禁忌の果実、または少女と不可視の楽園

 第一章 萌芽


『プレスター王国第百十八回通常議会において、かねてより第六代国王アムゼリム・プレスターの議案であった、ネゴット自治区主権の国王及び議会への委譲は、賛成多数により可決され、一ヶ月以内の執行がネゴット自治区に言い渡された。ネゴット自治区は「一方的な決定」と反論し、イファジ・アシロン自治区長は話し合いの場を持つよう求めた。
 ネゴット自治区は、今から百三十三年前のシャイア暦二年に第二代国王シャイア・プレスターが作った呪術師養成所が前身。シャイア暦九年より八十年続いた通称「占い政治」における呪術師のほとんどすべてを輩出した。国家への貢献を認められ、七十四年前のギオ暦二十二年に自治区内の主権を獲得する。
 しかし約五十年程前から起きた思想革命が進み、プレスター王国も近隣諸国に倣い議会政治が導入されると、四十六年前の先代国王パースジュニア・プレスター治世のときに「占い政治」は終了した。ネゴット自治区の主権委譲はこのときも議論されたが、それはなされず、ネゴット自治区は独自の文化を育てている。〈政治部 フラン・キニューリア〉』

 兵舎詰所に置かれていた国営新聞の記事から目を離し、クロッス・ウォンダグアはこの記事を書いた友人のことを考えた。
 最後の一文は、また編集長に怒鳴られながら直したに違いない。最後はこう書きたかったはずだ。
『ネゴット自治区は独自の文化、つまり呪術の研究を今も進めている』と。
 フランがどうして国営新聞の政治部に籍を置くことができているのか。彼の人となりを知る者に共通する、謎である。
 国王軍の一小隊長であるクロッスが新聞記者と知り合ったのは、彼のよく行くバーにおいてであった。クロッスが一人で飲んでいると、後からすでにできあがっていたフランの一行がやってきた。特にフランの酔いはひどく、定まらない視線のまま、酒とわめき、クソと騒いだ。見かねたクロッスが素性を名乗り、注意を促すと、フランは王室に関するスキャンダルをしゃべり出し、慌てた仲間に押さえこまれバーから連れ出されたのだった。
 後日、再び同じバーでクロッスはフランに再会した。クロッスは一人だったが、フランもまた一人であり、以前と異なり正気を保っていた。
 フランから近づいてきて、先日の無礼を詫びた。しかし一つ句点をはさんだと思ったら、次々と不平不満をぶちまけ始めたのだった。
 王制なのだから、王室のスキャンダルもまた政治だ。社会の裏に市民の知らない真実がある。その情報公開をしないことは、市民の知る権利が損なわれているも同じだ。などなど。
 一介の士官にそんな話をしても仕方がないだろう。いや、そんな害のない立場の人間だからこそ、フランは饒舌になったのかもしれない。クロッスは口をはさむことなく、黙って記者の不満を聞いてやった。
 どうやらフランは、そのような突っこんだ取材姿勢のために、何度もしぼられているらしい。書きたいことを書けないのはつらい。しかし、新聞にこそ書かれなければならず、他の媒体ではただのスクープ記事になってしまう。フランはそうぼやいた。
 クロッスは察する。フランはただクソ真面目なだけなのだと。あながち間違った考えでないことはわかる。ただ、それを実行するとなにかとまずい。フランの、成人した人間がみな持っているはずの天秤はどうやら壊れていて、調整し直さなければならないようなのだが、フラン自身は天秤が正常に働いていると思いこんでいるのだった。
 クロッスのフランへの第一印象は、哀れな男、というものだった。一方フランのクロッスへの印象は、好感の持てる同志、というものであった。クロッスがフランの話に首を横に振らないために、誤解を招いたのである。
 そのときはお互いの連絡先も聞かず、バーで別れたが、その後もときどきバーでのみ出会い、親交が結ばれていった。自然、いわゆる飲み友達という関係になっていった。
 クロッスに家族はない。恋人もいない。友人といったら、同僚である軍人ばかりで、唯一の例外はフランぐらいである。
 クロッスに趣味もない。単身者用の軍の寮に住んでいるが、その部屋にもなにも無い。なので月に何度もない非番の日であっても、当然やることはなく、結局彼はいつものように王城の脇にある兵舎に来てしまい、新聞を読むくらいしか余暇を過ごせないのである。
 城の警備の任を終えて、詰所に戻ってきた同僚のソハムが、私服のクロッスをからかう。おやおや、クロッス小隊長殿は何ヶ月お休みをもらってないのでございますか? 新聞くらい、家で読んだらいかがでございましょう。ソハムは笑いながら軍服のボタンを外す。
 ソハムはクロッスと同じ年に入隊したが、そのときにはすでに妻も子どももいた。家族思いの男で、遠方の戦線から一年ぶりに戻ってきたときなど、二度とあんな遠くに行かないと、上官の前でも平気で口走り、その後は事実、国内勤務の申請を出したほどだった。
 そしてソハムは出世コースから自ら外れたわけだが、クロッスはその出世コースのど真ん中を突っ走っているのである。
 クロッスを拘束する家族、恋人はいないため、また無為な休日などいらないために、彼は進んで前線に飛びだしていった。そしてその都度戦果をあげては、階級も一つずつ上げていったのである。
 充実し、羨望される人生を送っているクロッスであるが、満ち足りてはいない。クロッスはそう感じている。戦果をあげ、勲章を得て、階級が一つ上がるたびに、空虚感が広がるのを、クロッスは感じている。しかしその理由がいまいちわからない。妻でも持てば変わるかと思い、上官の娘を紹介してもらったこともあったが、発展させることはできなかった。自分はゲイなのかと本気で疑うこともあったが、それは違うようであった。犬を飼ってみたこともあったが、愛着はまったくわかなかった。ただ機械的に毎日餌をやっていたら、寿命がきたのか死んでしまった。なぜか悪いことをしたなと、自責の念がわいた。
 では自分はなにが欲しいのであろうか。
 そもそも、なにかを手に入れれば満たされるという考えが間違っているのではないだろうか。
 では自分はどうしたらいいというのだろうか。
 考えるのが面倒になったクロッスは、再び前線に立っていた。自分がなにも考えなくていい状況を、クロッスは望んだ。
 ソハムが、グラスを口に近づけるジェスチャーをして、クロッスを誘った。バーに行こうというのである。もっともソハムの場合、文字通り軽く一杯である。彼はすぐ家に帰る。ソハムと飲んでも、結局一人で飲むことになる。とはいえ断る理由もなく、二人は並んで街へ出た。


 まだ明るいうちから飲む酒は、背徳感というスパイスが効いて、一層味を良くさせる。その味を楽しみたい男たちは、仕事をいい加減に切りあげてバーに集い、麦酒や葡萄酒を飲みながらカードを切る。クロッスとソハムがバーに入ると、もうすでに喧騒と酒気で室内が満たされていた。
 二人はカウンターに寄りかかり、葡萄酒とポテトを注文した。
 グラスと小皿が目の前に並ぶと、ソハムは「乾杯」と言ってグラスを持ち上げる。クロッスも遅れてグラスを持った。
 一口飲んで、ソハムは言う。
 今度また戦争をするらしいな。
 自分より上官のクロッスに、ソハムは確かめたのであった。
 まだ正式に聞いてないが、噂は聞いている、とクロッスは答える。
 あのブン屋の方が詳しいかもな。クロッスはバーでのみ知る哀れな友人を思い出した。
 ――噂は市中をまわっている。今度の戦争は国のなかでやるらしい。戦争の相手は“あの”ネゴット自治区らしい。“呪術の村”のネゴット自治区らしい。
 なぜネゴットを襲うのか。ネゴットに兵はいない。今は百人程度の小さな村だ。戦争ではなく虐殺ではないか。
 なんでも皇太子の息子が、つまり国王の孫が、重い病気を患っているらしい。それで最近顔を見せないそうなのだが、その病気の原因が、ネゴットの呪いらしい。呪術のせいで、国王の孫は瀕死なのだと。
 それで意趣返しのために、国王はネゴットに兵を向けるらしい――。
 ばかばかしい。クロッスは口に出した。仮に病気だとして、なんでネゴットが呪いをかけるのか。そもそも、呪いなど存在するものなのか。
 きっと自治区と王国の関係がぎくしゃくし始めたから、そんな噂になったのだ。
 もし戦争が起きたとしても、ソハム、君はそのとき城の警備にあたっているよ。クロッスは無表情に笑った。ソハムの家庭第一主義を揶揄したのである。
 そうだよな、と、ソハムは安心と不安の入り交じった表情で返事をした。ソハムは“国内”勤務であり、もしネゴット自治区に攻めこむことになったら、自治区とはいえ一応国内なので、自分もかりだされるかも知れない。それを心配していたのだ。
 しかし、とクロッスは勘定する。今現在軍隊は四千五百人ほどで構成されている。そのうち戦争に行くような兵士は三千五百人ほど。そのなかの約四割は徴兵制によって兵役についている若者である。
 国内の、百人程度の一般人が相手の戦闘で、一体何人の人員を必要とするだろうか。五十、いや、三十人もいれば十分ではないだろうか。もちろんその三十人とは、嫌々兵役についているような若者ではなく、自分のようなプロフェッショナルで構成されているとして、だ。つまり兵役の若者を除いた約二千人の職業軍人のなかから選び出される三十人、という確率である。
 噂でしかない戦争に行かなくてはならないのではないかと、恐々とするのは、杞憂にもほどがあるとクロッスは思うし、またそうソハムに言った。
 いやまったくその通りだ。ソハムに明るい表情が戻る。「乾杯だ」と珍しく二杯目を注文する。
 クロッスは葡萄酒をあおる友を見て思う。でもそれが、普通の感覚に違いない。戦場に好んで行くようなやつなど、誰もいないだろう。
 いや。俺を除いて。
 クロッスは自問する。俺は死に場所を求めて、戦場に立っているとでもいうのだろうか。
 死にたいか。俺は。
 虚しさに侵食されるような毎日だが、まだ死にたいとまでは思わない。むしろ死のうと思えばいつでも死ねる。自分は毎日我が国の武器庫に通っているではないか。自分は人の命を簡単に絶つ技術を会得しているではないか。しかしその武器を、技術を、自分に試そうと思ったことは一度もない。
 ソハムの悩みがソハムにしか実感できないように、クロッスの空虚感もまた、クロッスだけのものである。
 昔からこうだったかしら。思い出す前に、ソハムがカウンターから離れた。帰宅の時間らしい。ソハムはおどけて敬礼をして、バーのドアをくぐっていった。
 一人残ったクロッスが、つまみをもう一品注文しようとしたときに、タイミングよく魚の燻製がやってきた。このあたりの川でよく捕れる、ヨリメという魚である。
 持ってきたのはフランであった。どうやら別のところで飲んでいたらしい。
「しばらくぶりだね。隊長さん」
「まだクビになってなかったみたいだな。新聞屋」
 グラスを鳴らし、愛称を呼びあう。
 気づいたのはだいぶ前だったんだけどね。お友だちがいたみたいだったから、声をかけなかったんだ。フランが言うと、クロッスは理解する。次の記事の情報源は、俺ということだな。
 まだ正式には聞いてないぞ。クロッスはちょっと前に自分で言ったことを繰り返した。フランは豆鉄砲をくらったような顔をしたが、こちらもただちに了解した。俺が聞きたかったこと、よくわかったね。さすが、ファーンミルズ戦線にその人ありと謳われた男だ。
 ファーンミルズとは、十九ヶ月ほど前に終わった戦争の行われた場所のことである。
 おだてたってなにも出ないよ、フラン。あぁ、今朝の記事を読んだよ。えらくまともな記事だったじゃないか。またたっぷり朱を入れられたんだろう。きっと新しく書き直したほうが早かったんじゃないか。
 クロッスの何気ない一言は、しかしフランの二十時間前の、そして今朝目覚めて朝刊に目を通したときの苦悩を蘇らせる。あれは俺が書いた記事じゃないんだ。何度も何度も書き直したが、編集長は首を横に振り続けた。それで結局編集長があの記事を書いた。なのに俺の署名が入れてあった。
 俺が書いたのはあんなことじゃない。
 俺が手に入れた情報は、あの程度じゃない。
 だから書かせてもらえなかったんじゃないか? クロッスは口には出さないが、フランを批判する。
 お前の記事は突拍子もない。つまり現実を直視しすぎている。いや、直視しすぎているせいで、視点がずれている。カストリ雑誌の編集者の方が、まだましなモノを書く。
 フランは酔いがまわりすぎているのだろうか。ぼんやりとした目つきになっている。さっきからグラスに口をつけていない。クロッスは気づかった言葉をかけようとした。その前に、フランが口を開く。
 クロッス小隊長殿は、聞いて、いるか。
 だから正式には聞いてないよ。
 その、前の話だ。
 前、の話? ネゴット自治区へ侵攻するという話ではなく?
 ネゴット自治区への侵攻の理由。
 ――呪い?
 呪い? ふふ。ノロイ。まちがっちゃいない。それも正しい。ただ、それだけじゃない。
 ちょっと待ってくれ。クロッスは制した。
 話がつかめない。そもそも自治区への戦争が起こるとでもいうのか。
 フランはうなずく。噂ではなくなる。今は噂だが、いずれ記事になる。
 なんでそんなことがわかるのだ。いくらなんでも内紛は回避されるのではないか。クロッスは意地になってくる。しかしフランは首を振る。自分が二十時間前にされたように。
 諍いはもう始まっている。避けようがない。
 発端は王城より北に十五キロの山のふもと。それはネゴット自治区より西に二キロ。自分の幼い弟の亡がらを抱き寄せ、一人の少女が涙を流しながら、首を横に振るのが五日前――。


 ここで時間をさかのぼる。二十時間前を、五日前を、十九ヶ月前をさかのぼる。舞台は、四年前にさかのぼる。
 四年前、アムゼリム・プレスターが在位して二十年。
 そのとき、クロッスは自分の部隊を率いて、密林を疾走していた。
 フランは、国営新聞の文化部から、念願の政治部へ異動を果たした。
 そして千三百六日後に自分の弟の死を嘆く少女は、初潮を迎えていた。
 千三百六日後に死ぬ運命にあるその弟は、ようやく数を覚え始めた。
 その悲劇の姉弟の父、ジアン・アシロンは、四年前、自治区内の山の中で金鉱脈を発見する。
 アシロン一族は、ネゴット自治区の最も有力な家系であり、数多くの呪術師を輩出してきた。八十年続いた「占い政治」のうち、アシロンの血筋が国王の側近を務めたのは、合わせて六十八年間にも及ぶ。
 四十六年前に「占い政治」は終焉を迎えるため、ジアンが産まれたときには、もはや王国は呪術師を必要としていなかった。
 よってジアンが子どもから大人になる歳を迎えると、生計を立てるために猟師となって山へ入った。
 ジアンと同年代の者のなかには、村を離れ、王国で経済を学び、実業家になった者もいた。
 では呪術が失われたかというと、そうではなく、ネゴット村の執政に用いられていた。その呪術を用いるのはやはりアシロンの一族であり、その長でありジアンの父でもある、イファジであった。
 また、王国の執政という大役を終えた呪術は、別の進歩をも遂げる。
 文字通りの「呪い」である。
 その術は、イファジの妻、アギイが完成させる。
 アギイは自らが完成させたこの「呪い」を、命による物々交換と説明した。
「呪い」を発動させるには、まず命を奪う。その命を呪術者が取りこむための、禁忌の儀式を執り行う。すると取りこんだ命の分だけの「呪い」を発動する準備ができる。あと発動させるには、取りこんだ命を自分の命とともに解放すればよい。つまり、「呪い」の発動には、自分の命を削ることになる。
 虫の命なら半年ほど削る。
 獣の命なら十年ほど削る。
 代償がある分、その効果は絶大だ。
 と、王国の民衆は噂した。
 そしてその噂をまともにとった者がいる。
 先代国王パースジュニアと、現国王アムゼリムである。
 彼らはネゴット自治区の呪術師をよく知っている。当然だ。四十六年前まで、彼らを側近として従えていたのだから。彼らの恐ろしさをよく知っている。
 先代国王と現国王にはネゴット自治区に負い目があった。呪術師による執政の時代を急に終わらせたからである。そして急に終わらせた理由というのも、実に単純なものだった。
 近隣諸国が次々と、いわば最先端の議会政治を始めたからである。
 国際会議の際に、パースジュニアは笑われたらしい。同盟国の外相が、傍らにいたネゴットの呪術師(このときはアシロンの一族ではなかった。最後の呪術師となったイファブはまだ若かった)をつかまえて、「そんなに当たるなら、私の仕事運でも見ていただけませんか?」といい、手のひらを出してきたという。
 呪術師は、そもそも本来の領分だし、外交上のパフォーマンスという意味で、快く手相を見た。結果はあまりいいものではなかったそうだが、やんわりと、遠回しに伝えた。同盟国の外相はとても喜んだらしいが、その二人のやりとりを間近で見ていたパースジュニアのはらわたは煮えくり返っていた。
 我が国の重要な呪術師に、なんてことをさせるのかと。しかしそれだけではない。我が国の政治は、もはや古いものになっているようだ。それで笑われた。この厳しい現実をまのあたりにし、その一年後には、君主・議会制の政治に切り替えたのである。
 実際「占い政治」がうまくいっていなかったわけではない。占いというものはどのようにでも解釈できるわけで、結果プレスター王国の歴史はいいように解釈されていた。つまり、政治はうまくいっていた。
 それをパースジュニアのつまらないプライドによって急な方向転換を迫られたわけである。ネゴット自治区は反論し、「占い政治」の続行を唱えた。しかし、これまで呪術師の存在に邪魔をされ、第三の地位に甘んじていた貴族たちが敵対した。
 これからの政治は論理的に話し合い、決められなければならないのです。と、貴族は王に吹きこんだ。そして見事にパースジュニアは吹きこまれた。
 それが四十六年前の出来事である。ちなみにイファジ・アシロンの在任期間は、わずか三週間であった。
 だからパースジュニアは、ネゴット人に恨まれても仕方がないと思っていた。
 ではそのとき、当時まだ皇太子で、実際の権力は持っていなかったアムゼルムはなにを思ったか。
 確かに悪いとは思った。だがしかし、彼らの力さえ奪ってしまえば、文句も言えないだろうとも思ったのである。
 そこで貴族をたきつけた。欲求不満の貴族を。これまでお飾りでしかなく、名誉や権力を日頃から欲していた貴族を。
 そして記念すべき第一回の議会の議案は、ネゴットの自治権の委譲についてだった。もはや一般市民と変わらないのだから、特別扱いする必要はない。貴族たちは主張した。つまり、アムゼルムが主張させた。
 しかしパースジュニアが退けた。罪滅ぼしのつもりだったのかも知れない。よって現状維持となり、この議題はタブーとなった。
 パースジュニアは、これでほっとしたのだろうか、まだ五十代と若かったのに、突然急死してしまった。
 それでまだ二十代そこそこの、若い国王が誕生する。
 ネゴット自治区にとって、芳しくない状況になったわけであるが、不思議なことにあの「禁忌の議題」が議論されることはなかった。
 ネゴット自治区に住む者たちが、静かにつつましく暮らしていた、というのも一つだが、最大の理由が対外干渉。つまり戦争にあった。
 名声や権力の欲しい貴族たちは、積極的に国外にしかけていったのである。戦争に関する議題を提出しては、次々とそれが通過していった。
 そしてその状況を、アムゼルムはよしとした。
 戦争により国の景気が毎年上向きになったのである。さらに勝ち戦も多かったため、国際的にも一目置かれるようになった。アムゼルム政権の蜜月時代は、つい十年ほど前まで続く。
 そう、今は終わっているのだ。理由もまた、戦争であった。これまた実に単純な理由である。国自体が疲弊しきってしまったのだ。火種を蒔いたのは貴族たちであったが、それが刈り取れないくらいに拡大してしまったのである。国民の生産力は低下し、財政は圧迫された。戦争から手を引けばいいのだが、後戻りができなくなっている。
 そんな折、福音がもたらされる。時間は四年前まで進む。場所はネゴット自治区の山中。賢明なる読者諸氏は覚えておいでだろう。最後の呪術師となったイファジ・アシロンの息子ジアンが、金鉱脈を発見したのだ。
 アムゼルムはほくそえんだ。今こそ自治権を奪うときだ。そして金鉱脈を採掘する。巨大な財源を手に入れるチャンスだ。幸い、ネゴット自治区はあまり興味がないようだった。狩猟と農業とで細々と暮らすネゴット人に、金は不必要なものだったからだ。しかもイファジの占いの結果は、金には触れるな、というものだったようで、ネゴット人はまったく山に手をつけなかった。
 しかしアムゼルムには大義がない。自治区の扱いについてはもはや暗黙の了解のようになっていたので、プレスター王国はネゴット自治区に立ち入れなくなっていたのだ。ましてや自治区の方針は、金を掘り出さないことである。金を手に入れる理由が見出せないまま、さらに時間は進む。
 クロッスとフランがバーで語り合う、その五日前まで。
 悲劇の発端となる、その五日前まで――。


 賢明なる読者諸氏は、なにも案ずることはない。わかってはいることと思われるが、これはフィクションである。創作である。絵空事である。読者諸氏は、ポテトチップスでもかじりながら、画面をスクロールしてくれればよい。嫌になったらホームに戻ればよい。ファイルを閉じてもいい。
 しかしこれから語られる、クロッスという一兵士と、伝統ある呪術師の一族の末裔である、リディー・アシロンという少女の数奇な運命の物語に、今しばらく耳を傾けてもらえれば幸いである。


 第二章 追放


 ――リディー、リディーや。お鍋が煮えたよ。これをお食べ。じいちゃんが捕ってきたって。鹿だと。おいしいよ。ばあちゃんも食べるよ。
 どうしたリディー。お食べ。食べて元気になりな。お前が元気がないと、ネービも悲しいよ。ネービのためにもお食べ。そうだな、ネービはかわいそうだったな。リディー、お前はアシロンの末裔だ。わかるな。ならお食べ。いい子だ。食べたら祭殿へ行くよ。いいね。ほら、もっとお食べ――。


 時間は進む。五日前を過ぎ、クロッスがフランとバーで飲んだ、その次の日。
 クロッスが予想した事態、それはつまり、昨日フランから聞いた話から考えられた事態は、しかし予想以上に早く、クロッスを巻きこんだ。
 普段通りに出勤し、兵舎詰所に入ると、張り紙がしてあった。
『以下の者は午後一時に、第三会議室に集合すること――』
 そこに自分の名前があることに、クロッスは、あまり疑問を抱かない。
 そして午後一時八分に、上官から極秘任務として、ネゴット自治区出兵の任を聞かされても、正直驚きを感じない。
 クロッスの他には、各隊から非常に有能なメンバーが選抜されているようだった。全員で三十人。この成員で、ネゴット自治区を一晩で殲滅すること。それが極秘任務。クロッス以外の男たちには、静かな興奮が感染していった。
 出兵の理由を、上官は言いづらそうにしていた。しばらく間があったが、その分はっきりと口にした。
 アムゼルム国王のお孫さんである、トーヤ様が、四日前にネゴット人の手によって暗殺された。国王様と鷹狩りに出かけられたときに、国王様を狙った弓矢が当たったそうだ。ネゴット人は、自治区の主権委譲の件で逆恨みをしているのだ。我々はトーヤ様の、仇討ちをするのだ。
 なんてひどいことを。隣に座っていた、確か第七師団の副団長を務めている男がつぶやいた。
 しかしクロッスには、その言葉が、『国王は「なんてひどいことを」するんだ』、と聞こえた。
 確かに、国王の孫トーヤは死んだのだろう。しかしそれは仕組まれたことだ。
 誰に? 国王に。おそらくトーヤの死よりも先に、ネゴット人の誰かが死んだ。国王に殺された。
 それが五日前。
 そしてまた次の日、国王は再び自治区の近くまで出かける。今度はトーヤを連れて。トーヤだけを連れて。
 仕返しのために、樹上から弓を引き絞るネゴット人がいる。しかし、撃てない。あるいは撃った。しかし外れた。あるいは弓を構えるネゴット人などもともといなかった。
 そんなディティールは問題ではない。要はトーヤが死ねばいい。トーヤがネゴット人に殺されたという既成事実があればいい。その前の、ネゴット人の誰かの死? それはきっかけづくりだ。ネゴット人が国王に恨みを持ってくれればいい。それでこちらにも大義ができる。
 だからトーヤを殺したのも、国王だ。
 金鉱脈を手に入れる大義を得るために。自治区を消滅させるために。
 それが、昨日フランからもたらされた情報と、さっき上官から聞かされた状況を合わせて考えられる真実だ。
 そのために村を一つ消す? あまりに非人道的ではないか。本当の悪は国王ではないか。きっとフランならそう記事に書く(新聞には載らないだろうが)。しかし決して耳を貸さない。
 耳を貸さないだけで、もし真実が明るみに出たら、みんなそう思う。クロッスやフランだけではない。上官も、隣の副団長も、政治部の編集長も、当のアムゼルム国王本人も。村を一つ消す。村人全員残らず殺す。そんなことが許されるはずがない。
 ではなぜみんな、まっとうなことを口にしないのか。フランと同じことを言う奴はここにいないのか?
 いない。
 一人もいない。
 クロッスもその一人。
 なぜ言わないのか。誰も正しいことを。その理由は出兵の理由よりはわかりやすい。殺す側だからだ。自分は殺されないからだ。その上儲かるし、出世できるし、いいことづくめだからだ。
 だから難しいことは考えない。上官の言ったことが真実だ。それ以上は考えない。考えることがなければ、会議は解散になる。作戦の詳細は午後五時より説明する。全員、持ち場に戻れ。
 そしてクロッスは歩哨に立つ。城門に立ち、北にそびえるモンプメン山脈を眺める。そのふもとに、ネゴット自治区がある。


 午後五時、再びクロッスは会議室に入る。早くもざわめきが聞こえている。
 六つのテーブルに、それぞれ五つのイスが用意されていた。そのうちの一つからクロッスを呼ぶ声がする。目をやると、よく知っている人物であった。
 これまで何度も同じ戦線に立ち、修羅場をくぐり抜けてきた、クロッスも一目置く戦友、コールトンであった。クロッスはコールトンの隣に座った。
 前に班編制の掲示されてあるんだが、お前は俺たちのチームだ。しかもリーダーだ。よろしく頼むぜ。
 コールトンの階級はクロッスより一つ下であり、年齢は二つ下であったが、そういうことにまったく頓着しない、珍しいタイプの軍人である。
 コールトンは班のメンバーについても説明する。
 前にファーンミルズに行っただろ。ほとんどあのときのメンバーだ。ワブとスティックがいる。一人聞いたことのない名前の奴がいるんだが、それでもやりやすいグループになったよな。おう、噂をすれば。お前たち、こっちだ。
 コールトンに呼ばれ、スティックとワブがやってきた。
 このような、普段の所属と違うメンバーで作戦を行うときには、なんといってもメンバー間の連携が成否を占う。よってわりと顔見知り同士で組まされることが多い。もちろん、それぞれが得意とすることにもよるが。
 三十人が全部で六班に分けられ、それぞれの人数は等しく五人ずつだった。クロッスを班長とする第五班は、突撃・強襲の役割を担わされた。つまり先頭にたって自治区に攻め入る、最も危険がともなう部隊だ。しかし戦争に行くたびに、彼らはその役回りであり、それは意外でもなんでもないし、彼らの生活にも影響している。
 クロッスについては前に述べたが、他の三人も同様に家族はない。死んでも面倒の少ない人選なのである。
 ワブ、お前例の彼女とよりを戻したばかりだろ。また別れることになるな。
 コールトンがからかうと、ワブは「もうかんべんしてほしいっすよー」と情けない声を出した。
 ワブは、ファーンミルズの前線に立つことが決まったときに、そのとき付き合っていた彼女と別れたのである。自分は死ぬかもしれないから、君を悲しませたくない、なんちゃらかんちゃら。ワブとしては、西部劇のようなかっこいい別れ方を演出し、彼女の気持ちを引きつけておきたかった目論見だったが、彼女の返事は「わかったー」の一言であった。そして風のように立ち去ったらしい。
 どうやら相手はそろそろ別れたがっていたらしく、まさに渡りに船。快諾したのだった。
 まさか嫌われていたとは毛先ほども疑っていなかったワブの、その落ちこみよう、悲しみようといったらなかったが、戦争に行っている間ずっと、コールトンとスティックによってそのことをいじられていた。結局悲しみを戦闘意欲へと昇華させたワブの活躍は語り草になるほどだった。なんでも泣きながら機関銃を乱射していたとか、いないとか。
 見事生き残ったワブがプレスターに帰ると、しつこく彼女に再求愛し、なんとかよりを戻したのであったのだが。戦争に行くと伝えたら、また風と共に去りそうである。
 コールトンはクロッスに耳打ちした。今度の行軍も楽しくなりそうだな。
 ああ、楽しくなりそうだ。
 それにしてももう一人が来ないな。パルパって名前なんだけど、知ってるか?
 聞いたことがない。まさか新米や兵役についているだけの若者ではないと思うが。なにしろトップシークレットの任務だ。
 そこへスティックが指を差して言った。あいつじゃないんですかい?
 その先には、所在なさそうに他のテーブルの間をうろうろしている男がいた。髪を短く刈った、でかい図体の男だった。
 コールトンが席を立ち、その男に近づいた。二言三言話していると、コールトンの後についてやってきた。パルパだった。
 席に着くなりコールトンは、クロッスに向かってまずいぜ、と言った。
 こいつ、兵役中のただの学生だよ。多分上の方で間違って名前を載せちまったんだ。お前もそんな体格してるから、間違えられるんだよ。
 すんません、と無茶苦茶な言われようなのに、パルパは素直に謝った。
 そのとき、作戦の概要を説明するために、上官が壇上に立った。室内は一瞬のうちに静まった。
 クロッスが、コールトンに耳打ちした。
 上官にかけあってはみるが、作戦内容を知ってしまっているんだから、多分行くことになるだろう。面倒みてやってくれ。
 そして二日後の明朝、行軍の準備をする特別部隊の第五班のなかに、ひときわ大きな体を持つ男がいた。


 プレスター王国の地理は三方を山に囲まれ、南の方向には大きく平野が広がっている“海無し国”である。プレスター城から北に進むと、間もなく湿地帯が広がる。そこを抜ければ、ネゴット自治区の集落が見えてくる。
 つまり、ただ向かうだけなら移動しやすい地理をしているのだが、プレスター王国軍特別部隊の目的は奇襲である。堂々と平野の真ん中を歩いていくわけにはいかなかった。
 そこで特別部隊の責任者であるゼクスマン師団長は、湿地帯の手前で進路を変え東進し、モンプメン山脈に入り、山伝いに進み、北東の方角から強襲するという作戦をとった。最短距離を進めば半日で行けるところなので、その倍の時間がかかる。
 つまりいったん夜営をして、朝早いうちに攻撃、ということだ。
 六台の幌つき馬車が直線に並んで走る、その最後から二番目の馬車のなかで、クロッスたちは打ち合わせを重ねていた。
 四班の射撃部隊がまず、山際から火矢を家屋に向かって放つ。その後俺たち五班が最初に村の中に突っこむ。俺たちの最優先の標的は、村の一番奥に住むアシロン一族だ。村の一番の有力者だからな。彼らの住まいは、この祭殿と呼ばれる建物と近いから、そっちに逃げるかもしれない。家に誰もいないと判断して、取り逃がすな。
 俺たちが一族を狙ってるうちに、三班、四班、六班が村人の掃討を行っているはずだから、俺たちは目的が達成され次第、各自応援にまわれ。
 ちなみに、三班は軍用犬部隊で、訓練された犬を二匹連れてきている。隠れている人間ももらさず見つける、ということだ。一班はいわゆる司令部で、情報・通信の役割を担う。二班は医療・看護部隊だ。六班も実行部隊だが、後方支援、退路の確保が主な任務である。
 休みなく走り続ける馬車に揺られ続け、クロッスたちは座っているだけで体力を消耗した。それでも、コールトンやワブなど歴戦のつわものたちは慣れているので、「彼女とはどうした」など軽口を言いあっていたが、本来は民間人であるパルパは、心身ともに憔悴しきっていた。
「昨日は休めたか?」
 クロッスはパルパに声をかけた。特別部隊に選抜された者は、昨日特別休暇を与えられていた。
「いえ、眠れませんでした」
 確かに目の下にクマをつくっていた。全体にゴツゴツした印象の男だが、本来は穏やかな性質のようだった。“馬車酔い”でもしたのか、額にあぶら汗が浮いている。
 二日前の夕方の会議が終了後、クロッスは師団長に事情を話し、パルパを部隊から外すか、医療部隊の誰かと交換できないかとかけあった。
 しかしゼクスマン師団長の判断は、危なくないだろう、というものだった。
 つまり、相手もまた民間人であり、トラップがしかけられているわけでもない。前に出すぎないようにさせろ、とだけ言われた。
 クロッスもまた、そのような反応を予測していただけに、あっさりと引き下がり、パルパには下がっていればいい、とだけ言った。
 人殺しをさせるのは、早い。クロッスはそう思った。しかし、早い遅いの問題ではないか、と思い直した。むしろ、遅かれ早かれ、だ。
 戦場は命の取り合いである。なぜかといったら、やらなければやられるからである。つまり、敵を倒さねば自分が死ぬ。
 なぜ、職業軍人の道を選んだのか考える。パルパは将来、家業を継いで精肉屋になるつもりらしい。それっぽい。クロッスは思う。パルパの風貌に似あっている。
 自分はどんな夢を持っていただろうか。思い出して驚いた。そう、学校で書かされた作文には、騎馬隊に入って国のために戦う、と書いていた。クロッスは騎馬隊ではないが、夢はかなえていた。
 騎馬隊だったらもっとましだったかな。パルパのあぶら汗を見ながら思う。もっとましな人間になっていたかな。
 初めて人を殺したときのことを覚えている。しかし、明瞭にではなく、うっすらと。塹壕から撃った弾丸の手応えが、的を狙って撃つときと違ったのだ。撃ったときの銃身からくる衝撃のあとに、ずん、と腹に響く衝撃を感じた。だから敵の顔もわからない。どこに当たったのかも。しかし、殺した、という確信があった。さすがにあのときは怖くなり、俺の体は硬直してしまった。でも俺は生き延びた。運が良かった。隣の塹壕に手投げ弾が投げこまれて、爆風と震動がスイッチを押してくれた。前線に立つ人間がいくら死のうと、戦局には変わりはない。人が減れば、補充されるだけだからだ。自分の命など軽い。鳥の目から見れば。でも俺は確かに四足の動物で、這いずりまわって生きているんだ。俺はあのときスイッチを押された。ONに入ったのではない。OFFだ。俺のプライドはなくなった。プライド。あるいは、尊厳。生きるために戦うのではなく、死にたくないから戦う。
 大きな違いだと、クロッスは思うが、それをパルパや他の者たちと共有したいとも思わない。これから人を殺すんだぜ。コールトンやワブと一緒に、下ネタでも言いあって、楽しくしてた方がいい。パルパ、お前も笑え。


 長い行軍は終了し、部隊は短い休憩を取る。ほとんどの者は仮眠をとる。一班に所属する若い男が、偵察のため、気配を殺して山を降りる。光源のない夜にしばしば足をとられるが、なんとか自治区の見えるところまで来る。
 村のメインストリートをたいまつの赤がじっとりと濡らしている。その左右に、木造の家屋が建っている。家々は円を描くように並んでおり、その中心に像が鎮座していた。信仰のあるなにかの偶像であろうか。さすがに真夜中に人は出歩いていない。静かすぎてうるさいくらいだ。
 ひときわ大きな建物が、祭殿であろう。村の家四つ分はある。偵察の男は、祭殿の裏から山に向かって続く道があることに気づく。祭殿に追いこんでも、逃げられるかもしれないということだ。山に逃げられたら追いつけない。ここはネゴット人のテリトリーなのだから。
 一時間ほどして、偵察の男は戻る。報告を聞いた師団長は、作戦開始の時間を早めた方がいいと判断する。明け方になれば、起き出す村人がいるかもしれない。気づかれず、とにかく早く、作戦は遂行されねばならない。そうしなければうまくいかない。こちらの人数は三十人。実行部隊の人数は二十人だ。一人あたり五人やらなければならない。少々、負担が大きい。
 クロッスがバーで試算した人数は三十人であったが、これは実行部隊の人数であった。クロッスの試算より十人少ないのが今の部隊だ。このことに深い意味はない。少ない人数で早く済ませば済ますほど、時間もコストもかからないということだ。
 師団長は三十分早く作戦を開始すると伝える。緊張感が肌をつたった。この村は、日の出を見る前に地図から消える。


 ダゴー・イールの妻エンチェシカは、こげくさい臭いで目が覚めた。火事かと思い、ベッドから降りる。夫はまだ熟睡している。カーテンを開けると、窓越しに、向かいの家が完全に火に包まれているのが見えた。タルボさん家が燃えている。夫を起こそうと彼女は窓に背を向けた。彼女が目を離した瞬間、窓の外を不吉な影が疾走していった。

 火のつきが悪いぞ! コールトンが舌打ちをした。全焼している家もあったが、火の出ていない家も多い。これでは明るいだけで、逆に目立つ。射撃部隊の狙いは正確だったのだが、夜が明けるにつれて濃くなった霧の影響で、火がつきにくくなっていた。師団長の采配は間違ってはいなかったのだが、功は奏していなかった。
 五班の面々は村のほぼ中央まで来ていたが、後続の部隊はまだ村の外にいた。奥に行きすぎた。このままでは俺たちだけ孤立する。クロッスはそう判断し、指示を出した。
 二手に分かれて俺たちも火をつける。スティックとワブで西をやれ。俺とコールトンで東側だ。パルパは俺についてこい。
 不吉な影は二つに散った。

 外が騒がしい。不穏な空気が渦まいている。長年猟師として磨きあげてきた直感が、カルード・ミンヤムに正しい判断を促した。彼は寝床から身を起こし、壁にかけてある猟銃を手に取った。外の様子を確かめないと、と彼の理性が告げる。しかしドアノブに手をかけたとき、彼の本能が警告する。隠れていろ、危険が近づいている、と。彼が迷っていると、家の裏の方でなにやら物音がする。誰かがいる。彼は理性を信じた。
 猟銃を構え、玄関から外に出る。すると村の中が信じられないことになっている。燃えている。あちこちで。火事だ。二軒隣から、子どもを抱いた女が飛び出してきた。カルードは声をかけた。が、彼の声は銃声でかき消され、女は弾かれて、地面に落ちる。
 子どもが泣き出した。その声は、しかしカルードには聞こえない。二発目の銃声が、彼をとらえたからである。

 人が外に出始めてきた。急がないと。クロッスは焦る。銃声が多くなった。四班の奴らだろうか。後続部隊が来たのなら、俺たちはアシロンの家を目指さなければ。コールトン、パルパ、どこに行った!
 クロッスは焦っている。仲間とはぐれた。しかし火がまだ足りない。村人がパニックに陥りきっていない。冷静であればあるほど、やるのに時間がかかる。
 どうする? 行くか?
 クロッスは独りで走り出した。独りで、アシロン一族をやるしかない。悠長にやっている暇はない。クロッスは祭殿の隣に建つ家を目指した。アシロンの家には、火がついていた。

 クロッスの走る後ろ姿を、パルパはメインストリートの中心にある、像の陰から見つけた。追いかけなければと思う。しかし、足が動かない。パルパは軍の支給品である自動小銃を、抱きしめるようにして持っていた。
 どこか、見つからないところに隠れていたい。パルパは恐れ、震えていた。
 パルパは入隊してようやく半年が過ぎたばかりであった。まるで地元の街のように家々の間を走り、行動に一分の隙もないクロッスやコールトンの動きに、パルパはついていけなかった。
 大きな音がして、身が縮んだ。なにが起きたのかと像の影から身を出すと、家が焼け落ちて崩れるところだった。ごうごうと燃える家の前に、小さな影が置いてあった。子どもだ。子どもがぼんやりと突っ立って、燃える家を眺めている。
 う、撃たなければ、いけないだろうか。それとも、助けるべきだろうか。
 うろたえながらパルパは、子どもの方へ近づいた。すると、小さな影が振り向いた。暗い深い穴が開いたような表情をしていた。
 パルパは、「大丈夫?」などと実に場違いなセリフを吐いた。
 そこへ雄叫びをあげながら、農作業用の鋤を構えた男が突撃してきた。パルパは銃を構えて、引き金を引こうとした。が、銃は石になっていた。安全装置が外れていなかったのである。
 そんな単純なミスにも、パルパは気がつかない。なす術のない大柄な男の首に、鋼鉄がめりこんでいった。

 おばあちゃん! リディーは燃える我が家から祭殿へと走った。リディーの祖母、アギイ・アシロンは祭殿にいる。他の家族は家に着いた火を消そうとしていた。
 祭殿への階段を駆けあがり、入り口の前でたじろいだ。祭殿の中は外よりも燃えていた。部屋の中で火が環を成している。こんなところに、おばあちゃんはいるのだろうか。
 昨晩リディーの祖母は、祭殿に行ってくると言って、そのまま一晩帰っていなかったのだ。
 祭殿から降りかけたそのとき、室内の異常に気がついた。入り口から正反対の壁には、山へと抜ける裏口がある。その裏口の扉が開いていた。
 ――まさか山へ?
 考える前にリディーは祭殿の中に飛びこんでいた。普段は靴を脱いであがる祭殿に、靴のまま。そして裏口をも駆け抜け、導かれるように山の中へ入っていった。

 火の中に飛びこむリディーのその姿を、クロッスはとらえた。アシロンの家族構成は頭の中に入っている。
 祖父母と父母。そして二人の姉弟。
 追いかけようかと思ったが、右手の方からの視線に気がついた。三人の人間がクロッスを見ていた。
 あれはイファジか。ならばこいつらは。
 クロッスは小銃を構える。三人はばらばらの方角に逃げだした。しかしクロッスの狙いは迷わずにイファジをとらえ、銃が火を噴いた。
 次の狙いを定めようとしたとき、三人のうちの中年の男が、頭と腹から血を噴き出して倒れた。コールトンの狙撃だった。
 コールトンはこっちに向かいながら叫んでいた。
 やられた。パルパが死んでた。お前はあの子どもを追え。こっちはまかせろ。
 コールトンにも見えていたらしい。クロッスは手だけ振って了解のジェスチャーを送り、祭殿の階段を昇る。
 そのときになってようやく、パルパを死なせてしまった、と思う。


 炎が猛り狂っている祭殿のなかで、老婆が裏口をふさぐように立っていた。
「そんなところにいたら、死んじゃうよ。ばあさん」
 クロッスは油断なく、銃口をアギイに向け、けん制した。
「お前は死ぬのが怖くないのかい」
 老婆の口が動いた。木の燃える音、建物のきしむ音のするなかで、老婆の声ははっきりと届いた。
「殺すのも怖くないのかい」
 なにを言っているんだ、このばあさんは。
 クロッスには気がつかない。
 それは、呪詛だ。
「虫は怖いねぇ。蜘蛛は怖い。芋虫は怖い。蝶も怖い。小さい生き物は怖いねぇ。虫だけじゃないね。蜥蜴も怖い。蟹も怖い。鼠も怖い。
 でも犬は怖くない。かわいいもんだねぇ。馬も怖くない。鹿も怖くない。大きい生き物は怖くないねぇ。だから人間は怖くない。
 小さい生き物は簡単に死ぬね。殺せるね。指で強く押せばいい。体が簡単に破れてしまうよね。ひっくり返って手足を空中に動かしているだけだよね。大きな生き物じゃそうはいかないよねぇ。生き物は大きさに反比例して、生理的嫌悪感が強くなるんだよ。
 命を奪う。そのとき初めて、命を知る。それは自分に還ってくる。こんなにあっけないものとは知らなかった。自分もそうなのかもしれない。あっさり死んでしまうのかもしれない。だから小さい生き物は怖いねぇ。己の脆弱さを、身をもって教えてくれるからねぇ」
 クロッスは銃を下ろし、老婆の横を通り過ぎた。
 なにが言いたいんだか、わかんねぇよばあさん。これ以上、しゃべらないでくれ。
「『呪い』はあの子にしかけてあるよ」
 背中越しに、老婆は言った。
 小さい生き物は怖いねぇ。
 お前もな、ばあさん。
 クロッスは向き直り、老婆を背中から撃った。一発、二発、三発。老婆の体に穴が開く。老婆は顔から倒れたが、視線はこちらに向けていた。そして口だけで笑った。
 次の瞬間、クロッスは真っ白に膨張した地面から、なぎ払われた。


 おばあちゃんが死んじゃった、と村から百メートルほど離れた林の中でリディーがわかったのは、おかしなことではなかった。
 まだ太陽も昇っていないのに、辺り一面、真昼のように明るい。
 白い炎が天高く燃え上がり、村を飲みこんだのであった。まるでオーロラが、地面すれすれまで降りてきたみたいだと、リディーは思った。
 王国軍の使う火ではない。呪術によって編み出された、灰も残さない閃光。アギイの体の内にしかけられていた「呪い」が、その死によって発動したのだ。
 そしてその「呪い」は、リディーにもしかけられている。
 お母さんも、お父さんも、おじいちゃんも死んじゃった。村の人も、どこから来たのかわからない、怖い人たちもみんな。わたし独りで、生き残った。
 寝巻き姿で、たった独りで、山のなかで、リディーは生き残ったと言えるだろうかと自問する。
 それならいっそ、とリディーはまだ白い光の収まらない、村の方へと引き返していった。
 と、その途中、木陰にうずくまっている人間の体があることに気づき、リディーは足を止めた。
 そして近づいてくる足音で、クロッスは意識を取り戻した。


 何事もなかったかのような無責任さで、いつものような朝日は昇った。山々の隙間から差しこんできた陽光は、照らすべきものが何もないことに戸惑い、ただ無節操にばらまかれた。
 一瞬に、十八軒の家と祭殿と、百と二人の村人と、彼らの飼っていた馬や羊十五頭と、二十九人の軍人と二匹の犬が消え去った。村があった場所はただ、平らな黒い地面が露出しているだけだった。
 小高い丘の上から、リディーとクロッスはネゴット自治区があった場所を眺めていた。
 クロッスは立っていたが、リディーは腰をおろしていた。しかし二人とも、思考が中断していることは確かであった。
 わたしの家は、あそこにあったの。
 リディーは人差し指を伸ばして、左腕を虚空にぶつけた。
 どこだかわかんないよ。クロッスは吐き捨てるように言った。
 どうしてこんなことを、したんですか。
 敵に向かって敬語を使ったリディーに、クロッスは育ちが良かったのかな、とか思う。
 そしてその質問には答えず、「君にも『呪い』が?」と逆に尋ねた。
 あなたの王様でしょ。弟を撃ったの。
 多分、そうだ。王は自分の孫も殺している。証拠は無いが。
 だからわたし、食べたのよ。
『食べた』? クロッスには、なんでそんな場違いな言葉が出てくるのかがわからない。
 わたしは“食べたく”なかった。でも鹿肉だと言われて。だまされた。おばあちゃんに。
 わたしは六歳ぐらいから、もう呪術について教わってきた。おじいちゃんとおばあちゃんが得意だったから。
 どうやるか知ってる? 「呪い」って。食べるのよ。食べると、食べられた命の分だけの効果をもった「呪い」を使えるようになるの。六歳からやってたから、虫を食べるのも平気なのよ、わたし。
 そりゃあ、すごいね。
 すごいね、としか言えない。いや、この子はなにを言っている? まったく理解ができない。
 あのばあさんは言っていた。
 「『呪い』はあの子にしかけてあるよ」
 あの子とは、この子に違いないだろうが、呪いとは、何を指す? クロッスは再び村のあった場所に目をやる。呪いとは、このことか?
 テントウムシでやると、呪われた人の顔にイボができるの。一週間くらいでなくなるから、いたずらなのよ。そうやって、よく遊んだ。
 動物がもっと大きくなると、もっとおおきな「呪い」ができるって。昔の人で、鮭を食べて、嫌いな人を病気にさせたことがあったって言ってた。熊を食べて、呪われた家族をみんな死なせてしまったひどい呪術師もいたって。だからわたし、そういうのは教えてもらわなかった。
 でも一番強い「呪い」を発動させられる生き物は教えてもらった。
 わかる?
 クロッスは、脳裏に浮かんだ言葉を口にしようとして、ためらった。
 それでは、この子は。
 この子が口にした、“食べ物”とは。
 クロッスは傭兵であり、何度も戦地に赴いており、そういう話は何度も聞いたことがある。やむにやまれず、自分が死なないために。好きで口にはできない。それはもちろん、本来は食べ物ではない。ましてや――。
 ネービ。ごめんね。お姉ちゃん。お姉ちゃんが。ちゃんとしっかりしなかったから。馬に乗った偉そうな人が来たから、村に帰ろうって言ったけど、ネービ、あんなにきれいな白い馬を、あなた見たことなかったもんね。見とれてて、わたしだけ森に入って、王様がネービに近づいて、振り返って見たときには、もう。わたし、ネービを抱いて帰った。お墓を立てようって、みんな泣いてた。ネービのお葬式をしたんだけど、なぜかおばあちゃんとおじいちゃんがいなかった。次の日になってようやく戻ってきて、それでその日の晩――。
 お食べ。ばあちゃんも食べるよ。
 ああ、呪うんだって思った。あの王様を、呪うんだって。きっとおばあちゃん一人じゃ間に合わないくらい大きな呪いなんだって思った。だから食べてあげようって思った。
 おじいちゃんの捕ってきた、鹿だって言うし。
 ちょっと食べ慣れた味じゃないな、とは思った。ぼそぼそしてたの。おいしくなかった。
 それで祭殿に行って、お祈りを捧げるの。村の神様に。そのときにおばあちゃんが言ったの。
 内緒だよ。あと少しのしんぼうだから。我慢しな――。


 リディーは自分の肩を抱いて震えていた。明け方に寝巻き一枚という姿のせいでもある。クロッスは上着を脱いで、リディーの背中にかけようとした。
「やめてよ!」
 リディーは上着を手ではねのけた。
 その上着は真っ黒であった。村人を撃ったときに浴びた返り血がこびりついているのだった。
 すまない、そんなつもりじゃ――。
 クロッスは弁明したが、リディーは無視して立ち上がると、そのまま山の奥へ入っていき、見えなくなってしまった。


 静かで、しかし活気のあふれる港町。今朝捕れた魚を降ろす猟師たち。その傍らで、魚を仕分ける女たちもいる。その猟師たちの手からすべり落ちた小魚を狙おうと、高い船のマストから眼光鋭い海鳥もいる。
 その船の甲板で、輸入されてきた木箱を運ぶ屈強な沖中氏が仕事に励む。そんな汗をかく男たちのなかに、すっかり日に焼けたクロッスがいた。
 あのネゴット自治区を襲い、結局二人しか生き残らなかった悲惨な戦争の後、彼は国には帰らず、山を越え亡命した。
 あの少女を追いかけることが、クロッスにはできなかった。
 あの子は「呪い」をはらんでいた。
 クロッスはただなんとなく怖かったのだ。
 亡命して、この町にたどり着いたとき、彼はアルコールに逃げ、廃人寸前にまでなった。しかし港の人たちが介抱してくれたため、彼は立ち直った。ついでに仕事ももらい、生き残っている。
 しかしときおり、老婆の言葉がこだまする。
 小さい生き物は怖いねぇ。
 あの呪われた少女はどうしただろうか。クロッスは考えてもわからない。考えてわかるものでもない。ならば深くは考えない。荷物が来たら、運ぶだけ。
 昼の休憩になった。彼がミネラルウォーターで固いパンをかじっていると、彼を世話してくれている市場の魚屋が新聞を持ってやってきた。
「クロッス、これ、お前の祖国のことじゃないか」 
 二ヶ月ぶりに聞いた、プレスターの名前だった。クロッスは新聞を受け取り、一面を見る。白黒の写真には、いつか見たようなまっさらな黒い地面が広がっていた。
『昨日未明、本国の調査団が、一週間連絡のついていなかったプレスター王国に到着したが、王城があったはずの場所になにもなくなっていることが確認された。王城の周囲にある街も姿を消しており、その原因は不明。調査団は山間部や、自治区のあるとされる北部にも調査を進める予定』
 お前の国じゃないか、と魚屋の主人は再度聞くが、クロッスは別のことを考える。
 これはあの子の「呪い」が発動したためではないだろうか。あの子は死んだのだろうか。あの子は二ヶ月も、どこで、どうやって生きていたのだろうか。
 クロッスは呪った。誰に対してでもなく。パンをかじり、咀嚼し、水で胃に押し流した。

後書き

 この物語の原型は、私が中学生ごろに設定だけ考えていたライトファンタジーものでした。百八十度話は変わってしまいましたが。まさかリディーやクロッスも、こんなことになるとは夢にも思わなかったでしょう。あと淡水魚ヨリメも、まさか自分が燻製になるとは夢にも思わなかったでしょう(笑)。
 以下は「禁忌の果実〜」の参考文献です。

 古川日出男 2005 ベルカ、吠えないのか? 文藝春秋
 辺見庸 1998 もの食う人びと 角川文庫
 金子光晴詩集 1992 女たちへのいたみうた 集英社文庫
 西島大介 2005 ディエンビエンフー 角川書店
 
 軍用犬が出てくるのは、「ベルカ〜」への敬愛の念のためにです。
 長い作品でしたが、読んでいただいてありがとうございました。

この小説について

タイトル 禁忌の果実、または少女と不可視の楽園
初版 2006年4月16日
改訂 2006年4月17日
小説ID 676
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蓮打の写真
ぬし
作家名 ★蓮打
作家ID 9
投稿数 14
★の数 204
活動度 8795

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