RED ARROW - 〜紅の護り人〜9

『第八章;マヨヒガ』

「王御嶽(おんみたけ)、って、御嶽山のことだよな」
「今はそう呼ぶのか」

窓の外に視線を向ける白珠につられて、
紅矢も外を見る。

立ち上がった真琴が、
窓枠にしがみつくようにして
その景色を確かめた。

「あそこに見える中で、一番高い峰がそうだ」

腕を上げて指し示す白珠の手の甲が、
陶磁器のように滑らかで繊細だった。

「てっぺんが、雪だね」

真琴が呟く。

「そうだな」

僅かに頷く白珠が、
傍に佇む真琴を見下ろした。

触れれば折れそうに細い首筋、
肌理の細かい柔肌。

「人には寒いだろうな」
「私、自分の服なんてひとつも持ってきてないよ」

困ったように真琴が振り向いた。

目が合った紅矢は少し考える。

「オレが村まで取りに帰ってもいいんだけど」
「監視者に覚られると淡河が動くな」
「そうなんだよ」

再びソファに身体を沈めた紅矢が
深く考え込んだ。

白珠の手が、
見守る真琴の背中をそっと押す。

「春日に持参させよう。そなたはここでしばし待て」
「えっ。お母さんに?会えるの?」
「いや、それは叶わぬ」

真琴を椅子に座らせ、白珠は風に戻った。

「いいなあ」

開かない窓を物ともせずに
通り抜けていった西風を見送って、
真琴が呟いた。





「春日よ」

春日さんは、
野良仕事で汚れた長靴を、
土間の水場で洗っていた。

確かに
開けっ広げな造りの日本家屋ではあったが。

「わあ!驚いた」

土間の出入り口から
ひょいと顔を覗かせたのは、
白っぽい毛色の猪だった。

一目見ただけでは犬かと思う。

「もしかして、しらたまちゃん?」

いつものもんぺに、下駄サンダル。

尻餅をついたままの姿勢で、
春日さんは猪に話しかけた。

「事が動く。それを知らせに来た」

猪は、時々瞬きをしながら、
静かに佇んでいる。

「そうですか。やっぱり、避けられなかったのね」
「これは最早、運命という言葉で表すしかない」



遷都の時期と場所。

真琴の誕生。

村に流れ着いた、紅矢という少年。



「真琴は、元気ですか?」

人間の母親という役が長過ぎたのか、
春日さんはそんなことを訊いた。

剥製のように動きを止めた猪はやがて、
小さな尻尾を振る。

「ああ、元気にしている」

幼い頃から村の守護者として扱われ、
大人達の中で育った真琴。

狭い村の環境、数少ない人間関係、代々続く歴史。

周囲の人に気を遣い、
子供らしい我儘などほとんど言わなかった。

「愛されて、いますか?」

真っ直ぐに見つめる春日さんを見返して、
白珠が強く頷いていた。

「それだけは、確かだ。心配は要らない」

安心した、淋しい微笑みは、
いつも明るく元気な春日さんとは
別人の表情だった。





「紅矢」

仮宿に戻っていた紅矢は、
寝転がっていた畳から跳ね起きた。

「うわあ!びっくりした」

相手を確かめ、
和弓に伸ばしていた手を引っ込める。

「何だ、おばさんか」

勝手に上がりこんだ春日さんは、
部屋の中央に立ったまま鼻を鳴らした。

「物の怪臭いわね。相当闘ったんでしょ」

胡坐をかき、疲れたように頷く紅矢。

「うん、殆ど毎日だ。数え切れないよ」
「疲れたわねえ。紅矢も、弓も」

子犬をあやすように、
春日さんは紅矢の頭を
ぽんぽんと軽く叩く。

少しの間、
目を細めてなすがままだった紅矢は、
やがて目を開けて春日さんを見た。

「いろいろ持ってきたね」
「そうよ」

腰に手を当てて、
疲れたような素振りを見せる春日さん。

「真琴の防寒着に、山歩き用の靴でしょ。サバイバル・ナイフと、これはランタン」
「そんな物、必要?」

降ろされたリュックサックから
次々と出てくる面白道具に、
目を輝かせる紅矢。

膝でにじり寄り、
興味津々バッグの中を覗きこむ。

「真琴はか弱い女の子なのよ」

こんな装備じゃ足りないくらいだ、と、
春日さんの怒りの矛先は白珠神へ向かう。

「今直ぐ、これから標高3000mの登山。とか。ばっかじゃないの」
「オレに言われても」

困って頭を掻く紅矢は、
直ぐに顔を上げると強く言った。

「でも、オレがついてるからさ。大丈夫、真琴はオレが絶対護るから」
「ありがとう。紅矢はほんとにいい子だわ」

また頭を撫でられて嬉しい紅矢。

お母さんの手のひら、ってのは、
こんなにも癒されて優しいものなのだ。

春日さんは差し入れのお握りと沢庵を、
紅矢と一緒に食べて帰っていく。

「これは真琴に」
「へえ、御守だね」

春日さんのもんぺと
同じ生地で作られた手作りの御守だった。





「お母さんに会ったのね」

御守を渡しに行った紅矢に、
真琴は勢いよく抱きついた。

「な、何だよ」

驚きながらも受け止めて、
紅矢は彼女の涙に気付いた。

「お母さんの匂いがする」

若干伸び放題の紅矢の髪に顔を埋めて、
真琴は静かに泣いた。

戸惑っていた紅矢の腕が、
意を決したようにしっかりと
彼女の背中に回される。

こうやって腕の中に閉じ込めると、
何て小さい身体なのかと改めて感じた。

そして、
後戻りできないほど惹かれていく心を
止められなくなる。

「真琴」

いつか来る別れが悲し過ぎないように、
距離を取っていたつもりだった。

「ん」

伝わる温もりに安心して、
乾いていく真琴の頬。

「おまえのことは、オレが絶対護るから」

柔らかな髪に唇を寄せて囁きながら、
紅矢の目は違う所を見ていた。

いつの間に入ってきたのか、
人の姿に戻った白珠が
窓辺で佇んでいた。

「あんたにも」

感情剥き出しの燃える瞳で、
紅矢が白珠に宣戦布告をしていた。

「真琴は渡さないからな」

何も言わない白珠の、
静かな湖面のような瞳が、
紅矢と真琴を眺めていた。





皇宮から抜け出す作業は、
非常に簡単だった。

「陰陽寮からの依頼で調査に出る」

紅矢の言葉を疑いもしない
操縦士の渡辺さんは、
喜んでヘリを飛ばしてくれた。

「お気をつけて」
「ありがとう。行ってくるよ」

別れ際、真琴が口走る。

「ごめんね、渡辺さん」

疑問符を頭上に浮かべる彼を放置して、
紅矢は急いで真琴の手を引いた。



修験者の山として有名なそこは、
常に多くの登山客が訪ねてくるような
超・有名観光スポットでもあった。

自然を色濃く残す広大な中腹が、
険しい地形と深い森で
きっぱりと人を拒んでいる。

その中で、
四足歩行の動物達だけが知っているような、
穢れない絶景が展開されていた。



「これも、壊されてるね」

修行僧が建てたのか、
小さな祠は
山の至るところに在った。

風化してただの丸い石となった菩薩像が
横倒しになっている。

獣道を歩きながら、
紅矢は真琴の手をしっかりと握っていた。

「古いせいもあるだろうけど、これなんかは、明らかに誰かが壊してるよな」

背の高い雑草に埋もれた、
大きめの噴石に気を付けながら進む紅矢。

「誰か来るよ」

急に真琴の足が止まり、
緑に染まる前方を見つめた。

「間違いなく、人じゃねえよな」

こんな場所に、と周囲を見上げれば、
野性の強い鳥達が、
すぐ前の枝から2人を見下ろしていた。

甲高く、
脅かすような鳴き声が響き、
底知れない森の奥へと吸い込まれていく。

それが合図のように
目の前の茂みが揺れ、
小さく震えた真琴の手は
胸元の焔翠玉を握った。

「お待ちしておりました。真琴様、紅矢様」

言いながら丁寧にお辞儀をする、
人に見える何か。

翁の面を被って、
薄い水色の衣を纏った
小さな人型が姿を見せた。

「あ、あ、あの」

返事に詰まって紅矢を見上げる真琴。

「待ってた?」

真琴を背中に庇いながら、
紅矢の肩に力が入る。

「はい」

頷く翁の、
面に開いた2つの穴からは意思を感じない。

「仲間をいっぱい消したオレ達を、殺すためか」

紅矢は背負っていた弓を手に持ち直し、
いつでも動けるようにした。

「いいえ」

今度は面が横に揺れる。

のんびりした動作は、
風に身を任せる風鈴のようで。

「助けて欲しいのです」
「は?」

思いもしない相手の言葉は
聞き逃すことが多い。

「誰が、誰を?」
「否、もう来たか。伏せて下さい、お二方」

翁の口調と動きが変わった。

言われるままに地面へと身を屈める2人。

その頭上を掠めるように、
黒っぽい何者かが飛び越えていく。

「何だ、ありゃ」

屈んだ体の中に真琴を包むようにして、
紅矢が顔を上げて確かめた。

「天狗さんかな?」

翁の面を投げ捨てた人型は、
2倍もの大きさになって
空中へ浮かんだ。

背中には大きな羽、赤い顔、長い鼻。

そして、
天狗に襲いかかる相手にも、
黒い翼が生えていた。

「Die、 he、 and jast!」

鋭い爪、尖った牙、
早口に叫ばれた音声は
聞き取れる言語ではなく。

「な、何。今何て言った、あの黒いの」

動揺する紅矢の、腹の下から真琴。

「悪口、言ってる」
「真琴は解るのか」
「何となくだけど。あっち行け、だって」
「追い払いたい、だけには見えないけどな」

戦場が空へ移り、
2人は立ち上がって見守った。

ふと、思いついた紅矢が、
弓を構え、矢を番える。

弦を引きながら、
空中でぶつかり合う水色と黒い者に狙いを定めた。

「大丈夫なの、紅矢」

間断ない接近戦を繰り広げる水色と黒。

「当たった方の逆側が、オレ達の味方になる、って寸法だな」
「なにそれ」

呆れる真琴の手の中で、
焔翠玉が怒ったように煌めいた。

「助けて、って言ったのは天狗さんだよ」
「あんな素早く動かれちゃ、いくら弓の名手でも」

紅矢の指が滑った。

「あ」

快晴の空へ向けて、
破魔の矢が元気よく飛んでいく。

声も出せずに見守る真琴。

西風が吹いた。

自動車事故みたいな音が森に響いて、
すぐに山は静かになった。

「しらたまちゃんの気配」

真琴が周囲を見回す。

「あいつ、余計なこと」

弓を背中に戻す紅矢が、
別の気配に顔を上げた。

「ありがとうございます、紅矢様」

水色の衣を着た天狗が、
かなり上の方から子供達を見下ろしていた。

「でっけえなあ」
「おうちの2階に届きそうだね」

炎を映した赤い瞳が、
笑ったように感じた。





教えられた通りに
獣道を進んでいくと、
その建物はあった。

「マヨヒガ!すごおい、本物?」
「普通は迷子が辿り着く場所なんだけどな」

細長い平屋、純・日本家屋。

程よく手入れされた庭先には、
四季の草花が咲き揃い。

開け放しの玄関から外へ流れ出る、
ご馳走のいい匂い。

「味噌鍋だな」

鼻を動かす紅矢が目を細めた。

屋敷中に灯された、
行燈の柔らかな明かり。

水場に下げられた手ぬぐいが
微風に揺れる。

つい今まで、
そこに誰かが居たような雰囲気で、
囲炉裏端にはお茶の用意がしてある。

「あったかいね」

隅まで掃除の行き届いた畳部屋に上がり、
真琴がほっと息をついた。

古めかしいが、
磨かれて艶々と光る調度品。

格子窓の向こうから、
牛と鶏の鳴き声が聞こえてくる。


しかし見事に、人の姿だけが無かった。


「紅矢見て。お茶菓子もあるよ」
「よし、食おう」

囲炉裏端に向かい合って座り、
山歩きで疲れた足を擦る。

置いてあった赤い座布団も、
綿が新しくふかふかだ。

「おうちに帰ってきたみたい」

きょろきょろと
明るい家の中を見回しながら、
真琴が言った。

「ああ」

お菓子を口に頬張りながら頷く紅矢。

「その辺から、ひょいとおばさんが顔を出しそうだ」
「……そうだといいのにな」

真琴の淋しい呟きに、
自分の無神経を呪う紅矢。

「ごめん」

独り言よりも小さな謝罪が、
彼女に届いたかどうか。


やがて廊下を歩く軋み音が聞こえて、
先程の天狗が姿を現した。

「先刻は、神業ともいえる見事な弓矢のお陰で助かりました」

2mはありそうな、
大きな天狗が、
きちんと正座して頭を下げる。

「いやあ、あれは。まじで神の仕業だったし」

口に残っていたお菓子を急いで飲み込む紅矢。

「あんま、畏(かしこ)まれると嫌だなあ、オレ」

天狗が顔を上げた。

真っ赤な皮膚とその形相は
恐怖を誘うものだったが、
紅矢は気にも留めずに笑う。

「対等でいこうよ」

中身の減らない湯飲みを両手で包む真琴は、
そのやり取りを見守るだけだ。

「では」

お言葉に甘えて、と、
天狗は胡坐をかくと
持参した酒を取り出した。

ねずみ色の壷みたいな入れ物に、
直接口をつけて流し込む。



会話は、天狗が
ミヤコの様子を訊ねるところから始まった。

やがて、
先程の黒い化け物へと話題が動いていく。




順を追った説明のお陰で、
紅矢にも真琴にも、
その話は充分伝わった。



「オレ達は急いでミヤコに帰らなきゃいけないな」

元気良く立ち上がる紅矢。

「もう、無駄に闘わなくて済むんだ」

明るい紅矢の笑顔を見つめながら、
真琴は消えない不安に胸を痛めていた。

後書き

ここまでくると、もう、人外しか居ないんじゃないかって気持ちになります。

この小説について

タイトル 〜紅の護り人〜9
初版 2017年4月16日
改訂 2017年4月21日
小説ID 4921
閲覧数 89
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アクアビットの写真
ぬし
作家名 ★アクアビット
作家ID 666
投稿数 29
★の数 67
活動度 7901
継続の大切さと恐ろしさを実感する今日この頃

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