キズモノ - 向キ合エナイ現実ヲ見ル必要ハ無ク、知ルコトデスラ…


 瀉血に興味を持ちだした高三の三月は、珍しく雨が多かった。
親は僕の進学先など特に興味がなかった。父は子育てにかなり奔放な考えを持っていて、母は父の方針に従うがままになっていた。「お前の人生なんだから、お前の好きなようにしろ」という言葉をウザったくなるほど繰り返す人だった。きっと、医学部に入るために祖父の厳格な教育を受け、最終的に失敗してしまった反動なのだろう。正直、すごくいい人だと思う。だが残念なことに、当の息子は何も考えずに生きてきたので、自由に生きた、というより、ただ生きただけ、という廃人の人格形成に加担してしまったといえる。まあ、それに気付かず同じ教育を続けてきたのだから、バカは親譲りだ。
 
 そんな親に、大学進学と同時に一台のノートパソコンを買い与えられた。選んだのは母、部屋で渡したのは父だった。
僕は一瞬不安を覚えた。もしかすると、いつも父の仕事部屋に忍び込み、パソコンでエロサイトなんかを見ていたことがバレてしまったのか。きっと、そのせいで架空請求やウイルスに悩まされていたのをずっと隠してきて、僕が大学に入るまで我慢していたんだ、だとしたら僕は大罪だ人間じゃない死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――。

 いつの間にかクセになっていた、支離滅裂過ぎて爆笑モノの被害妄想が二秒で流れ去るやいなや、父が口にしたのは意外な内容だった。

「おまえ、『ノートルダムのせむし男』という本を知ってるか」

「…?知らない」素直に答えた。

「そうか、『レ・ミゼラブル』という本は知ってるな?」

「話は知らないけど」

「あれも面白いから読んでおいたほうがいいぞ。それと同じ作者のヴィクトル・ユゴーが書いたものがさっき言った本でな、あるフランスの男女を中心にストーリーが展開されていくんだが、そのうち男の方は、とても醜い顔をした元捨て子で、ノートルダム大聖堂の鐘つきをしている男なんだ」

 「醜い」という言葉に反応し、僕の胸を、不快なモヤモヤが渦巻き始めた。

「その男は一人の美しい娘を愛するようになる。その娘がもう一人の中心人物だ。しかし男は大変醜いので、娘に愛してもらえない。そんな中、娘が密かに想いを寄せていた男が、さっきの醜男が赤ん坊だった頃に拾って育ててくれた男に刺されてしまう。そしてその事件の犯人を娘に仕立て上げ、死刑になるのを止めさせる代わりに、自分の愛人になるよう迫るんだな。しかし娘はそんなのは嫌だと拒否したから、判決通り処刑される。そこでさっきの醜男が、真犯人である自分の恩人を塔から突き落として殺し、ケリをつけるといった話なんだ。大雑把に言うとだが」

「ああ…」

 大体の話は分かったが、いきなりで、「醜い」という言葉にまだ囚われていたので、かなり聞き流してしまった。

「で、何なの」ぶっきらぼうに返した。

「ああ、つまりな…」

 父は部屋にあった椅子に座りなおした。雨の日特有の酸っぱい臭いが鼻につく。

「お前は」静かな口調だった。若干だが、目が泳いでいる。

「きっとこれから、高校までとは違う大人の世界の問題にぶち当たっていくことが出てくると思う。だけどたった一つでいい、指針となる信念を持って行動していってほしい。そうすれば、どんなに醜い人間でも、美しい人生を歩める――」

 …………………………

 途中から言葉が聞こえなくなった。

 父の口は動いている。聴覚が麻痺してしまったようだった。


 …


 …


 何て言った?



 …



 どんなに醜い人間でも……



 …



 醜い…?



 醜い…

 醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い

 オレハミニクイオマエハミニクイ

 醜い醜いミニクミミミミミミミミミミマムメミモ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 頭の中で僕は発狂した。そうだモヤモヤの正体、それは僕がいつも目を背けてきた、普遍のコンプレックス。汚点。公害。

 もう何年もまともに鏡を見ていない。自分の姿が写ったら、即視線をずらしてきた。そうすれば、気にしなくなると思ってきた。だけど心の奥底でくすぶり続け、誰かに言われればすぐ爆発してしまう脆い危険物質として僕を内側から突っつき続けていた。


 僕は醜い。

 ついに指摘されたのだ。しかも、僕を守ってくれる立場の人間に。

 




 それから数日間、鬱陶しい雨が続き、僕は部屋に引きこもり続けた。一日中ネットをいじり倒すようになり、そのうちにある二つのことにハマっていった。

 一つは、女性の画像の収集。といても特定のアイドルとかではなく、外国のゴス嬢の画像だ。なぜだか分からないが、一目それを見たときに「これこそ僕の求めていたものだ」と確信していた。自分の持つ漠然としたイメージにやっと形を与えてもらったような感覚だった。ただの欲求だけで惹かれたんじゃないが、今もしばしばオナニーのオカズにしている。

 しかしその反面、僕は絶望感を同時に抱えることになった。お金の問題だ。両親が共働きで、僕もまあそれなりの貯金はあったはずだが、ゴス系の服装はそんな中の下の人間の貯金などいとも簡単に吹っ飛ばすくらいの値段だった。体中をゴス系で整えるなら、悠に一〇万近く、いやそれ以上するだろう。そんな金は僕にはないし、サブカル系なんて親に反対されるに決まっているから、ねだることすらできない。「金なんて価値ない」などとのたまうミュージシャンやなんかは気が狂ってる。その価値のないものによって、僕の鬱度がますますアップしていったのだから。
もう一つは、とあるアングラ系のアーティストの音楽PVの視聴だ。

 先日の父との一件以来、完全に鬱状態から抜け出せずにいた僕は、有名な動画サイトの検索エンジンで「死ね」「自殺」「fuck」「発狂」「病んでる」「血まみれ」などといった、とりあえずマイナス的な単語をやたらに調べまくっていて、そのうちの何かの関連動画に出てきたものだったと記憶している。

 『傷女‐shojo‐』と題されたその曲のPVは、薄暗い部屋で一人の女の子がベッドに座り、手首から血を噴き出しつつ小動物の人形のようなものを投げつけ、キューピーの人形の首を引っこ抜き、噴水のように飛び散る血を自ら浴び、コテコテに少女趣味のピンクのワンピースを血まみれにするというもの。単に映像に惹かれていただけなので、曲自体は今もよく覚えてない。

 その中でも一際僕の目を引いたのは、PV内で何度も映される、手首から血が鮮やかに噴き出るシーン――つまり、リストカットに興味を持ったのだ。

 カッターの一本でもあればできてしまう、非常に簡単な自傷行為。しかし、実行に移すことはなかった。傷口からばい菌が入り込んだ時の痛みが嫌いだからだ。きっとどんなマゾヒストでも、痛みの好き嫌いはあるだろう。中には自分の身体の一部が欠けていることで性的興奮を覚える人もいるらしいが、僕はそんなに変態ではない。

 もっと自分に合った「傷つき方」はないか。そんなことを考えながらリスカ趣味の人々のブログを漁っていたら、そのブログ『堕天使堕璃亜の堕落日記帖』に出会った。

 そのブログはメンヘラ気味な人々のそれをランキング化したサイトの上位に位置していて、アクセス数は結構多いようだった。そのブログ主は夜咲堕璃亜という、見るからに病んだ、というよりむしろ痛々しいHNを用いていた。リスカを中心とした自傷行為を繰り返しているようで、時々引っかき傷のような切り傷が無数に並んでいる死人のようにか細い青白い腕の画像をアップしていた。リスカに興味がないので、そのブログはもう何日も見ていない。ブログ名も忘れてしまった。ただ、一度だけビーカーにたっぷりと溜まった文字通り血の池の画像を見たときの鮮烈な驚きだけがまだ残っている。
 
 その量は悠に500㎖の線を超えていて、ルビーのように綺麗な赤色の、健康そうな血だった。血はもっと赤黒くドロドロしたものだと思っていたから(実際、僕の血は赤黒く、綺麗じゃない)、しばらくは一目惚れしたかのようにポーッと魅入っていた。ただし、赤黒く固形化してしまっている血のカタマリがヘドロのように所々にこびり付いていて、ブログ主はガッカリしていた。俺は別に気にならなかったが。どうやら彼女――男かもしれないが向こうの意思を尊重する――は完全無欠の赤い血をベストな美術品と考えているような感じがする。

 最初の閲覧の時の最新記事《ひさしぶりのシャケ》という題名で始まったその記事の中に「瀉血」という言葉を初めて見つけた。




最近ごぶさただったので「出が悪いだろうなー」と思ってたくさん刺しちゃった。。。
そのためこんなに出たのに噴水できず。
残念。。。
もし成功したら、今度こそ動画うpしようと思います。。。
あぁシャケはやっぱええわ〜(はぁと)明日もやっちゃお。。。




 どうやら血を抜く行為らしいというのはその記事の中で分かった。ただイマイチよく分からないので、Wikipediaで調べてみると、民間療法の一つとしてその効用の説明がなされているだけで、先のブログ主の書いていたこととだいぶ違った。そこで他のサイトを調べたところ、瀉血について詳しく説明してくれている別のサイトを発見し、詳しいことが分かった。

 あのブログ主がやっていたことは「セルフ瀉血」というのが正式名称で、普通に「瀉血」と略されたり「シャケ」「鮭」などと言ったりするようだ。瀉血の嗜好者を「シャケラー」といい、メンヘラ達が好んでやっている。最低必要なのは針と容れもの。注射針がもっともよく使われていて、僕もそれにならってオークションで購入した。容れものは量を測れるビーカー、口が広くこぼれにくいボウルなどを使う。あと、駆血帯や包帯など、サポート用品があればもっとラクにシャケれる。

 僕は勢いに身を任せ、さっそく翌日にネットのオークションでこれらを購入し、なんとか一式揃えた。しかし、なかなか実行に移せなかった。「痛くない」と多くのシャケラーがブログに書いていたが、果たして本当か、コイツ等は神経がおかしくなっていて、僕のような一般人とは感覚が違っているかもしれない、そんな疑いが晴れなかった。おかげで一週間それらは床に放置。やっと使おうとしたその日、それはパソコンの充電中にコードを足に引っ掛けて引っこ抜いてしまった日だ。足の指がコードに絡まっていることに全く気付かず、さらに一つのコンセントのプラグがバカみたいにひん曲がり、一人でホコリのこびり付いたペンチを使って修理する羽目になった。力がなく不器用な僕には拷問同然。ユダヤ人収容所で強制労働している気分だった。やっと終わって再びパソコンの電源をつけると今度は途中で切れたため見たこともないエラー画面が表示され、頻繁に使うくせにシステムがよく分からない僕の腐った脳みそは完全にショートした。しかもわけも分からず強制終了してしまい、ついに勝手に鬱状態になった。汚いアパートの一人部屋の冷たい床の上に寝転がり、生きられない生きられない生きられない生きられないとひたすらぼそぼそと唱え続け、脳が動くよりも先に、手が布団の横の注射針に伸びていた。

 それから半年。最初に感じた痛みはもうない。あるのは快楽と少しのけだるさ。

 憎悪、嫉妬、屈辱…これらが同時に流れていくこの安らぎ。それこそが自傷の醍醐味。


 セラピーだ。









 このようにして、カンザキ君はシャケラーになりましたとさ。めでたしめでたし。

 大体こんなのでいいだろう、目の前の完璧人間に話す内容は。適度に嘘も織り交ぜ、それでいてなかなか筋が通っている。さっきはよく、理解者を見つけたなんてバカなことを思ったものだ。こんな得体の知れないヤツに僕の中身を理解されたいわけないだろう。本当はさっき名乗った名前だって嘘だった。出会ってすぐに理解されようとするなんて、それこそ薄っぺらいじゃないか。

後書き

御感想等があれば是非。
ではまた。

この小説について

タイトル 向キ合エナイ現実ヲ見ル必要ハ無ク、知ルコトデスラ…
初版 2010年9月11日
改訂 2010年9月11日
小説ID 4045
閲覧数 3575
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レッド・サイコパスの写真
熟練
作家名 ★レッド・サイコパス
作家ID 488
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活動度 1984

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