世に棲む為の境界線上

信号無視は、嫌いだった。
倫理や道徳の意味においてではない。
一方の信号が青から赤になる。もう一方は赤から青になる。
そのタイムラグ、両方が赤の間だけの、人も車もいなくなる瞬間。
勿論、周囲には待ち構える車や人がいるのだが、その空間の一瞬だけは急激に空気が冷めたような、そんな印象を受けるのがとても好きなのだ。気温の高い低いに関係なく、それは訪れる。
だから私が満たされるのは人や車が多く、且つ信号無視が無い道ということになる。
最初から人も車もいないような田舎はダメで、多くても信号無視する輩がいる場所もダメ。
――今、赤になっただろう、何故渡る。
赤になってから高校生くらいの男女二人が、ヤバイヤバイ、とわめきながら横断歩道を走っていった。
交差方向の先頭車がクラクションを鳴らし、すぐに発進する。
ここの交差点は私のお気に入りだったのだが、今日はおかげで束の間の冷たさを見る事ができなかった。
――また明日か。明日が、あれば。
私が向かおうとする方向の信号が青になり、人の流れに乗りながら歩道を渡った。
いくら私がそれを好きだと言っても、何度も信号待ちするほど酔狂でも暇でもない。
それにもしそんな事を始めたとしたら、私はもう戻れない所まで来てしまったという事と同義だという気がする。
信号待ちを始めないという事は、つまり私がまだ正常であるという証明でもあった。

何年通っていても今だ人が途切れるのを見た事がない池袋駅中央改札から構内へ入り、埼京線ホームへ上がる。
19:20発に乗れば赤羽で19:31発の宇都宮線通勤快速に乗り換えられる。いつものパターンだ。
池袋駅に着いた列車は大量に人を吐き出し、また大量に人を詰め込んだ。
満員で人の臭いと熱気が充満している列車に約8分。異質な空間だと思う。
日常的なのに違和感のある、非現実的な空間に私は思える。
単に私が非現実的な位置にいるから、現実を非現実に見てしまう、そういう相対的な事なのかも知れないと、よくわからないことをぼんやりと思う。
考えているうちに列車は板橋、十条と二つの駅で停車した後、赤羽へ着き、私は列車を降りて宇都宮線ホームへ移動したが、通勤快速はホームに上がると同時に発車してしまった。
これに乗れば1時間弱で帰れるのだが、次の鈍行だと10分程長くかかる。
いつもなら間に合うのに間に合わなかったという事実は、私をかなり苛立たせた。
埼京線内ではアナウンスが無かったから、誤差程度の遅れだったのだろう。だがその誤差で乗り換えが出来なかったのだ。次の列車までは6分の待ち時間がある。
しかし、私が苛立っているのは列車の運行に対してではなかった。
列車は遅れる事が往々にしてあるという事を念頭に置いてなかった自分の浅はかさに対して。
そして列車の時刻などに感情が左右されてしまう、この現実的すぎる現実を生きている私の存在にも。
暗い情念がじわりと自分の中から染み出したような気がした。
携帯の着信音が鳴っていたが出る気にはなれず、放っておいた。
どうせ、現実絡みだ。
さっき列車が発車したばかりのホームにはあっという間に人が溢れだし、それを見計らったかのように後続の列車が入ってくる。
埼京線の混み具合よりは多少マシとはいえ息苦しい列車に乗り込むと、吊革に捉まって目を閉じた。

電車が動き出すと幾分苛立ちも収まり、冷静さを取り戻す。
私が乗る駅から先は駅に停車するごとに乗客が減っていく一方なので、少しずつ、自分がいられる空間を感じる事が出来るようになった。
いつもある、人がいる所は自分がいる所ではないという感覚。
こういう考えを抱く事自体、自分が危ういのだと自覚しているが、感覚なのだから理性で止められるものではない。それに、これは危ういものなのだ、と認識できているうちは大丈夫だろう。
現実との折り合いはここが境界線だ。これが見えているうちはやっていける。
昔、悩みに悩んだ末に、生きる意味などありはしないと自分の中で既に結論は出ていたが、死にたいとか生きる事が嫌になるとか思わなければ一応は生きていけると思ったのと同じ理屈だ。
私はそうやって自分の正常さを確認しながら生きてきた。
これからも同じように生きるのだろう。
でも、もし許されるなら、私は人と関わる事をせず、現実にも縛られることのない生き方をしたいと思う。
世界を空から眺めて、静かに人の生を見る。
人の喜びを、怒りを、苦しみを、楽しみを、悲しみを。
それを生きていると呼べるのかどうかはわからない、厭世観とも違う非現実的な願い。
目を開けて周囲を見てみるといつの間にか乗客の中で立っているのは私だけになっていた。
私はシートの空いた所に座った。
ギシ、と古い赤紫のシートが軋む。
――神じゃないか。
座るとほぼ同時、頭の中から出てきた言葉に、自分で驚いた。
私が望む生き方。それは、
――参ったな、どうも私は神になりたいらしい。
人としての生き方に違和感があると思ってたら、私はそんなのを飛び越してとんでもない事を考えていたのか。
しかしいくらなんでも神とは。
私の本性はよっぽど世に棲むには難儀に出来ているようだ。
境界線がまた一本、増えてしまったではないか。

やがて列車は、澱のように溜まっていた人々をほとんど吐き出し終え、外の景色も明かりが少なくなった。
車内アナウンスが流れ、もう私が降りる駅の着くのだと気付いた。
徐々に速度を落とし、見慣れたホームへと入る。
いつもどの場所が一番階段に近いか計算して乗っているから、今日も丁度階段の目の前の所で止まった。
数人がドアの前に並ぶ。
私は、立ち上がらなかった。
ドアが開いて数人が降りるのを見てもやはり立ち上がらない。
発車を知らせるジングルが鳴り、ドアが閉まるのを私は目の端で捉え、列車は再び動き出す。
降りる駅を過ぎた事で、私の中ではある種の安心と快感を覚えていた。
はっきりとした理由はわからない。
ただ、自分がいる車両に誰もいなくなった事も、それらを大きくさせる要因だったかもしれない。
笑いを堪えきれなくなり、ククク、と口の端を歪める。
――ちゃんと動くじゃないか。
始めは声に出さず、次ははっきりと
「ちゃんと動くじゃないか」
と声に出してみた。
頬が上気するのを感じ、汗ばんだ手をズボンの腿のあたりに擦りつけながら、窓の外にまばらに見える民家や小さな店の明かりを、見るとはなしに見ていた。

終着駅は宇都宮。
知っている街だった。

後書き

お笑い系じゃなくてごめん。がっかりした?がっかりした?
えーと、決してギャグは辞めたとかじゃなくて、今こっちで笑いENを消費するワケにはいかないのです。
まだはっきりした事は言えませんけど、ピンと来た人は多分それで正解です。

しかしこの文章は読みにくいかもしれないですねえ……。
もう少し他人に読ませるように書けりゃいいんですけど、なんつーか、自分の中で閉じすぎですよね、文章が。
ちなみに19:31発のは実際に私が利用してる列車です。でもわざと降りなかった事はないです。寝過ごした事はあるけど。

この小説について

タイトル 世に棲む為の境界線上
初版 2005年10月10日
改訂 2005年10月10日
小説ID 524
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ビビンバ吉田の写真
作家名 ★ビビンバ吉田
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