知らないなんて、言ったかな、俺」

完敗だ。
抵抗する気は消えた。
悪気のない笑顔に騙されて、相手を格下に見た自分が悪い。
手のひらの下で力を抜いたスコーピオに、バリィが訊く。

「もう、いいのかい。このままチャン・ランさんに喰われちまっても」
「もう、いいよ。どうでも」

目を閉じて、恨むのは己の弱さだ。
床を舐めながら、能力を過信していた弱者なんか死んでも構わないと考える拳が、小さく震えていた。



「やあ。お待たせ」

小屋の扉が、向こうから開けられた。
スコーピオには聞き覚えのあるその声に、逃げ延びるチャンスを貰う。

「え。あんた誰だ」

当惑の一瞬を逃さずに、スコーピオは力の緩んだ腕の下から抜け出すと、声の主の方へ走った。

「息子の帰りが遅くてね。心配で迎えに来たのですよ」

穏やかな声色と口調。
小屋の梁にぶつけないように頭を少し下げた梟星人が、灰色の瞳でバリィを見下ろしていた。

「こんばんは、バリィさん」
「こ、こんばんは」

思わず挨拶を返してしまった。

「息子って、あんたスコーピオの」
「はい。父親です」

感情を映さない灰色の瞳が、バリィの心を抉るように見つめていた。
枯れ木のような腕、大きいくせに飛べない翼、歩きすぎて平べったくなってしまった足。

「連れて帰りますが、よろしいですね」

断る勇気が湧かない。
気圧されたバリィは、棒立ちのまま無言で、顎を上下させた。

「恐れ入ります。では、今回はこの辺で」

丁寧に頭を下げて、オウルはスコーピオを羽根の下に匿うと、静かに小屋から去って行った。

「どういうこと」

腰が抜けたように座り込み、バリィは、オウルの瞳を思い出していた。
深さの知れない森、沼、それとも、宇宙(そら)。
およそ一体の生物が抱えられる大きさではない『何か』を、オウルの瞳に垣間見た気がした。

「何を、背負ってるんだ、あのフィール星人は……」

――――――――――

「良かった!生きてた!」

地下一番街。
薬屋の看板を出すオウルの家に戻ると、土竜型の外星人コルドが、目に涙を浮かべて走り寄ってきた。

「コルドが、教えてくれたんだよ」

オウルに教えられて、スコーピオは小さなコルドに頭を下げた。

「助かった……ありがとう」
「これ、本物のスコーピオなの」

コルドは照れ隠しにそう言って笑った。
スコーピオはいつも独りで、強い。
彼のために何かしたところで、今まで礼なんて言われたこともなかった。

「しかし、これでチャン・ランが諦めるとは思えないからね」

オウルが言う。

「コルド。君は暫くスコーピオから離れていた方がいい」
「うん。そっか、そうだよね」

何よりも、自分の生命が一番大切だ。
この星に、生命より大事な物はない。

「気を付けて、スコーピオ」
「コルドも」

出て行く友を見送るスコーピオの唇から、小さなため息が零れた。

「疲れただろう、息子よ。私が起きているからね。少し眠るといい」
「うん」

生きるために食べる。
食べたいから、盗む。
生き残りたいから、闘う。
時に相手を……壊してでも。

「おやすみ」

オウルの声がやけに優しく聞こえた。
泣きたくなる胸を抑えて、スコーピオは丸くなって、眠った。

「さて。彼らは、何がしたいのだろうね」

月で生まれた子供のほとんどは親がなく、生きる術も持てない。
そんな子供同士で助け合って、どうにかこうにか生き延びるしかないのだ。
死ぬ思いで盗んできた品物を、僅かな食料と引き換える、狡い大人たち。



「……私の方から出ます。少し待ってください」

扉に向かって呟いたオウルは、ようやく深い眠りに入ったスコーピオを起こさないように、静かに外に出て行った。

「何か忘れ物でもしましたか」

扉の前で、大樹のように佇む大型の梟星人。
見下ろす相手は、小型の虎星人バリィだ。

「どうしても、聞きたいことがあったんだ」
「スコーピオの居場所をチャン・ランに訊かれましたか」

また、だ。
底のない灰色の瞳が、バリィを捉える。

「いや。旦那には、会う前に出てきちまった。もう、あそこには帰れないな」

梟の喉が、嬉しそうに膨らんだ。

「それは、賢明な判断でしたね」
「そうかな」

自嘲気味に笑ったバリィは、常に楽しそうに輝く瞳で、森の賢者を見上げる。

「オウルさん、だっけ。少し、話しをしたいと思って」
「それは嬉しいですね」

どうぞ、と、オウルは家の扉を開けて招いた。

「いや、待ってくれよ」

バリィが両腕を振って慌てる。

「中には、スコーピオがいるんだろう」

俺が入るわけにはいかない、と最後までは言わせずに、オウルは黙って待っている。

「……お邪魔します」

こんな挨拶が出来るのに、チャン・ランの下で悪さを重ねることが先ず、バリィが抱える苦しみのひとつだと思われた。



「お掛けなさい」

室内には薬草の香りが漂っていて、森の中にいる気分になった。
それは懐かしい故郷の匂いでもあった。

「はい」

導かれるまま素直に、木製の椅子に座ると、丸くなって眠るスコーピオが正面に見えた。

「子供じゃないか、まだ、全然」

小さく、幼く見えた寝顔に、バリィは軟禁していたときのスコーピオを思い返す。
目が覚めるなり平気で嘔吐して、気持ち悪いなどと敵の見張りに愚痴るふてぶてしさ。
元・仲間の足を、地面に縫い付けるような闘い方ができる男。

「あなたが何をお話しに来たのか判りませんが」

オウルが、温かい飲み物を差し出しながら話し始めた。
梢が風に囁くような、柔らかい音声に、警戒心など根こそぎ掻き消されてしまう。

「私からは、あなたにお願いがあるのです」

バリィは礼を言ってから飲み物を口にした。

「俺に願い、とは」

胃袋がほっと落ち着くのを感じながら、忘れていた故郷の味を思い出すバリィ。

「息子のことです」

オウルは相変わらず穏やかだ。

「何だろう。想像もつかないや」

カップの中身を見下ろしながら、呟く。

「闘い方を、教えてやってくれませんか」
「え。俺が」

思わず声が大きくなって、慌ててスコーピオの方を見たが、少年は熟睡中だ。
黙って視線で先を促すと、オウルは僅かに微笑んで続けた。

「相手に触れていないと闘えないのでは、生き残れないでしょう」

本当の闘い方を教えてやって欲しいとオウルは言う。

「この子はこの先、もっと過酷な闘いを強いられるのです」
「オウルさん、あんた一体」

何者なんだと言いかけて、物音に同時に気付いた。

「おまえ!」

目覚めたスコーピオが、父を護ろうと飛び掛ってくるところだった。

「待て。待て、って!スコーピオ」

軽い跳躍で攻撃を躱して、バリィは椅子を盾にスコーピオと向き合う。
敵わない相手と知って捨て身の闘い方だ。

「そんなんじゃ、自分も親父も護れないぞ」
「うるせえ」

一度完敗している口惜しさに、歯噛みしながら拳を振り回す。

「それじゃ、子供の喧嘩だろ」

自暴自棄な動きを関節技で制して、バリィは敢えて心を開いた。

「俺が、特訓してやるよ」

憎しみで一杯だったスコーピオの表情が、想像通りに変化していく。
泳いだ目線がオウルを求めて捉えた。

「父さん、本当に」
「私がお願いしたんだよ」

スコーピオの手から力が抜けた。
完全に戦闘意欲をなくして、少し離れた場所に立つ。

「そこまで嫌わんでも」

苦笑するバリィが、困って頭を掻いた。

「俺が心を閉じるようになった訳は、まあそんなとこだ……見えたんだろ」

黙って小さく頷くスコーピオ。
身体の脇に下げられた拳が、強く握られて震えている。

「いいから聞けよ、スコーピオ」

椅子を盾にしたまま、バリィは続けた。

「俺みたいに読めない相手とか、読んでも無駄な相手とか。親父を護りながら生きていきたいなら、喧嘩の仕方も考えなきゃならないぞ」

返事はない。
力強く睨んでくる黒い瞳は不信感で一杯だ。

「これはチャンスだと思えよ、スコーピオ」

闘うと輝くバリィの瞳が、スコーピオを見据える。

「俺から技を盗んで、俺を倒せばいい」
「そんなの」
「卑怯なんて言うなよな」

煽るように上から目線で笑うバリィ。

「おまえの闘い方の、どこが正々堂々なんだよ」

奥歯を噛みしめる音が、こちらにまで聞こえてきそうだった。
そうしなきゃ、生きていけない。
卑怯、冷酷、何と言われても笑えるくらいでないと、自分以外の誰かを護りながら月で生きていくなんて、絶対に不可能だ。

「口惜しさは力になる。俺を恨めよ、スコーピオ」
「……くそっ」

やり場のない感情を、スコーピオは壁にぶつけた。
こんな狭い店内で暴れて、父の仕事を邪魔することは出来ない。

「表、出ろ」

言い捨てて、スコーピオは先になって外へと出て行った。

「上手く言えねえなあ」

首を傾げながら、笑顔のバリィが出て行く。
見送ったオウルは、ゆったり流れる自分の時間に戻ると、薬の仕込みを始めた。
外からは、元気よく打ち合う音と言い合う声がしばらく聞こえていた。

――――――――――

「バリィじゃねえか」
「生きてたのかよ」

どこかで聞いたような声で呼ばれた。
バリィは『オウルさん』のおつかいの帰りだった。

「見つかっちまったか」

地面に呟いて振り返る。
チャン・ランの縄張りは気持ち避けて歩いていたが、接触は想定内だった。

「ええと、誰さんでしたっけね」

明るい笑顔で挨拶を返すバリィ。

「忘れたのかよ」
「相当酷くやられたんだな」

小屋に残された嘔吐物が、バリィから出たと思われているらしい。

「あのくそガキ」

まあ、それでもいいか。
バリィは黙っていた。

「何で帰ってこないんだ」
「ガキ一匹逃がしたからって、チャン・ランさんは怒んねえよ」

似てはいるが別種族の大型外星人を見上げながら、バリィは笑顔のまま言った。

「俺、戻りませんよ。新しい雇い主を見つけたんで」

相手の顔つきが急変する。

「何言ってんだ、おまえ」
「簡単に抜けられると思うなよ」

攻撃範囲を測るバリィが一歩後ろに退いた。

「ちょうどいい」

誰に言ったのか、バリィは声を張る。

「実戦だ。見ていろよ」
「は。何言って」

下がった位置から踏み込む両足には倍の速さと重さがかかる。
とはいえ、体格差のある相手だから、全体重を載せても、転がすにはまだ少し足りないだろう。

「先ずは、脇腹の急所」

バリィの瞳が嬉しそうに輝いていた。
真っ直ぐ、正確に突き出された拳は相手の肋骨を掠めて、その奥で守られているはずの柔らかな臓器にめり込んだ。

「これで頭に届く」

言った通り、躱す間もなく、チャン・ランの手下は唸りながら両手で腹部を抑えると、吐き気を堪えるように下を向いた。

「進化の過程で二足歩行になった俺達は、大切な器官を頭部に集めた」

耳、目と目の間、喉、練習用の無機物を打っているみたいに、バリィの拳は恐ろしい的中率で相手を捉えていく。

「あれ、もう終わりかよ」

次の講義をする前に、一体目が地面に倒れた。

「バリィ、てめえ、裏切り者!」

ようやく戦闘開始に気付いた残党が、同時に襲いかかってきた。

「敵が複数でも、やることは一緒だ」

バリィは相手の攻撃を避けて、素早く後退する。
楽しくて仕方ない、といった口調で、喋りながら相手を翻弄した。

「本当は一体ずつ確実に仕留めたいけど」

同じような大きさ、身体能力。
バリィの縦に細い瞳が、ぎゅっと収縮した。

「これは、応用編な」

一体の喉元を跳び蹴りで狙い打ち、そのまま勢いを殺すことなく反対側の一体の首を、後ろから踵で打つ。
跳躍してもバリィの体幹は安定していた。
着地と同時に次に備えたが、襲い掛かるものはいない。

「なんだよ、もう起きてこないのか。物足りないな」

戦闘の緊張感を解すようにその場で軽く跳躍するバリィが、背後の気配に振り向いた。
隠れていたスコーピオが、無言で立っている。

「参考になったかい」

無邪気な笑顔で、バリィが訊いた。

「凄いけど、俺には無理だ」

小さな声が返ってきた。

「そうかなあ」
「俺は、あんたみたいに跳べない」

拗ねた唇が尖っている。

「だから、応用編って言っただろ」

軽い拳がスコーピオの肩を撫でた。

「おまえは跳ばなくていいんだよ」
「今の技、全部跳んでたじゃないか」

口惜しさを隠そうともせずに、スコーピオはバリィを睨みつけた。

「どこを参考にしろってんだよ」

拗ねた態度のまま、スコーピオは先になって帰り道を歩き出す。

「だからさ、跳ばない場合はこうやって」

後を追うバリィが、手のひらをスコーピオの頭に載せる。
流れてきた映像に、スコーピオが驚いた。

「何で」

自分で掴んでもいないのに、相手の心が読めた。

「やっぱり、知らなかったのか」

可笑しそうに笑うバリィ。

「おまえ、宝の持ち腐れだな!」
「なに、それ」
「もったいない、って言ったんだよ!」



裏町で生きるには聡明な頭脳。
屈託のない笑い声。

「オウルさん。仕入れの品はこれで全部です」
「ああ。ありがとうバリィ」

自信に満ちた歩き方。
真っ直ぐに向けられる目の力。

「オウルさん。これ、お土産です」
「ありがとう。いただくよ」
「こっちは、スコーピオの分な」

バリィは小型の外星人なのに、とても強かった。
あれから何度か、チャン・ランの手下が難癖をつけて襲ってきたが、総て返り討ちにした。
『裏切り者バリィ』などという不名誉な通り名が付けられたが、本人は気にも留めなかった。

「裏切られた、って感じたってことは」

バリィはごくたまに、酒を呑んだ。

「それだけそいつに期待されてた、ってことなんだよ」

あまり強い方ではないようで、直ぐに突っ伏してしまうが。

「自信持っていいんだよな、俺」

スコーピオは黙ってそんな彼の傍にいた。
オウル以外に懐いた、最初の外星人だったのかもしれない。

――――――――――

「オウルさん!大変だよ!」

土竜のコルドが駆け込んできたあの日。
スコーピオは酒屋の手伝いを終えて、担げるようになった樽の話をオウルに聞かせていた。

「先ずは落ち着きなさい、コルド」

嫌な予感がスコーピオの胸を覆い尽くす。

「バリィが」

その瞬間、スコーピオはコルドの手首を掴んでいた。
親しくなった友人にはやらない行為だった。

「痛いよ、スコーピオ」

驚きと恐怖で身体を強張らせたコルドは、小さな頭痛に顔も歪める。

「ごめん。でも」

呟くように言い残して、スコーピオは走り出した。
見えたのは、知らない場所ではなかった。
でも、そこから連れ去られていたら、バリィには二度と会えない気がした。

「スコーピオ」

全力で走る彼の隣に、並ぶ白い毛皮。

「ラッキー」
「どうしたんだよ」

異常事態を感じたのか、ラッキーにいつもの笑顔はない。

「バリィが攫われた」

口にしたとたん、泣きたくなって、スコーピオは唇を噛みしめる。

「ええ。あの強い兄ちゃんだよな」

信じられないと言って呆けたラッキーの表情が、付け足した単語で引き締まった。

「相手はチャン・ランだ」
「ヤバイな」

呟いたラッキーが訊く。

「場所は分かるのか」
「ギザ。フウの縄張り辺り」
「わかった」

四足走行になるラッキーが加速して、スコーピオとは別の方向へ逸れた。

「俺、仲間集めて行くから!」

白い弾丸が声だけを残す。
腕で目元を擦って、スコーピオは前を向いた。



こんなに本気で、走ったことはない。

「バリィ!」

その場所に到着しても、スコーピオの膝は腹が立つほど震えて、使い物にならなかった。

「どこだよ、バリィ!」

声変わりが始まった、スコーピオの掠れた声が、廃れた穴だらけの建物に吸い込まれる。
神経を尖らせた聴覚に反応するのは、瓦礫の隙間を吹きぬける風の音だけだ。
当てもなく歩くスコーピオが、崩れた廃墟の影を回って、足元に転がる何かに気付いた。

「こいつ。フウの手下……」

目を上げると、同じように意識や生命のない生き物が、点々と道に転がっている。
足跡を辿るように、スコーピオはそいつらを踏み越えて進んだ。

「くっそ、強過ぎる!」
「何で倒れないんだ、こいつ!」

瓦礫の向こうから、聞き慣れた格闘の音が、怒鳴り声と一緒に耳に届いた。

「いた」

焦る気持ちを寸前で自制して、スコーピオは手近な瓦礫によじ登ると上からそっと下を覗う。

「バリィ、だよな」

大勢に囲まれた中心で、たった独り、全身の毛を逆立てて闘う虎型の外星人が、一瞬燃えているように見えた。
紅く見えたのは返り血なのか、噴きあがる闘志なのか。

「フウさん。もう無理です!」
「こっちが全滅しちまいますよ!」

フウは、バリィと同郷星人、のはずだった。

「何だよ、だらしねえな」

一旗上げようと夢を抱えて一緒に月に来て、仲良く頑張ってきた同志じゃなかったのか。

「もう少し弱らせて欲しかったんだけどな」

胸の前で構える、バリィの拳が震えていた。

「ようやく、大将のご登場か」

肩で息をするバリィなんて、初めて見る。
スコーピオは伏せた姿勢のまま、次の行動を考える余裕をなくしていた。

「悪いな、バリィ。もう死んでくれ」

薄い笑いを浮かべるフウはきれいな服装のまま、消耗しきったバリィと向き合う。

「あんたは、チャン・ランさんを本気で怒らせちまった」

輝きを失わないバリィの瞳が、真っ直ぐフウを見据えた。

「あいつの為に月へ来たわけじゃないだろう、俺達は」

応えないフウが懐から何かを取り出すのが、上からは見えた。

「バリィ!避けろ!」

思わず叫んだスコーピオ。
思いがけない方向からの声に、その場にいる全員が息を止め、次の瞬間、恐慌状態になった。
その隙を逃さない者が数体。
素早く身を沈めたバリィの前で、仁王立ちのフウが叫ぶ。

「動くな!」

この星では輸入から使用まで一切が禁止されている、鉄製の武器と鉛の玉。
武器が狙う先は、天井を向いていた。

「舎弟が死ぬぞ、バリィ」

無機質な細長い筒の先が、殺意を持ってスコーピオを狙っていた。

「何だ、あれ」

禁止物品だ、あれが何か、解るわけがない。
半分逃げる体勢で、腰を浮かせたスコーピオが躊躇った。

「待て。撃つな」

バリィの焦った声に、あの小さな物が武器なのだと知るスコーピオ。
投石のように、遠くが狙えるらしい。

「それは、おまえの態度次第だよ、バリィ」

勝ち誇った笑顔を怒りに変えて、フウは周囲で騒ぎ立てる仲間達を叱った。

「落ち着けクズ共!」

徐々に落ち着きを取り戻す手下達。
フウは更に怒鳴った。

「ガキが上から騒いだだけだ、誰か登って連れて来い」

数体が動いた。
スコーピオも立ち上がる。

「駄目だスコーピオ、伏せてろ!」

叫んで動いたバリィの背中から、鮮血が噴き出した。
何か音は、しただろうか。

「じっとしてろ、ガキ!」
「捕まえろ!」

瓦礫が落ちていく振動。
建物は脆く、少しの衝撃でぼろぼろと崩れる。
大型外星人の体重では、掴んだだけで壁が壊れた。

「フウさん、無理です!」
「登れません!」

銃口を下げて苛々と吐き捨てるフウ。

「使えねえな、ほんとのクズかよ!俺はいつだって無理しか言ってねえよ!」

逸らした意識が戻るまでの数秒。
突然、フウの膝から力が抜けて、彼はその場にひっくり返った。
バリィの咆哮が、周囲を圧倒する。

「見てろ、スコーピオ!おまえを護る、これが俺の最期の闘いだ!」

背中から腹へ、貫通した傷口は、バリィの血液を生命ごと垂れ流していく。
瓦礫に掴まる大型外星人の腕を掴み、バリィは力任せに引き戻すと、その顎に的確な拳を喰らわせる。
脳と視点を揺らして、次々と、後ろへ倒れるフウの手下達。


誰も、登らせない。
誰にも、スコーピオは渡さない。
……死んでも、護る。


スコーピオは、見ていた。
喉の奥が熱かった。
嗚咽を堪えると、目の前が濡れて歪んだ。
涙を拭うと、身体が勝手に震えた。

「そこまでだ!」
「全員、その場に伏せなさい!」

凛々しい声は、きれいな母星語だった。
戦場で使うにしては美しく磨き上げられたサーベルを引き抜いて、その青年は厳しく、よく通る声で宣言した。

「降伏の意思なき者は斬り捨てます」
「あいつは」

いつだったか、地下列車の中で助けられた。

『母星防衛庁・惑星監視警備隊・月支部』

「警備隊!」
「逃げろ!」

散り散りに逃げ惑うごろつき共は追わずに、警備隊員達は、地面に伏せた外星人の身体から武器を取り上げ、怪我人の状態を確認した。

「手当てを、お願いします」

あの青年は、剣を腰の鞘に戻すと手を挙げて誰かを呼んだ。
『クラル』という文字と絵が大きく描かれた、違う色の制服を着た数人が、簡単な医療品を持って駆け寄る。

雄々しく、勇敢に。
正義と平等を胸に。

「スコーピオ!」

警備隊員の後ろから、白い尻尾が走り抜けて、こちらを見上げ、大きく手を振った。

「ラッキー!」

親友の登場に、肩の力が抜ける。
瓦礫を崩しながら建物を駆け下り、スコーピオはあの警備隊員とほぼ同時にバリィの元へ走り寄った。

「これは、弾丸の痕じゃないか」
「だんがん……」

聞きなれない単語を口の中で転がしながら、スコーピオは目を閉じたままのバリィを呼んだ。

「バリィ。ありがと……俺は、生きてるよ」

延ばした手が、震えながらバリィの毛皮を撫でる。

「生きてるよ。バリィ、あんたのお陰だ」

うずくまるスコーピオの後ろで、立ったままの青年が、バリィを診る『クラル』の隊員と目を合わせた。
黙って静かに、隊員の首は否定の方向に振られる。
見つめる先のスコーピオが、背中を丸めて、小さくなっていく。

「バリィ……バリィ。大好きだ」

生まれたばかりの赤ん坊のように、スコーピオは大声で泣いた。
どんどん冷たくなっていく、身体の奥に逃げていく温もりを追うように、スコーピオは強く、強く彼にしがみつく。
立ったままのラッキーが、声を出さずに泣いていた。







楽しそうに笑うバリィ。
最期まで失われなかった、輝く瞳。
闘うときに輝くその瞳を受け継いで、スコーピオはまた、強くなる。



<END>

(c)Yoshie Sato 2018.

後書き

この作品は2006年に書籍化したSF[ANOTHER WORLD]の外伝になります。
※設定、固有名詞など、物語は作者の財産です。

この小説について

タイトル ANOTHER WORLD 〜外伝〜
初版 2018年3月16日
改訂 2018年3月16日
小説ID 5007
閲覧数 219
合計★ 8
アクアビットの写真
ぬし
作家名 ★アクアビット
作家ID 666
投稿数 30
★の数 94
活動度 8005
アクアビットの小説は『PCにて見開き表示』が読みやすいかと。お試しあれ〜

コメント (10)

clibin009 コメントのみ 2018年6月22日 16時33分04秒
(このコメントは作者によって削除されました)
libilltao コメントのみ 2018年7月25日 13時02分00秒
(このコメントは作者によって削除されました)
mahckey コメントのみ 2018年7月30日 15時39分07秒
(このコメントは作者によって削除されました)
wwwe コメントのみ 2018年8月9日 15時25分49秒
(このコメントは作者によって削除されました)
clibin009q コメントのみ 2018年8月9日 17時16分24秒
(このコメントは作者によって削除されました)
mahckey コメントのみ 2018年8月10日 18時14分20秒
chanyuan2018.08.11 2018年8月11日 12時48分44秒
chanyuan2018.08.11きません
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★アクアビット コメントのみ 2018年8月11日 14時25分39秒
おいマハーキー!クリビン009!
これ以上ぱろしょさんを荒らすようなら
PC持って警察行きますからね!!!
私は怒っています。
mahckey 2018年8月13日 17時11分19秒
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