封魔の城塞アルデガン 第3部:燃え上がる大地 前編

<第1章:国境>

 アザリアは東の王国イーリアから南の大国レドラスへ入る国境までやってきた。


 アルデガンを旅立ってから二ヶ月になろうとしていた。最初に北の王国ノールドに立ち寄り宝玉やレドラスに関する情報を交換し、次いでイーリアの宰相とも面会し、許可を得て宝玉を失った東の塔の現状を調べたところだった。アルデガンはその場所こそ北の国ノールドの領内にあるが、エルリア大陸全土に分布していた魔物の掃討のために築かれたという由来ゆえにどこの国からも独立しているものと位置づけられており、建立以来一定の敬意をもって接しられていた。むろんいまも援助を続けているノールドとの信頼関係が特に深いのも事実で、両者は互いの情報を包まず伝えあった。
 これらの情報が示す状況は予想以上に悪かった。レドラスの野心は明白であり、いつ戦端が開かれてもおかしくないとしか思えなかった。

「レドラスは宝玉についての我々の問いかけをはぐらかそうとするばかりだ」
 ノールドの王城リガンで面会した宰相はアザリアにいった。
「南の塔はレドラスの領土内にあり、西部地域の騒乱以来狙う者もあるので宝玉を塔に置いておけない。だから王城で保管しているというのが言い分だ。東の塔の宝玉については一切関知せぬというばかり。これでは我々もそれ以上追求はできぬ」
「だが今のレドラス王ミゲルが十五年前に即位してから、諸国との国境付近に軍勢を増強しているのも事実。表向きは西部地域の混乱が自国に及ばぬようにしているとのことだが、むしろ我が国や東のイーリアに向けて増強されている。
 我らも国境から領内にかけて砦を新たに設け防衛線を強化しておるのだが、ここ数ヶ月の間に軍勢がさらに増強され間者が入り込んでいる様子もある。ここだけの話、王宮ではもしもの場合にそなえての対応も協議しているところだ」
 レドラスはエルリア大陸最大の国だった。その版図はイーリアとノールドを合わせたよりも大きかった。難しい協議になるだろうとアザリアは思った。

 一方イーリアで聞いた話では先代の王の時代までのレドラスは決して野心をむき出しにしていたわけではなかった。豊かで広大な国土を持つレドラスは農耕民族を遊牧民が支配しており、地上軍の強さには定評があったが魔術の技法の分野においてはノールドやイーリアの水準に遠く及ばず、そのことで恐れを抱いている感さえあったという。特にアルデガンとの協力関係が深く魔術研究においては大陸随一とみなされていたノールドに対する先代のレドラス王の猜疑はいささか常軌を逸していたとの話だった。
 ばかげた話だとアザリアは嘆息した。どこから出た話かと。援助がとだえがちになるにつれ衰亡の翳りが目立つ今のアルデガンには魔術士の人材の枯渇こそが目立つというのに。そもそも魔物との戦いに明け暮れ軍事目的での魔術研究どころではなかったというのに。魔物たちの脅威が記憶から薄れ、援助がとだえ疎遠になるとここまで誤解されてしまうのかと。
 もっともアザリアにもそのような魔術に関する誤解に付け込む意図もあればこそ、長旅であるのにわざわざ魔術士の白い長衣を着てきたのだが。
 呪文ひとつ満足に唱えられぬ魔術士である自分がアルデガンの現状の戯画のように感じられた。

 そしてイーリアではまだ間者の侵入や軍の目立つ増強は認められないということだった。これはアザリアにとって意外だった。しかも明らかに悪い兆候だった。
 ラーダ寺院でゴルツから状況を聞いたときには宝玉のことを知らないイーリアの方がより危険なはずだと思っていたが、実際の状況は明らかにノールドを標的にしていることを示唆していた。魔術において優るはずの相手を、レドラスが宝玉を持っていると知っているため不意を襲いにくいはずなのにあえて標的にする。しかも宝玉はなんらかの加工を受けているとなれば、レドラスはノールドを圧倒するなんらかの魔術的な攻撃手段を手に入れたと考えるしかないように思えた。

 アザリアは旅に同行していたラーダ寺院の見習い僧たちにノールドとアルデガンに状況を伝えるために戻るよう命じた。そして自分はレドラスに赴き何か一つでも手掛かりを得るつもりだと告げた。見習い僧たちは危険であると反対し、自分たちも同行すると主張したが、アザリアは事態は急を要すると彼らを説き伏せてイーリアから戻らせた上で自分一人でここまできたのだった。


 国境の警備兵に大司教からレドラス王ミゲルにあてた支援要請の親書を持ってきたことを告げると、アザリアはレドラス領内に迎え入れられた。
 警備隊長は褐色の髪と灰色の目という同じ南部民族の特徴を持つアザリアへの親しみを隠さず、レドラスの王城への連絡・運搬隊の便に同乗できるよう取り計らってくれた。イーリアに面した軍勢が臨戦体制にないのは明らかだった。
 やはりノールドかとアザリアは思った。ノールドも警戒はしているしこちらからも警告はしたので虚を突かれることはないはずだが、アルデガンの主たる宝玉には劣るというものの巨大な力を持つ宝玉を二つも、それもノールドとイーリアの二国を同時に攻めるわけでもないとしたらどういう使い方をする気か想像もできなかった。そもそもそんな使い方をするほど大規模で高度な術式などこのエルリア大陸には存在しないし、一から作り上げるならば大陸屈指の魔術士が生涯のあらかたを費やさなければならないはずだった。

 自分のしていることが正気の沙汰ではないと自覚はしていた。かりにレドラスの秘密をつかんだとして、どうやって国外に伝えるつもりか。秘密を知れば殺されるのがおちではないか。自分もそう思ったからこそ見習い僧たちを帰したのではないか。
 だが、心の奥で警報が鳴り続けていた。なにがなんでも自分はその秘密をつかまなければならないとかつて洞窟で幾多の死線をくぐりぬけることで研ぎすまされた感覚が告げていた。
 馬車の窓からレドラス軍や領内の様子に油断なく目を配りながらも、アザリアはいつしか探索のため洞窟に赴くリアを見送った旅立ちの日のことを思い出していた。

 本当ならリアはこの旅に同行しているはずだった。アルデガンの外の世界をほとんど知らず、ただ洞窟の魔物と向きあうだけの日々において魔獣の魂に感応してしまったリアに、外の世界の営みを見せることで守るべき存在としての人間の姿を示せたなら、きっと自ら戦いの意味をつかみ直してくれたと信じていた。
 だがアルデガンに侵入した吸血鬼の牙は、その望みを無残に打ち砕いた。確かにリアは自分の身に振りかかった恐怖と絶望から他の者を守ろうという意識に目覚め恐ろしい戦いに臨んだ。だがそれは彼女の死をもってしか完結しないはずの戦いだった。
 アルデガンが失ったものは一人の少女などではなかった。衰亡の翳り深い現状では望むことすら難しい最高の守り手になりうる存在だった。つのる無念の思いがアザリアをまた苛んだ。

 あのとき側にいたアラードが自分を指し示したのを見て、アザリアはリアがすでに真昼の太陽に照らされた自分の姿を見ることができなくなっていると察した。リアは戻れるはずもない戦いに赴いた。いまや自分も容易に戻れるはずのない探索の途についている。

 もうリアの戦いの結果を知ることはできないかもしれない。
 リアが私の姿を見ることができなかったように、
 それでもいかなければならない。心の告げる声に従って。
 リアがきっとそうだったように。

 アザリアは背筋を伸ばし顔をあげ、決意も新たに馬車の行く手を見つめるのだった。





<第2章:洞窟下層>

 暗闇の中で、大きな飛竜と華奢な少女が向きあっていた。

 その大きさからも姿からも本来洞窟にいるのがふさわしくない飛竜は苛立っていた。その心の動きがリアには手に取るように読み取れた。洞窟の中では広げることもできない翼を思い切り伸ばし天翔けるイメージとして受け取った。
「それが望みなの?」
 応えは言葉でこそなかったが、明らかに肯定の念だった。
 リアは心を鎮めてみた。相手の苛立ちがみるみる鎮まった。
 ゆっくりと感応のつながりを解くと、飛竜は低く唸りながらも向きを変え、横穴の奥に戻っていった。


 あれからもう二ヶ月がたとうとしていた。その間リアは洞窟をさまよい歩き、多くの秘密を知った。
 同時に自分の身に起きた変化がどんなものであるかも。

 洞窟には様々なものが棲んでいた。深くなればなるほど種類も数も多かった。
 下層の岩壁は岩がむき出した場所はほとんどなく、様々な種類の苔やキノコなどの菌類や青白い植物めいたものがはびこっていた。それを糧にしているとおぼしき虫、さらにそれを餌にしているネズミやコウモリなども凄まじい数だった。亜人たちはもっぱらそれらを餌にして、横穴の奥の巣穴にあふれるほど繁殖していた。そしてより大きな魔物たちが彼らを糧にしていた。

 洞窟は一本の太い通路から多くの枝道が伸びていて、その先に様々な様子の空洞があった。それらの多くは単なる空洞のままではなく何らかの力で異質な環境と化し、その環境に応じた魔物の棲みかになっていた。通路にあったものよりはるかに大きく深い地底湖には水棲の魔物たちが棲んでいた。青白い植物が疑似的な森を作っている空洞もあった。暗闇の中に自然な火口ではありえない亀裂から吹き出る噴火の力で、太陽まがいの光と熱を浴びた砂漠めいた環境を作り上げた砂地の空洞もあった。

 それらの空洞に棲む数多くの魔物たちとリアは対峙してきた。その結果わかったことは、自分の感応力がおそらく転化によって強化され変質したことだった。
 彼女はいまや出会った魔物たちと自由に感応しあうことができた。亜人や巨人、一部の魔獣などではほぼ言語に近い水準で思念を交わすことができ、より知性の低い魔物ともイメージの水準のものを伝え合うことができた。
 彼らは一様に外界へ出ることを渇望していた。当然だった。彼らにとってここはしょせん牢獄だった。いくらか本来の環境に似せられていて一応生きてはいけるものの、本来在るべき場所ではなかった。滅びの場として用意されたものだったのだから当たり前ではあったが、それなら環境を変えている力は人間の意図とは矛盾するものだった。アールダ師が魔物を滅ぼすために洞窟に追い込んだのが誤りだったといったというのも、この不思議な力の存在ゆえのことだったのだろうとリアは思った。

 そしておそらくは吸血鬼が持つ獲物に対する支配の力の影響なのか、魔物の精神を自らの精神にある程度まで同調させることができることもわかった。
 しかも彼女の目は出会った全ての魔物の体に命の流れを読み取ることができた。かりに正面から戦いになったとしても、よほど体の大きさが違うのでなければ命の流れを断ち切ることで容易に相手を斃せることが本能的にわかった。

 しかし、どの魔物にも、あるいは洞窟にはびこる小動物にも、命の流れは読み取れても血の流れを見ることはなかった。
 目覚めたばかりのあのとき自分がアラードの姿に見てしまった血の流れ、命の流れと重なり合うように見て取れた真紅の流れを他の生き物に見ることは一切なかった。それを見た瞬間に確かに感じられたあの恐ろしい衝動も、他の魔物や生き物によってかきたてられることはまったくなかった。
 だからこの二ヶ月ほどの間にじりじりと強まってきた渇きも、人間の血でなければ鎮められないものであることがもうわかっていた。

 吸血鬼は生き物の理に収まる存在ではなく呪いの範疇にあり、その渇きは自らが生きるためではなく他の人間を化生させるためのものとゴルツは語ったが、自分が人間という種族に呪縛された最凶の魔物と化したことを彼女はいまや実感していた。
 それゆえリアは多くの魔物のもとを訪れた。自分をこの世から完全に消し去ることのできるものがいることを願って。
 だが、そんなものには会えなかった。彼らはいずれも生き物としての理の中に留まる存在にすぎなかった。自分の肉体を喰らい尽くすものはいるとしても、魂を滅ぼされない限り肉体はいくらでも編み上げられてしまう。魂の水準において自分を滅する力を持つと見て取れたものはいなかった。

 だから数多くの魔物と出会ったものの、戦いを仕掛けることはないままだった。渇きとともに焦りと絶望が増しつつあった。
「どうなるの、私……」
 思わず呻き声が出た。

 どうやら自分を滅ぼせるものはゴルツしかいそうになかった。ならば滅びたければ地上に戻るしかない。けれど地上に戻れば、ゴルツに会うまでに別の誰かに出会うはず。そのとき何が起こるのか、渇きにかられ牙にかけるようなことになるのでは。互いに顔も見知った、大切な仲間だった誰かを……。
 おぞましかった。許せなかった。やはり戻ってはいけない!
 でも、このままでは渇きがいや増すばかり。事態はますます悪くなる……。

 そのときリアは岩壁を覆い尽くすキノコや植物の根元に金色の光がかすかに流れているのに気づいた。改めて洞窟を見回すと、その流れは洞窟の最深部から洞窟全体に流れているのが見て取れた。これが洞窟の異常なまでに豊穣な生命を支えていると彼女は直感した。
 洞窟の環境を変えてしまい数多の命を支える強大な力。それがどんなものかはわからないが、もしかすれば自分を滅ぼすことができる力かも!
 リアは最後に残された未踏の空洞にあるはずの力の源めざし、すがる思いで最深部への坂を駆け下り始めた。





<第3章:レドラス>


 アザリアを乗せた馬車がレドラスの王城ドルンに到着したのは午後になってからだった。

 巨大な城だった。しかもまだ築かれて年数が浅いようだった。高さはさほどなく尖塔の類いも少ないが、巨大な切り株のような平たい形状からすれば屋上には巨大な空間を確保しているように見えた。見るからに奇妙な作りだった。
 王城はただならぬ雰囲気につつまれていた。武装した軍隊が城門から北へ続く街道に送り出されていた。しかもその規模や装備から見てこれは本体の背後に置かれる補給部隊か予備兵団のようだった。本体はすでに送り出されたあとらしかった。遅かったかとの思いにアザリアは唇をかんだ。
 だが、王宮の中庭にはひときわ目立つ八頭立ての戦車が留められていた。豪華な装飾から一目で王の乗り物であるとわかった。近衛兵の姿もそこここに見られた。どうやら王はまだ城内にいるらしかった。
 警備兵から話をきいた近衛兵が城内に入った。状況からとても目通りがかなうとは思えなかったが、戻ってきた近衛兵は意外なことに城内に入るようアザリアに告げた。

 鎧を身に付け帯剣して現れたレドラス王ミゲルは四十代半ば。中背で褐色の髪と灰色の目を持つ典型的な南部遊牧民族の特徴の持ち主だった。ここレドラスにおいてそれは支配者の証だった。しかしその風貌は満足を知らぬ貪欲さを見せつけるようだった。その目はむき出しの野望にぎらついていた。
「親書を携えてきたと聞いた。大儀である」
 ひざまづくアザリアの前で、王は近衛兵から親書を受け取り、ざっと目を通した。
「支援を我がレドラスに求めるというか。そなたイーリア側から国境を越えたと聞くが、かの国にも支援を求めたのか?」
 アザリアが首肯すると、ミゲル王の口元に意味ありげな冷笑が浮かんだ。
「まことに大儀である。我が誇り高き一族に遠く連なるその身で使い走りとはな。だが、それももはや無用だ。我らが洞窟の魔物など一掃してくれる」
「おそれながら、それはどういう意味にございますか?」
「我が偉大なるレドラスが誰もなしえなかったことをなす。ゆえに我が国にこそかの地を治める資格があるということだ」
 ミゲル王は声をあげて笑った。
「余は先代と違う。アルデガンやノールドの現状など知り抜いておる。もはや魔法の時代ではない。衰亡した実態に過去の幻影をまとわせ欺いているにすぎぬ。そなたがその白き長衣にて呪文を失った身をまとい欺こうとしているのと同じこと」
 アザリアは色を失った。そんなアルデガンに住む者しか知らぬはずのことを、なぜこのレドラス王が知っているのか!

 倣岸なる王はしばしアザリアの様子を面白そうに眺め、やがて言葉を続けた。
「見てのとおり我が国は取りこんでおる。本来ならば謁見どころではないのだが、使者がそなたであると聞いたからこそこうして会っておるのだ。そなたがおらねば戦支度をすることもなかったのだからな。光栄に思うがよいぞ、アザリア」
「……私がいなければ、戦をすることもなかったと?」
 ますますわからなくなった。この男はなにをいっている?
 侍従の耳打ちにミゲル王がうなづいた。
「もう少しそなたが惑うのを見ていたくもあるが、時間がないのでな。そなた、我が方を探りにきたのであろう? いや、隠さずともよい」
 アザリアが口を開く間も与えず、王は片手で制した。
「余は感嘆しておるのだ。さすが我が民族の血を引く者、大した胆力とな。そなたが恭順を誓うなら処遇を考えてもよいのだぞ。偉大な民族の一員たるそなたのような者が命運尽きたアルデガンになど身を置く意味はありはせぬ」
 ミゲル王は再び笑い声をあげた。

「くるがいい! 我がレドラスの大いなる力を見せてやる!」





<第4章:最下層>


 リアが辿り着いたのはこれまでの中で最大の空洞だった。幅や奥行きもさることながら高さがずばぬけて高く、噴煙でけぶっているため天井の様子が見て取れないほどだった。
 ここには人の手による加工はおろか、不思議な力による環境の変化も見て取れなかった。ゴルツがいったとおり、小さいながら火山としての特徴をすべて備えた火山が炎を上げていた。天井までの高さの約半分の高さにある火口から天井を舐めるように炎が吹き上げられるたびに、はるかに離れた岩壁に赤と黒の妖しい文様が踊った。
 そして、炎を吹き上げる火口から円錐状の麓へと、あの金色の微かな光が絶え間なく溢れ出て、洞窟の通路の壁を伝い流れていた。力の源は火口の中らしかった。
 火口の中では手出しができない。リアがとまどっていると、突然強大な思念を感じた。
>人の子よ。汝一人いかにしてここまで辿り着いた?<

 これまで先に呼びかけてきた魔物などいなかった。驚くリアの目の前で火口から太い火柱が上がった。その紅蓮の流れの中を、金色に輝きながら泳ぐものがいた。それが光の源だった。
 だが、それ以上は捉えられなかった。真昼の太陽とまがう光に目を開けていられなくなった。リアは痛む目を閉じて叫んだ。
「あなたはだれ? 姿を見せて!」
 火柱が縦に裂けた。左右に大きく分かれた二本の炎の間にそれが姿を現した。

 決して大きな体ではなかった。腹が赤、背が緑にきらめく蛇体はせいぜい人の背の三倍から四倍程度、金色にまばゆく輝く翼は翼長が人の背と同じくらい。頭部に至っては大きさだけでなく形までいくらか人間に似ていた。細い顔を無数の触手が取り巻いていて、頭頂に生えた一群の短い触手には赤い眼点が認められた。それ以外のより長い触手は蠢きながらも背に流れていた。
 白い毛に根元を取り巻かれた細い首の下には三本の爪を備えた二本の短い腕を持つ肩が続き、いったんくびれたあと金色の翼の付け根のところで太くなっていたので、その半身は奇妙なまでに女性的な印象を与えた。髪の代わりに蛇を生やした女を想わせる半身に翼の生えた蛇体が続いた小型の竜のような姿だった。
 さほど大きくもなくしかも女性的で細身の姿。しかしその印象とはおよそかけ離れた途方もない力を秘めていることが感じられた。これまで出会った魔物とは比べものにならなかった。しかも少なくとも人間と同等の知性を備えた存在だった。
 そして生命の流れが異質だった。他の魔物たちは人間や動物と同じ理の中に生きていたが、目の前の魔物は炎の力を翼を介してじかに取り込み、形を変えて放出していた。まったく違った理に生きる存在だった。一見この世の魔物とそうかけ離れた姿ではないものの、本質は見かけ以上に異質な存在であるらしかった。
 これはこの世の外からきたものかもしれない。
 リアの直感がそう告げた。

>我の問いかけには答えぬのか? 人の子よ<
 魔物の思念が再び放たれた。
「私は人間ではないわ。あなたにはわからない?
 私には、あなたがこの世のものではないように見える。
 あなたには私のことはどう見えるの?」
>我をこの世界のものではないと見たか!<
 驚きを隠さぬ思念が返された。
>ならば汝は確かにただ者ではあるまい。だが我には汝と人間の区別がつかぬ<
 金色の翼を優美に羽ばたかせ、魔物はリアのすぐ上空まで舞い降りた。眼点を持つ触手がのぞき込むように蠢いた。

>確かに汝にはなにか不思議な力を感じる。ただの人間ではないのかもしれぬ。だが二百年前に我と会った者は、はるかに強大な力を持っていた。汝の力とは違っていたかもしれぬが、強さでいえば汝など足元にも及ばぬ力だ。
 それでもかの者は人間だといっていた。おそらくそうだったのだろう。だから我には汝も人間に見える<
「二百年前に出会った者って、まさかアールダ師のこと?」
 リアは叫んだ。
「あなたはアールダ師と話したの?」
>確かにかの者は自分のことをそう呼んでいた<
 どうやら視覚をつかさどるものではないらしい顔面の二つの目のようなものがきらめいた。
>かの者は途方もない力をもっていた。およそ人間という種族の限界をはるかに超えた力を、我と戦って一歩も譲らぬ凄まじい力を。長びくばかりで決着のつかぬ戦いの中で我らは互いの思念を交わせることを悟った。我はこの世界に漂着して永くたつが、それまで人間と思念を交わすことなど思いもよらなかった<
>かの者は誰にも話せぬ疑念を抱え込んでいた。だから我はこの世界に漂着して以来伝えたことのなかったものを伝えた。それがかの者の疑念に答えるものだったから。そして我らは約定を交わすに至ったのだ<

 思いもよらない話に、リアは呆然として聞き入っていた。





<第5章:王城>


 アザリアはレドラス王ミゲルに続き、近衛兵に両脇を挟まれたまま長い階段を登りきった。侍従が重い扉を開けた。
 太陽の光がまともにアザリアの目を射ぬき一瞬なにも見えなくなった。風が吹き込むと同時に異様なわめき声が聞こえた。

 扉の外は屋上だった。アザリアは息をのんだ。
 巨大な円形の広場だった。壁から屋根が張り出していたが壁の周囲の一部だけであり、広場の大部分は屋根がなく空がそのまま見えていた。広大な壁の周囲の屋根の下は無数の装置でびっしり埋め尽くされていた。明らかに魔法装置だった。
 部屋の中央には祭壇のようなものが設けられ、ひときわ大きく複雑な装置が大空の下に組み上げられていた。
 大きく西へ傾いた午後の太陽の光をも色あせさせるような虹色の強い光が二すじ祭壇の装置から放たれていた。南と東の塔から持ち去られた二つの宝玉に違いなかった。

 その陰に置かれた鉄の檻の中に、両手を縛られたぼろぼろの男がひとり囚われ暴れ狂っていた。
 鉄灰色の髪が半ばまで白くなっていたためあたかも老境にさしかかっているかのようだったが、そうとは思えぬ獣じみた異様な暴れぶりだった。縛めを解こうともがき鉄格子に身をぶつけ叫び狂う姿からは遠目にも正気ではないことが見て取れた。その叫びの中に呪文の断片が混じっていることにアザリアは気づいた。
 無残な光景にアザリアは立ちすくんだ。自分の顔が引きつるのがわかった。

「そんなところで立っておらずに近う寄ってみてはどうだ」
 ミゲル王の含み笑いが聞こえた。
「久方ぶりの再会ではないか」
 王の声を聞きつけたのか、男が振り向いた。変わり果てた顔形だけではわかりようがなかった。
 だが、男は隻眼だった。左目がえぐられていた。
「まさか! ガラリアン!」
 自分の耳にさえ悲鳴に聞こえた。いつかけ寄ったのかもわからなかった。
「私よ。アザリアよ! わからないのっ?」
 血走った片目が向いた。だがなにも映していなかった。得体の知れぬ妄執の嵐が荒れ狂う地獄の窓さながらだった。アザリアは戦慄した。

「無駄だ。わかりはせぬ」王が笑った。
「余のことさえ、もうわかりはせんのだ」
「残酷な!」アザリアは振り返り、王を睨みつけた。
「彼を閉じ込めてなにをさせるつもり? レドラス王!」
「無礼者!」近衛兵が色めき立ったが、王は片手で制した。
「強いてなどおらぬ。させぬように閉じ込めたまでだ。こちらの準備が整わぬのに勝手に術を発動しようとするのでな」
 王の口ぶりが苦々しげなものに変わった。
「取り押さえるだけで近衛隊が一つ壊滅した。それから丸二日も暴れておる。術を発動するのはそやつの宿願。余はそれを叶えてやったにすぎぬ」
「ガラリアンにノールドを攻める理由などないわ!」
「もう少し察しがよいと思うたぞ、アザリア」
 王の顔に冷笑が戻った。
「そやつの宿願はノールドではない。アルデガンの滅亡だ」

「余がガラリアンと会ったのは即位する少し前だった」
 自失していたアザリアの耳にミゲル王の声が遠くから聞こえてきた。自分が近衛兵の手でガラリアンの檻から引き離されていたことにやっと気づいた。
「宝玉の塔のそばで狩りをしていて見つけた。塔を目指しているように見えた。だから尋問した。むろんそのときのそやつはまだ話が通じた。それでもかなり荒んではおったがな」
「己の力が洞窟を制するに足らず、誰かを救えず絶望したという話をしおった。なにがなんでもアルデガンを根こそぎ吹き飛ばし焼き尽くすといっておった。術の原理は編み出せた、だが膨大な魔力が必要なので支えの宝玉が欠かせぬ。それも一つでは心もとない、二つは欲しいとな」
「むろん先代の耳に入れば処刑は免れぬ。だから余はガラリアンをかくまった」
「なぜ……? どうしてそんなことを?」
「そやつの話でノールドはアルデガンと魔術の共同研究などしておらず、怖るに足らぬと知れたからだ」
 ミゲル王の目がぎらついた。

「もともと余は北の大地を金髪青目の民になどゆだねておきたくなかった。エルリア大陸に覇をとなえるのは我がレドラス以外にありえぬ。先代の怯懦がもどかしかった」
「だが、ノールドを攻めるには問題が二つあった。一つは先代が怖れたノールドの魔術。それは怖るに足らぬと知れた。残るは洞窟の魔物だ。実情はそなたの方が詳しかろう?」
 王はアザリアをじろりと見た。
「いくらノールドを平らげたようと魔物の相手などさせられてはたまらぬ。ならば北の民に番をさせておいたほうがよい。だが、ガラリアンはその脅威を根こそぎ取り除いてくれるというのだ。我が覇道を天が望めばこそガラリアンは余と出会うたのだ!」

 アザリアの視線は野望を隠そうともせぬ傲岸な王と檻の中の妄執に狂うかつての仲間の間をさまよった。悪夢だった。貪乱な野望が狂気に憑かれた凄まじい力を得て人の世に暴威を振るおうとしていた。出会ってはならぬ者たちが出会い、この世を呑み込む巨大な双頭の魔獣と化したも同然だった。
「……アルデガンを、いったいどうするつもり?」
 声がかすれていた。
「ガラリアンの思いのままに。それとも余に魔術の解説でもしてほしいのか?」
 ミゲル王がさもおかしそうに笑った。
「だからそなたをここへ立ち合わせるのではないか。しかとその目で見届けてもらおうと思うてな。そなたがそやつを身を挺して助けてくれたおかげでここに余の大望が成就するのだ。光栄に思うがよいぞ。アザリア」
「そんな……」
 アザリアは呻いた。呻くことしかできなかった。

 あのとき彼を助けたために自分は呪文を唱えれば死ぬ身となり戦いから退かざるをえなくなった。さもなければ救えたはずの仲間が何人も犠牲になったとの思いにもずっと苛まれてきた。
 そのガラリアンがアルデガンを滅ぼそうとしている。レドラス王も混乱を突いて一気にノールドを滅ぼすつもりだ!
 彼を助けたことは間違いだったのか? これでは膨大な人々を戦乱の中で死なせる発端を開いたことになってしまう!
 目の前がまっ暗になった。
「刻限にございます」
 侍従の声に王がうなづいた。
「出してやれ!」

 縛めを解かれたガラリアンは檻から走り出て祭壇の装置に駆け上がると、虹色に輝く二つの宝玉に両手をかざしながら呪文の詠唱を始めた。アザリアはそれが彼の得意とした炎の呪文を途方もない規模にまで編み直したものであることに気づいた。
 宝玉の虹色の光が照らす空に炎が燃え上がった。炎は空一面に広がり宝玉の光を際限なく吸い上げた。膨大な魔力をすべて炎に変えるつもりと知れた。二つの宝玉が光を失い砕け散ったとき、空一面の業火の照り返しは地上のすべてのものを朱に染め上げていた。もはやこの世の光景ではなかった。
 でも、これでは上空がただ途方もない規模で燃え上がっているだけのことだった。
「どうする気なの? こんなことをして……」
「ここからが肝要だ。我が大望にとってもな」
 王の声にも緊迫した響きがあった。

 瞬間、ガラリアンの呪文が変わった。響きに昏い陰がさした。それはアルデガンでは決して使われることのない韻律だった。
「まさか、魔道の呪文!」
 アザリアが叫んだとたん、壁際を埋めつくす魔法装置が赤い光の筋をいっせいに放った。それらがガラリアンの頭上の中空で縦横にからみあい魔法陣を織りなした。魔法陣の真ん中からの赤い光がガラリアンを包み込んだ。すると狂える魔術士の姿が大きくゆらぎ、ねじれ始めた。彼の内部のなにかを魔法陣が吸い上げ、それが上空の炎に転送されていった。
 妄執を炎に移している! それは直感だった。己の妄執で炎をアルデガンに導くつもりだ!
 考えるより早く体が突進した。王も近衛兵も反応できぬうちにアザリアは祭壇のガラリアンに迫った。
「こんなことをさせるために助けたんじゃないわっ!」叫びが後から追ってきた。
 だがねじれて原形を留めていない腕が振りぬかれると、気弾がアザリアを吹き飛ばし、彼女は石畳に叩きつけられた。あばらが折れた激痛に薄れゆく意識のなかでアザリアが最後に目にしたのは、ぬけがらと化して崩れるガラリアンと地獄の太陽さながらに天空を滑る巨大な火の玉の姿だった。

「我が大望は成就せり!」ミゲル王が叫んだ。
「いまこそノールドの異民族を討伐し、かの地をレドラスの威光にて押し包まん! 余も出陣するぞ! 戦車を引けいっ!」
「捨て置け! 討伐の前に同族を斬っては縁起が悪い」
 アザリアにとどめを刺そうとする近衛兵を王は制した。
「これだけ楽しませてくれたのだ。どうせなにもできはせぬ」

「余が凱旋しても生きておれば処遇を考えてやろう」
 階段の降り口でミゲル王は笑った。
「そこまでの強運であれば、ぜひあやかりたいものよのう」
 重い扉が閉ざされた。昏倒したアザリアを残したまま。





<第6章:地下火山>


>かの者の力はあまりにも強大だった<
 金色に輝く人面の竜のごとき魔物の思念が告げた。
>もともとは怪物の餌食になる仲間を救いたい一心で戦いを始めたといっていた。だがその力は自身の予想を超えて強大だった。気がつけば広大な土地に棲みついていた幾多の怪物をほとんど己の力一つで討伐し、わずかな生き残りをこの地へと追い込んでいたという。
 周りの人間たちはかの者が怪物を滅ぼすことを望んだ。もはやそれは目前だった。己の手を振るえば幾多の種族がこの世界から消え去ることをかの者は悟った<
 火口から間をおいて吹き上がる炎が魔物の翼に弧を描いて吸い込まれ、背中に流れた触手が打ち震えた。

>そのときかの者は迷ったという。己のなそうとすることは正しいのかと。長く怪物と戦ってきたゆえに、かの者は怪物の本質を知りぬいていた。初めはただ恐るべき化物としか思えなかったものどもが結局のところ生き物の理に従うものでしかないとすでに悟っていた。それを己一人が滅ぼしてよいのかと<
 魔物の全身の金色の輝きが拡散して洞窟の岩壁に流された。
>我と戦いながら、汝と同じくかの者も我がこの世界に属さぬものであることを悟った。そのことがかえってその迷いを大きくしたようだった。同じ世界に属するものを一人の手が滅ぼすことは許されるのかと。神とか造物主とかよくわからぬこともいっていたが、大筋そういうことのようだった。
 そのうえかの者には、仲間たる人間たちの振舞いゆえの悩みもあったのだ<
 炎を吸い込むのを中断した魔物の輝きが薄れ、緑と赤の体色があらわになった。

>かの者は人間という種族の限界をはるかに超えた力を持つゆえに他の人間が見ないものを見、考えないことを考えた。怪物の脅威から救った者どもが同じ人間に滅ぼされたり逆に他の人間を攻めたこともあったようだが、これが新たな懊悩となった。人間という種族が世界を占有し力を振るうことに、かの者は懐疑の念を抱かざるをえなくなっていたのだ。
 だから我はかの者に我が種族の過ちを告げた<
「あなたの種族の過ち?」
 目を焼く輝きが薄れたことにほっとしながらリアがきいた。

>かの者や汝が見たとおり、我はこの世界のものではない<
 魔物は地面に舞い降りて岩に巻きつき翼を休めた。
>異なる星界よりこの世界に漂着した。自らの星界を我ら自身が食い潰し滅ぼしたゆえに<
「……食い潰す? 自分の世界を?」
 それはリアの理解を超えた概念だった。
>見てのとおり我は大地の炎の力を糧に生きるもの。いわば大地の力を吸い上げて生きるものだ<
 長い触手が岩に巻きついた。
>我らは増えすぎたあげく世界を吸い尽くしてしまった。我らの世界は炎の力を失い冷たく不毛な岩の塊になり果てたのだ<
 今度はリアにもおぼろげながらそのありさまが想像できた。

>世界には均衡というものがあるのだ。かつては我らの世界にも我らを貪り生きる種族がいたという。だが、いつしか我が種族はそのものを滅ぼしてしまった。我らから見ればそれは恐ろしい怪物。だが我らが世界を吸い尽くしかねない怪物である以上、それは世界の番人、星界の守護者であった。それを我らは滅ぼした。ゆえに怪物としての我らから世界を守るものはいなくなった<
 眼点を持つ触手に引かれるように、人間に似ていなくもない顔が中空を仰いだ。

>自らの手で種族としての自らを律するのは難しい。それは己に対して必要な時は怪物として振る舞わなければならないことを意味するのだから。自らの力を伸ばすために他の者を滅ぼすのではなく、自らが世界に対する怪物であるとの自覚の下に、容赦なく己が種族の力を削がねばならないのだから。
 我らにはそれができなかった。限度を超えて増えてしまった。ゆえに我らの世界は本来の寿命が尽きるよりはるかに早く我らに吸い尽くされ、他の種族をも巻き添えに滅びてしまったのだ<
 魔物の思念に悔悟らしきものが混じった。

>我らは暗黒の虚空に離散した。広大な虚空にちりぢりとなり、それぞれが先のわからぬ漂泊の旅に出るしかなかった。我はこの世界に漂着した。他のものも二、三きているように感じたので、我はこの世界を探しまわった。出会うことはなかったが<
>そのかわり我は奇妙な生き物に気づいた。それは個体としては弱体であるのに数が集まると明らかに世界を変える力を発揮していた。直接世界を吸い上げるわけではなかったが、かつての我らのように自らの世界の運命を変えうる存在であると見て取れた。それが汝ら人間だ。我はその振る舞いを注視した<

「それで、どう思ったの? 私たちのことを」
>懸念を覚えた。世界に対して振るうその力の大きさにもかかわらず、自らが世界に対する怪物であると認識をしているようには見えなかったゆえ<
>だが、我はこの世界にとってしょせん異物にすぎぬ。軽々しく関与することは有害であろうとも思った。だから見守っていた。しかしそこにかの者が現れ、種族の域からはるかに突出した己の力一つで怪物たちを駆逐し始めた<
 魔物は岩に絡みついた身をほどき、再び翼を広げて舞い上がった。

>だから我はかの者に伝えた。我が種族の過ちを。かの者が汝ら人間という種族と世界の命運にとって大きな岐路にいることを。この岐路を種族としての力ならざるもので決するなら、もし種族としての人間が滅ぼしえないものを滅ぼしてしまったなら、種族の運命も世界の命運も大きく狂いかねないと我は警告した<
>かの者は我の警告を受け入れた。そして我らは約定を結んだ。ここに追い込まれたものどもと人間の運命がより本来の形に近い過程を経て決まるようにと<

「……どんな約定なの? それは」
>かの者は結界を張り人ならぬものが洞窟を破ることを禁じる。人間は出口を守り追い込まれたものどもと種族の域を越えぬ力で戦う。その限りにおいて、我は戦いに関与せず追い込まれたものどもを養うことに専念する。その結果人間がこのものどもを滅ぼせたなら岐路の決定として認める。しかし種族の域を大幅に越えた力で攻めるなら、我がこのものどもを守る。人間が結界を維持できず弱まったり解かれるようなことがあれば、このものどもは再び地上に解き放たれる。
 これがかの者と合意に至った内容だ<
 そのとたん、魔物の背の触手がざあっと広がった。ただならぬ様子にリアは思わず後じさった。
「なんなの? どうしたの?」
 魔物は答えなかった。眼点を持つ触手はしかし別の方向を見上げていた。

>巨大な炎が現れた。南からこの地をめがけて飛んでくる<
 ややあって魔物の思念が告げた。
「なぜわかるの? こんなところにいるのに!」
>我は炎の力を喰らうものだ。それに炎もあまりにも大きい<
 触手が探るように蠢いた。

>この地を丸ごと呑み込む大きさがある。いま地上は日没を迎えている頃だが、日没の残照が消えてさほどたたぬうちにここまでくるはず。直撃すればこの深さまで根こそぎ吹き飛び人間も洞窟のものどもも全滅するだろう<
「なんですって!」
>同族もろとも滅ぼそうというのか。どうも人間の考えることはよくわからぬ。我らは同族同士で殺しあうことはなかった。だからこそ増え過ぎたのかもしれぬが。
 だが人間の殺し合いも相手を排除して自分たちが置き換わろうとするものばかりと我には見える。それでは種族としての自らを律する行為とはいえぬ<
 魔物が大きく翼を広げると全身がまばゆい光に包まれた。洞窟全体が凄まじい力の場に包まれたのをリアは感じた。
>いずれにせよ、これは種族の域を越えた力だ。我は約定に従い洞窟のものどもを守る<
「……では、それでは地上のみんなはどうなるの?」
>炎に呑まれ全滅する<
 リアは絶句した。

>我が力はかの者の結界に阻まれている。地上までは及ばぬ<
 魔物の思念が告げるのをリアは呆然と聞いていた。
>かの者が死んだのなら結界をこじあけることもできぬわけではない。だがそれは約定に反する。それに強大な結界をそれ以上の力でこじあけるのだ。それだけで地上は吹き飛んでしまう<
「……そんな! なんとかならないの?」
>我がなんとかせねばならぬ理由があるか? 人の子よ<
 魔物の思念は不思議そうだった。
>汝が仲間に知らせればよいだけの話ではないか<
「私は……、私は人間じゃない……」
 リアは呻いた。
「決して地上に戻ってはいけない怪物なのよ」
>見たところ人間にしか見えぬ。話す限り心も人間のようにしか思えぬ<
 再び不思議そうな思念が返された。
>我には汝と人間の区別がつかぬ<
「わからないの? 私は魂に不死の呪いを受けた者なのよ」
 リアは魔物を仰ぎ見て叫んだ。
「私はこの魂を滅ぼしてくれるものを求めてここまできたわ。
 あなたは私の魂を滅ぼせないの?」
>汝のいうことはよくわからぬ<
 輝く魔物はとまどっているようだった。
>我にできることは燃やすか凍らせるかのどちらかだ。汝がいうこととは違うような気がするが……<

「……では、この洞窟には私を滅ぼせるものはいないのね」
 リアは自分に問い掛けた。それなら洞窟に留まることはなにを意味するのかと。
 仲間に危害を加えることを自分はなにより恐れてきた。だから洞窟の中で滅びてしまいたかった。だが、それはできないことがわかってしまった。その上ここに留まることはアルデガンの仲間が全滅するのを座して見ていることでしかないことまでわかってしまった。
 ならば自分はどうしたいのか? 答えはすぐ出た。
「アルデガンから逃れさせたい! 誰も死なせたくない!」
 リアはもはや姿も見えないほどまばゆく輝く魔物を見上げた。その目にも激しい光が宿っていた。
「私がみんなに伝えるわ。ありがとう!」
 応えも待たずに身をひるがえし、一目散に洞窟の通路を駆け上り始めた。

 だがたちまち、心を挫こうとする姿なきものが追いすがってきた。
−−−そんなことができると思っているのか−−−
 奈落からの声が囁いた。
−−−こんな話を誰が信じるのだ−−−
 逃れようといっそう足を速めた。
−−−人間でないおまえの話など−−−
 両手で耳をふさいだ。
−−−心だけ人間のふりをしてもむだだ−−−
 歯を食いしばった。牙が唇に触れた。
−−−牙持つ身でありながら何様のつもり?−−−
 ラルダの叫びに思わず呻いた。
−−−できるものか、できるものか、できるものか!−−−
 いまや洞窟全体に反響する巨大な声に抗いながら、リアは果てしなく続く洞窟を駆け続けた。





<第7章:洞門前>


 リアが洞門に辿りついた時、空は燃えるような朱に染めあげられていた。
 夕日がちょうど沈むところだった。岩山と城壁に囲まれた砂地には影が落ちていたが、城壁は沈む夕日を照り返していた。
 暗闇の中で転化したラルダに比べ、リアは転化の過程で光を浴びる時間が長かったので少しは光への耐性が高かった。それでも沈む夕日の照り返しでさえ烙印を押すような苦痛で身を苛んだ。まるで自分が人間でないことを暴き立てる悪意さながらだった。歯を食いしばって、彼女は洞窟から砂地へと歩み出た。
 夕日を浴びて輝く城壁にリアは目がくらみ見張り台の様子などまったく見て取れなかった。痛む目を閉じるとリアは声を限りに呼ばわった。
「誰か! そこに誰かいないの?」
「何者……」城壁の上から誰何しようとした声がとぎれた。
「お、おまえは!」
「降りてきてはだめ! 近づかないで! もう私のことは知っているんでしょう?」
 リアは目で見ることをあきらめ気配を探り捉えた。城壁の上に三人、いや、四人の若者が集まってきた。
「私はそこまで行く気はないわ。ここからでも私の話は聞こえるはずよ」
「なにをしにきた!」
「警告よ」リアは片手で天を指した。
「アルデガンは空からの炎に焼き尽くされる。全員いますぐ脱出して。でないと全滅よ!」

 声が返ってくるまで時間がかかった。
「なんだと……。おまえはなにをいっている?」
「どこかの人間たちが巨大な火の玉を放ったのよ! アルデガンを滅ぼすために」
「ばかな! そんなこと信じられるか!」
 当然の反応だった。逆の立場なら自分だって信じないだろう。だが時間がない! リアはあえて牙を見せつけ叫んだ。
「あなたたちでは話にならないわ! すぐに大司教閣下をここへお呼びして。でないと私がそっちへ乗り込むわよ!」
 慌てた若者たちの一人が脱兎のごとく走り去った。


 夜番に就くため城壁の扉をくぐろうとしたアラードは、飛び出してきた仲間とぶつかりそうになった。
「危ないじゃないか、どうしたんだ!」
「リアが、リアが現れた……」
「なんだって!」
「城壁の下にいるんだ。アルデガンが空から焼き滅ぼされるからみんな逃げろとかいってる。ゴルツ閣下を呼べと」
「……わかった。閣下を呼んでくる。隊長を呼んできてくれ」
 アラードはラーダ寺院へ一目散に走った。


「リアが現れたと! アルデガンに侵入したのか?」
 ゴルツとともにいたグロスが叫んだ。
「城壁の下にいるそうです。アルデガンが空から焼き滅ぼされるからみんな逃げろといっていると。大司教閣下を呼んでいるそうです」
「……どういうことだ?」
「わかりません」
「よもや、閣下を誅しようということか!」
 アラードが答えられずにいると、ゴルツが立ち上がった。眼窩の奥の目がぎらり、と光った。
「一刻を争う。洞門へ転移するからわしにつかまれ!」
 呪文とともに三人の姿はかき消えた。


 輝きを失った城壁の下に三つの人影が現れたのをリアは見た。ゴルツを真ん中に片方がグロス、そして……。
「アラード……」
 リアはつぶやいたが、振りきるように一つ身震いするとゴルツをまっすぐ見つめた。
「閣下、この地はもうすぐ巨大な火の玉に焼かれます。みんなをいますぐ脱出させてください!」
「なぜそんなことがわかる!」グロスが怒鳴った。
「洞窟の奥に潜み魔物を庇護する者が教えてくれました」
「そんなところにいるものが外界のことなどわかるはずがない。だいいち魔物の長ではないか。見えすいた嘘をつくな!」
「われらが去れば、洞窟からは魔物たちがあふれ出よう。それが狙いか」
 ゴルツがいった。恐ろしい声だった。
「さては魔物の走狗となり果て地上に攻め上らせる手引きをするつもりじゃな!」
「もうどちらでも同じなんです!」
 リアは叫んだ。
「アルデガンが火球の直撃を受けても洞窟の魔物たちは無傷なんです。地上のみんなが全滅するだけです。そうなればやはり彼らは外へ出てきてしまいます。
 誰がこんな火球を放ったのか知りません。でももうアルデガンは火球を放った者にこじ開けられたのと同じなんです!」
 城壁の上に群がる人々がどよめいた。

「庇護する者はいいました。人間がどういう気かはわからない。でも現実に火球はアルデガンに迫っている。大地の炎の力を取り込み生きている自分には火球の大きさも威力もわかる。大きさはアルデガン全体をひと舐めできるほどで自分が守らなければ洞窟内部も根こそぎ吹き飛ぶだけの威力があると」
「自分の力ならば洞窟内の魔物は守れる。しかし人間を守るならアールダ師の結界を破らなければ自分の力は及ばない。でも無理に結界を破ればやはり地上は吹き飛ぶし、そもそも自分にはその理由がないといっています。だから私がきたんです!」
 リアはその場に跪き、人々に両手を差しのべた。
「私はもう人間ではありません。でも、みんなが私の大切な仲間だったことに変わりはないんです。お願いです。今すぐ脱出してください! こんなことで死んではいけません!」
「黙れ!」
 ゴルツが錫杖を掲げた。すでに白く輝き始めていた。
「我らの心を迷わし人の世に災いをもたらさんとするその所行、断じて許せぬ。この場で滅びよ!」
 解呪の印を結ぶや大司教は詠唱を始めた。

 その時リアの心に声がした。ここで滅びを受け入れれば自分は無垢のまま死ねる。だが抗えば、もはや誰も殺めないまま滅びることはできないと。
 しょせん信じさせるのが無理な話。訴え続けてどうなる。このまま火球の直撃を受ければ全員が消し飛んでしまう。自分だけが復活して、やがて人を殺めることになるばかり。
 滅びに身をゆだねよ。ならば少なくとも自分が殺めるであろう者は救われる。
「でも、それではみんなは助からない」
 不滅の吸血鬼と化した身。永遠に生きるかもしれぬ。はるかに多くの者を殺めるかもしれぬ……。
「ではこの人たちは死ぬほかないの? 私のかけがえのない仲間だったみんなが」
 無垢のまま滅びることを望んでいたのではないのか?
「……望んでいるわ、今この瞬間も。でも、この人たちがそんな死に方をするのは絶対に間違っている!」

 リアは支えの腕輪を握りしめると、呪文を詠唱するゴルツに訴えた。
「このまま滅びるわけにはいきません。とにかく全員脱出させてください! そうすれば私は喜んで討たれますから!」
「いうな!」
 ゴルツが叫ぶと見えざる嵐がリアを襲った。瞬時に彼女の体はずたずたに斬り裂かれた。
 たちどころに傷が回復を始めた。だが魂をも斬り崩す意志力の刃はリアの体をつむじ風のように巻き込み傷が回復するそばから斬り刻んだ。たまらず彼女は倒れ伏した。
 しかしリアは牙を噛みつつその身を起こし、魂に食い込む刃の痛苦に苛まれながらも声を限りに叫んだ。
「もう時間がないわ! 逃げて! みんな逃げてーっ!」
「まだいうかっ」
 髪を振り乱したゴルツが錫杖を振り上げると精神の嵐の威力が倍加した。それでもリアは叫び続けた。
 眼前の凄惨な光景に城壁の上の人々の間に広がる動揺! だがリアの願いとは裏腹に、誰もがその場に釘付けになっていた。

この小説について

タイトル 封魔の城塞アルデガン 第3部:燃え上がる大地 前編
初版 2018年10月8日
改訂 2018年10月8日
小説ID 5058
閲覧数 10
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ふしじろ もひとの写真
熟練
作家名 ★ふしじろ もひと
作家ID 1016
投稿数 11
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活動度 1092
人間ならざるものが出てこないお話はいっさい書けないという奇病持ちの隠者です(汗)

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