Remain 6

「工事の日雇いが一番割の良い仕事だ。東京は新しい建物を作る街だからだ」
 彼は日中の雑用を終えて日当を受け取ると、真っ直ぐに部屋に帰ってきた。そして朝まで原稿を書こうと机に向き疲れを感じたら少しの仮眠を取る。彼はこのように不規則な生活で次に起きた時は昼間で、部屋の中に魅魔は居なかった。
「昨日から帰って来ていないな……が別に大したことではない」
 最近はそれも何時ものことだった。
 彼と魅魔は「恋人でもない奇妙な同棲」を続けていた。
「あいつの性格はよく分からない。何を考えているのだろうか」
 そのうちに適当に帰って来るだろうと思うし、居たとしても害はない。
 こうして一晩二晩くらいは黙って外出をするが彼も特に注意もしない。夢食いはそういう習性の存在だともう知っているからだ。それでも魅魔がこの部屋に帰って来ると分かっていた。彼女はこの場所を気に入っていると。
「俺に懐いてはいるが「惚れた好いた」と言う訳ではなさそうだし」
 彼が観察する限りでは魅魔はそういう感情を一切知らないようだった。夜行性で人には懐かない、場所に居着く「なるほど」と彼は思った。確かに仮面の「白猫」は魅魔の個人的な性質を示しているのかもしれないと。
 それを床に散乱している原稿用紙に端書きした。

 昼間の東京は人で溢れている。二階のこの部屋の窓からは大通りが見渡せた。その先には大きな橋があり下には綺麗な川が流れている。その川は夏場には蜉蝣が発生して、時折彼の部屋の中にも数匹の蜉蝣が迷い込んでくる。
 彼は何時ものように、どうしようもない創作を綴っていた。
 そして上手く文章に出来ずに時間だけが経って行き夏の夜が更けて行く。そんな深夜に階段を上がって来る音が聞こえた。それが魅魔のものだと彼は知っていた。だけどその音には妙な違和感がある。一人では無い様子だった。
「二葉亭さん、今日は私の友達を連れて来ました」
 魅魔は帰って来た時に一人の女性を連れてきた。
 その女性と目が合うと彼は既視感を覚えた。それは女性も同じようだ。
「あら、あなたは夜市で出会った――」
「――覚えている、俺の命の代わりに原稿を奪っていった女性だ」

 確かに夜市で彼の原稿奪って行った女性だった。このように人の世で見ると、とても上品な着物を着ていることが分かり、仕草も淑やかで上流の存在だと知った。魅魔の紹介で彼と女性は人の世界の上で正式に出会った。
「これは奇妙な縁ですね、こんな場所に線が繋がっているなんて」
 彼女は自分の名前を「琴乃葉」と名乗った。
 彼は「琴乃葉は狐の妖しかもしれない」と妖し作家の端くれなりに思った。それは直感的なものに過ぎず言葉にして問うことは失礼に当たるかもしれないと、彼ははっきりと確かめることは出来なかった。
「この人は「二葉亭 漱石」さんと言う作家です」

「そうですか、やはり作家さんでしたか。この前の作品は面白かったですよ」
 琴乃葉は褒めたつもりだったけれど、彼はその言葉を否定したかった。
「あれは違う。あの夜に奪われた原稿は俺の書きたいものではなく、生活のために世間の流行に成されるまま書いたものだ。この「二葉亭 漱石」などと他人に肖ったような、本当に目指す作風とは似ても似つかない擬い物だ」
 そう言って語気を荒くした。少なくとも彼だけはそう思っていた。
「だから次に書く作品はもっと魅力的で素晴らしいものになる」
 彼は自分ならそれが出来ると信じていた。
 その言葉を聞いた琴乃葉は大人の余裕で社交辞令のように上品に微笑む。
「そうですか。それでは次の作品を楽しみに待っていますね」
 その後は彼と琴乃葉は当たり障りのない会話をしていた。紹介した魅魔は会話に入らずに部屋の隅でぼんやりしている。或いは飽きて眠っていたのかもしれない。そして二人が気付いた時にはもう夜は明け始めていた。
「朝までには帰らないといけないのです」
 そう言って琴乃葉は帰って行く。
 二階の窓から見える通りに彼女の後ろ姿、彼はそれを見ていた。
「彼女は美しい、あれを「妖艶」と言うのだろう」

 ・・・・・・・・・・

 日中は仕事がある日も多く、全ての時間を創作に当てることなど出来なかった。割の良い仕事はそれなりに体力を削っていく。だから仕事が三日続けば彼は疲れ果てて、部屋に帰るなりすぐに畳に横になった。
 次の日に起きると夕刻だった。
 今日は生活のための仕事も無くて直ぐに机へと向いた。
「小林さんの紹介で、東京に伝手がない俺が仕事を貰えているのはありがたい。ありがたいがやはり、仕事がない日というのは良いものだ」
 休みの日に書き進められるだけ書いておきたい、そう思っていた。
 それでもどうしてもペンが動かない。悩んだままで言葉にならない感情の残滓がゆらゆらと揺れるだけで、物語は何一つ浮かばない。それでも無理にペン先を動かせば才能の欠片もない言葉が紙の上で散った。
 気付けばペン先に付けた墨汁が乾ききってしまっている有様だ。
「こんなことが、あの俺が書けなくなる日が来るなんて」

 彼は言葉に出さずとも自分を「天才」だと思っていた。
 あの時には確かに内側に才能があって今まで「技術的に未熟で」失敗することはあれど書く題材について困ったことは一度だってなかった。だけど積み上げてきた「文才」と「想像力」は命の代わりに置いてきてしまった。
「あの頃の俺にもう一度、そう失ったものをもう一度だけ」
 そう言いながら奇跡と言う言葉にすがろうとしていたけれど何も書けなかった。

 それは「凡人の作家に」有り触れた苦悩と葛藤だった。
 東京の「モンマントル」には創作家が巣を作り餌を待っている。だけど肝心の仕事と言う獲物が舞い込まないから大抵は諦めて他に道を探す。しかしそれが出来ない者たちはここで何も得ずに朽ち果てて行くのだろう。
 彼は「俺はここで朽ちていくのだろう」と予想していた。
 物心付いた頃から、何時も何一つ言わずに他人と距離を置いたままで「全てを小説に賭ける」と何も知らずに言っていた。人の輪の中に居てもつまらなさそうで、早く一人きりになって限りある生涯を捧げると言えたことも。
 それは全て才能があると自負していたからだ。
 今の彼にはそれさえも無い。彼は「書けない作家」になっていた。

後書き

「月と缶チューハイ」より転載。
http://moon-can-zhuhai.info/

この小説について

タイトル Remain 6
初版 2017年4月17日
改訂 2017年4月17日
小説ID 4923
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熟練
作家名 ★青樹 凛音
作家ID 1080
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