ANOTHER WORLD 〜外伝〜

2018年3月15日完結
=64頁 17996文字=
=原稿用紙44.99枚分=
<<ANOTHER WORLD 外伝>>

「スコーピオ」

呼ばれて振り返るまでもない。
見知った顔が数体、並んで立っている。

「おまえ、宿賃払ってないんだってな」
「チャン・ランさんが怒ってたぞ」

スコーピオは黙っていた。
彼らの目的は所持品を巻き上げることだ。
何を言っても無駄だから、拳を固めて待った。

「おまえもこの町の生まれだろ」

無遠慮に近付いてくる誰もが、スコーピオの体格の三倍はあった。

「ここで生きてくやりかた、知らねえとは言わせねえぞ」

みんな、硬くて丈夫な毛皮を持っていて、爪も牙も立派だ。
防御率を上げるには、剥きだしの皮膚を布で覆うしかない母星型のスコーピオは、どう見ても、細くて小さくて、弱そうだった。

「ほら。宿賃寄越せ」
「何か持ってんだろ」

見上げる高さに奴らの顔がある。
鍛える必要のない野太い腕が伸ばされた。

「肩を掴んで、顔を殴ってやる」

そう言われて、はいどうぞと差し出すような生きかたはしてこなかった。
掴ませたまま僅かに身体を捻り、スコーピオは相手の急所を速く鋭い拳で抉る。

「痛ってえ!でも、逃がさねえぞ。羽交い絞めにしてやる」

されるわけがない。
体格差のある奴らへの対抗手段は速度だ。
スロー再生な腕を掻い潜り、相手の手首を上から抑えたまま、スコーピオは奥歯をしっかり噛みしめると、全力で頭を突き上げた。

「やべえ。意識が」

顎の隙間から流血しながら、大きな身体が向こうへ倒れていく。

「この、チビが」

手を離したスコーピオは素早く次の相手に向かった。

「この星から出て行け、母星人」

次の相手が、唸りながら毛むくじゃらの腕を振り回す。
さっきと同じように、スコーピオは相手の手首を上から掴んだ。
恋人達が抱き合うくらいの至近距離。

「俺は、母星人じゃない」

否応もない、超・接近戦の距離感で、スコーピオの怒った声が呟く。

「月の人だ」

硬い毛皮に覆われた顔が、凶暴さを失わないまま笑いに包まれた。

「そんな種族、聞いたこともねえ」
「そりゃそうだ」

靴の先に当たった棒切れを、スコーピオは器用に足先で掬い上げると、横向きに力いっぱい振り抜いた。

「俺が、最初だからな」

最後に残ったごろつきが、一歩後退する。

「やりやがったな、チビ野郎」

怒りで血走る目が泳ぎ、その相手は、突然視界から消えた小さな生き物を慌てて探した。

「あ、あれ。どこ行った」
「ここだよ」

背後に回り、片方の手首を掴むスコーピオ。
こうすると、相手の声がはっきり聞こえる。
だから、彼は不利な環境で負け無しだった。

「うわっ!素手じゃ駄目だ。刺してやれ」

そいつは、腰に隠していた刃物を取り出そうと、手を後ろに回す。

「あ、れ。武器がない」
「これのこと」

氷を砕く調理器具みたいに、不器用に先端を尖らせた刃物は、スコーピオの手にあった。

「てめ、返せ」

急いで身体を反転させる。

「頭を上から殴って取り返そう」

薄い笑みを浮かべるスコーピオ。

「返すよ。ほら」

痛々しい叫び声を上げて、最後の相手がうずくまった。
片足の甲が、地面に縫い付けられている。

「痛え!畜生!」

その頃にはもう、スコーピオはごろつき達から遠く離れ、一軒の店に入っていくところだった。

「遅いぞ、スコーピオ。何してたんだ」

酒場に入った少年をいきなり怒鳴りつける、厨房の店長。
彼も硬い毛皮と鋭い爪を持っていた。

「チャン・ランの手下に絡まれてた」

言い返しながら身軽な動きで厨房に向かうと、傍らにあった木製のコップを手に取る。

「またやったのか」

呆れる店長は、ごろつきと同じ種族だ。
口の両端からはみ出る牙が大きい。

「オウルさんから預かったにしても、おまえは騒ぎを起こし過ぎだぞ」

それには応えず、一番近くにあった酒樽の栓を捻って中身を注ぐと、スコーピオは一気に飲み下して、激しくむせた。

「がっはっは」

カウンターに居た客が笑った。

「子供にゃキツいぞ火星酒は」
「俺は早く呑めるようになりたいんだ」

濡れた口元を手の甲で強く拭いながら、少年は馴染みの常連客をも睨みつける。

「何もそんなに急ぐことはあるまいよ」

両生類特有の滑った肌を持つ常連客は、頭頂部付近に付いた目玉をぎょろりと動かして、まだ若い店員をなだめた。

「俺は早く大人になりたいんだ」
「どうして」

常連客は優しく尋ねる。

「大人になれば、馬鹿にされない」

皮膚が剥き出しの、小さな拳を握りしめて、スコーピオは唇を噛んだ。

「大人になっても馬鹿にされるやつは居るぞ」

常連客はぬめぬめと全身を光らせながら、店長を見た。

「スコーピオは頑張っているよなあ」
「普通だ」

空樽を厨房から運び出す店長。

「これを外に出してこい、スコーピオ」
「……わかったよ」

仕方なく返事をして空樽を担ぐと、母星型の小さな身体が、大きな樽に隠れてしまう。

「中身の入った樽を担げてからが始まりだ」

店長が、その背中に声を投げた。

「まあ。頑張れよ」

唇を尖らせたまま外に出て行くスコーピオ。
常連客が店長に言った。

「スコーピオはオウルさんの子なんだって」
「見て分かるが育ての親だ」

店長の表情は複雑だ。

「あいつにゃ、羽も嘴(くちばし)もない」

カップを置いた蛙型の常連客が頷く。

「オウルさんは、フィール星人だろう」

空になったカップへ、新たに酒を注ぎながら応える店長。

「森の賢者とか呼ばれる種族だな。フィール星は二つ隣の銀河にあったはずだ」
「この星にフィール星人は、オウルさんしか住んでないだろ」

ガイタ星人の常連客が呟き、店長はカップの中身を見ながら少し考えた。

「……まあ。不思議なお方だよ」



空樽を所定の場所に置いたスコーピオが、額の汗を拭う。
遠近二つの太陽が照らす昼間の地表は暑い。
無理して呑んだ火星酒のせいで喉も胃も熱い、というより痛い。

「スコーピオ」

樽の陰で休む彼の正面に、ふさふさの尻尾を持った友人が立った。
強い日差しが遮られ、影が出来る。

「何だよラッキー。仕事はどうした」

チャン・ラン一族に似た風貌だが、ラッキー達は優しい性格で、それが表情に出る種族だった。

「おまえと同じだよ」

真っ白な尻尾がゆらゆら揺れる。

「何だよ、同じって」

幼馴染の気安さで返すスコーピオ。
ラッキーは笑いながらゆっくり言った。

「サ・ボ・り」

笑うと牙が見えたが全然恐くない。
頭の上にある大きな耳も、白く柔らかな長毛で覆われている。

「別に。サボってるわけじゃ」

顎を上げ、スコーピオは鼻を膨らませた。

「親方達がマギーの店に向かってるんだ」

ラッキーの、まん丸に近い茶色の瞳が気持ちを映して輝いている。

「ガキはついて来るな、って言われてさ」

躊躇いは一瞬で、母星型の少年は悪戯な笑顔を浮かべると立ち上がっていた。

「そうか。なら、行こう」
「そうくると思ったよ」

嬉しそうに尻尾を振り、ラッキーが先に走りだした。

「地下列車まで競走だぞ」

追いかけて走り出しながらスコーピオが訊いた。

「勝ったらどうする」

挑戦的な微笑みを返すラッキー。

「負けた方が一杯奢る」
「よし。乗った」

全力で走った。
ただそれだけなのに、腹の底から笑いが弾けて出てくる。
嫌な出来事を総て忘れたスコーピオが、ラッキーより僅かに遅れて駅の入口に到着した。

「よおし!俺の勝ちな!」
「おまえ。ずるいぞ」

肩で息をしながら、スコーピオがラッキーに殴りかかった。

「わあ!待った、待った」

辛うじて避けたラッキーが半笑いで謝る。

「だって、本気出さないと負けそうだったんだもん」
「だからって、四足使うなよな」
「悪かった、って」

幼児なら許される四足歩行は、行儀が悪いとか粗野とかいう理由で、大人はやらない行動だった。
ラッキー達に限らず、月で暮らす殆どの種族は、四足で走らせると格段に速い者が多く居る。
口惜しさを怒りに変えたスコーピオが、側にあった看板のような物を蹴っ飛ばした。

「こらあっ!悪戯すんな、悪ガキ共が!」

店主が屋台から飛び出てくる。
くねくねと蠢く数本の腕が、二人を捕まえようと振り回された。

「逃げろ、ラッキー」

わざと仲間の名前を叫ぶスコーピオ。

「あ、待てよスコーピオ」

即座にやり返し、笑いながら走りだす。

「また、おまえ達か!」

いっぱい生えた店主の腕は空を掴み、怒った声だけが追いかけてくる。
二人はそのまま構内へ潜り込み、顔馴染みの駅員に目配せをすると、改札を飛び越えた。



「追いついた。親方達だ」

前方を確かめたラッキーが、スコーピオの腕を突いて知らせた。

「一番前に乗ったぞ」

ホームは様々な種族の人々でごった返し、いろんな匂いがした。
更にそれぞれが抱える大きな荷物で狭まる隙間を、泳ぐようにすり抜けていく少年達。

「ラッキー。ほら」

最後尾の車両で落ち着いた親友に、スコーピオが何かを投げつけた。

「わっ」

慌てて両手で受け止め、確かめる。

「食いもんじゃん」
「美味いぞ、これ」

既に頬を膨らませたスコーピオの隣で、ラッキーがまだ温かい食料をほぼ丸呑みにした。

「ほんとだ。美味いな」

車両の前方で誰かが、荷物を失くしたと騒いでいる。

「諦めろ。探しようがねえよ」

座る場所もない車内はほぼ満員。
他の乗客が気だるく慰めた。

「今日はまた、えらく混んでるしな」
「また、移民が来たのかもな」

憤慨する被害者はもう無視され、列車は前触れなく動き出す。

「こんな星に来たって、何もないのによ」

誰かの呟きに、ため息が賛同した。

「自由に使っていい土地、ったってなあ」
「地表じゃ、まず暮らせねえよ」
「空気は薄い。自由に使える水がねえ」
「結局、母星人だけか。調子良く稼いでいるのは」

母星人、という単語に、スコーピオの傍に立っていた数人がじろりと睨みおろした。

「地下街に何の用ですかねえ、母星人さん」

鱗の肌を持つ乗客が嫌味を言った。

「地下だけは譲らねえぞ」
「母星人は入ってくんな」

騒ぎ始めた乗客相手に、怒ったのはラッキーだった。

「おい待てよ。こいつは母星人じゃないぞ」
「は。どう見ても母星人じゃねえか」

嘲笑が渦巻く車内で、少年は黙っていた。

「見ろよ。薄っ気味悪い、剥き出しの肌」
「細いし、小さいし」

ぐるりと囲まれた状態で、雨のように降り注ぐ罵倒の言葉。

「母星人が強いのは、強い武器を持ってるからだ」
「剥き身じゃ、何も出来ないくせしてよお」
「聞く耳も持たずに、すぐ排除とか何様だっつうの」

逃れようもなく流れ込んでくる感覚。
慣れようと努力したが、無理だった。
棘のようにささくれ立った悪意が、痛い。

「出ていけ」
「今すぐ降りろ」

嫌な連帯感が車内に広がり、スコーピオとラッキーは、地下を走り続ける列車の窓辺に追いやられた。

「やめろよ、放せ」

ラッキーが怒鳴り、振り回した拳が誰かの顔に当たった。

「痛え!このくそガキゃ」
「窓を開けろ」
「落としてやれ」

最悪に険悪な空気だった。
それ程でもなかった大人達が困ったように目を逸らす。

「そのくらいにしませんか」

凛と響いた清涼感のある声に、その場にいた全員が、一瞬にして毒気を抜かれていた。

「あっ。その制服……」

誰かが困った声を出す。

「何で。こんなとこに」

少年を掴んでいた大人が慌てて手を放した。

『母星防衛庁・惑星監視警備隊・月支部』

保安官とは違う色の制服を着たその人は、まだ若い顔に正義感を堂々と浮かべて、静かに続けた。

「今すぐ仲良くしろとは言いませんが」

列車の速度が落ちた。
次の駅が近付いたようだった。

「少なくとも、この少年達は何も悪くないでしょう」

むしろ時代の被害者なのだ、この子達は。

「わ、悪かったよお」

両手を降参のポーズにして、鱗の肌を持つ外星人が身を退いた。

「謝るからよ。一種排除だけは勘弁してくれよな」

母星人が恐れられている一番の理由。
気に入らない種族を丸ごと月から消してしまうような武器と、それを平気で扱う戦闘部隊を、母星人は持っていた。

「そんなことはしません」

降りる用意をしながら警備隊の青年が返す。
列車が停まり、扉が開かれた。

「突き飛ばしてやろうかな」

鮫男の声を誰も聞いていなかったのだろうか。
背中を向けた警備隊員に伸びる殺意の腕を、スコーピオが黙って掴んだ。

「な、何だよ」

何も言わず、黙って見上げる少年の黒い瞳。

「気味悪いな」

鮫男が躊躇しているその隙に、警備隊員は無事に下車していく。
その後ろ姿を、スコーピオはじっと見送っていた。

「どうしたんだよ。ぼうっとして」

再び動き出した列車の中で、ラッキーが呼んでいた。

「あんな母星人もいるんだな」

スコーピオの、世の中総てに喧嘩を売っているような目付きと、不満そうに尖らせた唇から零れた殊勝な台詞に、笑いだす親友。

「やめろよ。砂嵐が来るぞ」
「砂嵐はいつも吹いてるだろ」

いつも通りの不機嫌だ。

「ははっ。そりゃそうだ」

乗客はそれぞれ目的の駅で順番に降りていく。
疎らになった車内で、少年たちは終点を目指した。

「スコーピオはさ、何になりたいんだ」

凄い速度で灯りが飛び去る窓の外を眺めながら、ふと、ラッキーが訊ねた。

「フィール星人」

今はもう理解している。
親だと信じていたオウルは、梟型の大型外星人だった。
幼いスコーピオは、羽も、嘴も、大きくなれば生えてくると思っていた。

「違うよ。俺は大工、おまえは」
「別に」

なりたいものなんて、無い。
消えてしまいたいと思ったことなら、何度でもある。

「じゃあさ。警備隊になれば」
「はあ?」

呆れた顔つきで親友を眺めた。

「俺達の敵だろう、あいつらなんか」
「俺は保安官の方が嫌だけど」

呟きながら顔を眺め、にやにや笑う。

「何が可笑しいんだよ」
「別に」

さっきの真似をして言い返し、ラッキーが先に下車していく。
列車は終点、地下十番街に到着していた。



「こりゃ!ラッキーではないか!」
「あっ!やべえ」

降りるのが早過ぎた。
のんびり下車してきた親方に発見されたラッキーは、耳を掴まれ連行されていく。

「いたたた……スコーピオ、俺はここまでだ。マギーによろしく言っといて」

尻尾の無い、黒猫に似た外星人、マギー。
身体にぴったり寄り添うタイトなワンピースは、今日は輝く緑色だった。

「あら、スコーピオ」

彼女が営む食堂はいつも客で一杯だ。

「仕事はどうしたの」

金色の瞳が、何もかも見透かしていそうで、少し怖い。

「休憩中」

目を合わせずに奥の席へ向かうスコーピオ。

「また勝手に抜け出したのね」

マギーの傍をすり抜ける時に、いつものいい香りがした。
その一瞬だけ、鼓動が強くなる。

「あなた、あんまりお父さんに心配かけちゃ駄目よ」

それには応えずに、スコーピオは言った。

「腹、減ったよ。マギー」
「マギーさん、でしょう」

優しいげんこつが頭を掠めていく。
妖艶な微笑みを残して、マギーはそのまま次の客を迎えに歩き去った。

「何だよスコーピオ。また来たのか」

常連客が向こうの席から声を投げてくる。

「おじさんだって、毎日居るじゃないか」

不機嫌に言い返し、スコーピオは机に顔を伏せた。

「そりゃ仕方ないさ。大女優マギーの店だからな」
「俺達は、彼女を追ってこの星まで来たんだぞ」

柔らかな談笑と、厨房から聞こえる調理の音。
毛皮で出来た暖かな店内。
凍りつきそうな少年の心が、少しだけ溶かされる。



「……スコーピオ」

いつの間に眠っていたのか、優しいマギーの声で目が覚めた。

「地表はもうすぐ夜になるわ」
目の前に並んだ食事に、空っぽの胃袋が正直な反応を示す。

「食べたら、戻りなさいね」

歩き去るマギーの、しなやかで細い背中を暫く見つめるスコーピオ。
やがて視線を逸らし、勢いよく全てを平らげて、店を後にした。

「スコーピオ」

再びギザの町に戻った彼を呼び止める、チャン・ランの手下達。

「おまえ、ウチの仲間に怪我させたんだってな」
「もう宿賃なんて温い事じゃ済まねえぞ」

小さなため息。

「だったら、どうするって言うんだよ」

凶暴な光を瞳に宿すスコーピオ。
普段は腹の底に隠されている鬱々とした思いは、こういう時に表面化する。

「チャン・ランさんが、連れて来いってさ」

底意地の悪い顔が、歪んだ。
前触れなく後頭部に衝撃が走り、スコーピオは意識を失って前のめりに倒れる。

「運べ」

軽々と少年を担ぎ、歩き出す虎型の外星人。

「あああ。大変だあ」

瓦礫の影から見守っていたスコーピオの遊び仲間が、慌てて反対方向へと走りだした。

――――――――――

地下一番街。
何の規制もなく自由勝手に開発された地下の、最初の駅にある、今の月で最も混沌とした町。
ここでは、外星人と母星人が公然と向き合い、互いの品物を交換し、普通に商売をしていた。

「オウルさん。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

母星の亀に似た外星人が、薬屋を預かる梟星人を訪ねてきた。

「おや。いらっしゃい」

大型外星人が暮らすには若干狭く感じる小さな店内で、茶色の翼を持つオウルが顔を向ける。

「これなんだけど」

亀型商人は、背負っていた袋状の入れ物から、奇妙な品を取り出してオウルに見せた。

「何に使うのか判るかい」
「どれ」

オウルは大きな身体をゆっくりと回転させて、差し出された品物を手に取った。

「これは、誰から買ったのかな」

そっと持ち上げ横から眺めるオウルが、穏やかな声で訊いた。

「母星人だよ。すごく便利、って言ってたから、つい」
「確かに、母星では便利だろうね」

森の賢者が発する静かな声に、悲しい表情になる亀型商人。

「もう、嫌な予感しかしないよ」
「これは帽子の一種なのだけれど、私達には頭に何かを被せるという習慣自体が無いからね」

オウルは、開いた傘を閉じて商人に返した。

「また、やっちまったか」

がっかりする彼に、オウルは自分の商売道具でもある薬湯を手渡しながら微笑む。

「まあ、これを飲みなさい。落ち着いて考えれば、この星でも使える方法が見つかるかもしれないよ」
「そうかな。ありがとう、オウルさん」

亀型外星人の体温に近い温度の、どろっとした液体が発する匂いに、思わずカップの中身を眺める亀型外星人。

「こ、これ。飲んでも良いのか」
「薬だからね、苦いと思うよ」
「うへえ」

覚悟を決めて目を閉じ、一気飲みした商人が店を後にする。

「オウルさん。相談があるんだけど」

奇妙な荷物を抱えて咳き込む亀型商人を不審顔で見送り、次の誰かが小さな建物の扉を押し開ける。

「おや。いらっしゃい」
「キリヤ星人から聞いた話なんだけど」

オウルの薬屋は、そんな風に繁盛していた。
二つの太陽が地平線の向こうへ隠れると、砂しかない地表は急激に寒くなる。

「オウルさん!大変だよ!」

片付けを始めていた店内へ、土竜型の少年が駆け込んできた。

「おや、コルド。どうしたのかね」
「スコーピオが攫われちゃったんだ」

荒く漏れる息の隙間から、コルドは必死で伝えた。

「相手は、コルドの知っている者だったかい」

どんな時でも、オウルは冷静だ。

「うん。チャン・ランの手下だよ。あいつらずっと、スコーピオのこと睨んでて」
「そう。ありがとう」

コルド少年にも同じような薬湯を飲ませて、オウルは店じまいを進めた。

――――――――――

目が覚めると同時に、胃袋が持ち上がる嫌な感覚に襲われた。
我慢することなく、スコーピオはそのままの姿勢で嘔吐する。

「うわ、驚いた。目が覚めたのか、こいつ」

見知った場所だった。
チャン・ランの手下共がたむろする小屋だ。
でも、床に転がされたスコーピオを見張る外星人に見覚えはなかった。

「気持ち悪い」
「だろうな!見りゃ判るよ」

小型だが虎に似た風貌のそいつは、スコーピオの肩口を掴むと引き摺るようにして場所を変えた。

「何か飲むか」
「……火星酒」

寝転がったまま、スコーピオは自分の体調を確かめる。
後頭部に鈍い痛みは残っているが、他は元気だ。
骨折もない、縛られてもいない。

「アタマ悪いなおまえ。そんなの呑んだら余計吐くだろ」

苦笑いとともに、そいつはどこかが欠けてるらしいカップを差し出す。
スコーピオは無言でそいつを見上げた。

「何だよ。毒なんか入ってないぞ、そんな甲斐性ないしな、俺は!」

随分無防備に笑うんだな。

「おまえ、新入りか」

起き上がったスコーピオはカップを受け取ると、胡坐のままカップを傾けた。
月では主流の、果実系の甘い液体が喉を潤す。

「おうよ。バリィってんだ」

放り投げられたカップを両手で受け止めて、小さな虎型外星人、バリィはお代りを注ぐ。

「俺のこと、聞いてないの」
「え。見張ってろ、って言われたけど」

アタマ、悪いのかな。

「俺が暴れて出て行くとか、考えなかった」

二杯目を飲みながら、スコーピオが上目遣いに訊ねる。

「今まで寝てたからな、おまえ」

バリィは白い牙を剥き出して笑う。

「暴れたら、考えるよ」

そんなに強そうには見えないけど。
二杯目を飲み干して、スコーピオは立ち上がった。
欠けたカップを、飲料器の脇に返す。

「ありがとう。元気になった」

目線は合わせずに、そのまま歩いて出口へ向かうスコーピオ。

「うん、じゃあな……って!」

座っていた椅子を倒す勢いで、バリィがすっ飛んできた。

「待て、待て。おまえをどうするかは、チャン・ランさんが決めるんだ。もう少し待てよ」

スコーピオの腕を掴んだその手首を、反対の手で掴み返す。
向き合う姿勢で、スコーピオは挑戦的に口角を上げると、掴まれていた腕を振り解いた。

「俺をどうするかは、俺が決めることだ」

言いながら、手のひらから伝わる相手の心を、いつも通り読もうとした。

「あれ」
「へええ。そういう能力なんだ」

バリィは無防備に笑った顔のまま、手首を返し、スコーピオの拘束から簡単に逃れた。

「でも、俺みたいなの相手にするのは、初めてって顔だな!」

感じたことのない恐怖を、スコーピオはバリィとの距離感で表現した。

「心を閉じられる相手とは、向き合ったことないんだ」

こんな時に、バリィの牙は白くて綺麗だと思う。
拳を固めて壁際に立ったまま、スコーピオは無言で相手の次の動きを待った。

「母星人のガキがえらく強い、って聞いてたけど。種明かしすりゃ、そういうことね」

面白そうに笑いながら、バリィはスコーピオとの距離感を楽しんでいるようだった。

「凄い警戒心。嬉しいなあ」
「あんたは、何なのさ」
「俺は、バリィ」

腕と爪に、力が入るのが見えた。
まともに向き合ったら、体力では絶対に敵わない。
加えて、チャン・ランはスコーピオを殺す気だ。
どうしたって、逃げ出さなきゃならない。

「そんなの聞いたよ。何で、心を閉じられるのか」
「おまえは判るのか」
「え」

戦闘の意志を保ったまま、バリィの瞳は明るく輝く。

「おまえは、自分が何で相手の心が読めるのか、理由が判って生きてんのか」

返事に詰まった。
それが、時々死にたくなる原因のひとつだった。
思春期の戸惑いを、バリィは逃さなかった。
一足で踏み込むと、若干降ろされたスコーピオの腕を薙ぎ払い、細く感じる首を掴んで床に捻じ伏せる。

「そんなにショックだったかい」

楽しそうな笑みを崩さずに、バリィは上からスコーピオの顔を覗き込む。

「俺のだって、生まれつきだよ。気が付いたら心を閉じて、こうやって笑ってる」

思い切り、暴れた。
全身のばねをフル稼動させて、バリィの腕の下から、芋虫が這うように逃げ出した。

「いいね!格好の良さは捨てる勇気」

無防備な笑顔が今はとてつもなく恐い。
視界の端で出口を確認して、スコーピオは外に出る機会をうかがう。
一歩で踏み込まれてしまう、狭い小屋だ。
二度はない。
今度掴まったら、多分、落とされる。

「そろそろ、チャン・ランさんが来る頃だ」

バリィが呟いた。

「遊びはお終いだよ、スコーピオ」

瞬きの隙もなかった。
気が付いたらスコーピオは再び床に倒されていて、背中を大きな手のひらで抑えつけられていた。

「知ってたんじゃないか、俺のこと」
「あれ。知らないなんて、言ったかな、俺」

完敗だ。
抵抗する気は消えた。
悪気のない笑顔に騙されて、相手を格下に見た自分が悪い。
手のひらの下で力を抜いたスコーピオに、バリィが訊く。

「もう、いいのかい。このままチャン・ランさんに喰われちまっても」
「もう、いいよ。どうでも」

目を閉じて、恨むのは己の弱さだ。
床を舐めながら、能力を過信していた弱者なんか死んでも構わないと考える拳が、小さく震えていた。



「やあ。お待たせ」

小屋の扉が、向こうから開けられた。
スコーピオには聞き覚えのあるその声に、逃げ延びるチャンスを貰う。

「え。あんた誰だ」

当惑の一瞬を逃さずに、スコーピオは力の緩んだ腕の下から抜け出すと、声の主の方へ走った。

「息子の帰りが遅くてね。心配で迎えに来たのですよ」

穏やかな声色と口調。
小屋の梁にぶつけないように頭を少し下げた梟星人が、灰色の瞳でバリィを見下ろしていた。

「こんばんは、バリィさん」
「こ、こんばんは」

思わず挨拶を返してしまった。

「息子って、あんたスコーピオの」
「はい。父親です」

感情を映さない灰色の瞳が、バリィの心を抉るように見つめていた。
枯れ木のような腕、大きいくせに飛べない翼、歩きすぎて平べったくなってしまった足。

「連れて帰りますが、よろしいですね」

断る勇気が湧かない。
気圧されたバリィは、棒立ちのまま無言で、顎を上下させた。

「恐れ入ります。では、今回はこの辺で」

丁寧に頭を下げて、オウルはスコーピオを羽根の下に匿うと、静かに小屋から去って行った。

「どういうこと」

腰が抜けたように座り込み、バリィは、オウルの瞳を思い出していた。
深さの知れない森、沼、それとも、宇宙(そら)。
およそ一体の生物が抱えられる大きさではない『何か』を、オウルの瞳に垣間見た気がした。

「何を、背負ってるんだ、あのフィール星人は……」

――――――――――

「良かった!生きてた!」

地下一番街。
薬屋の看板を出すオウルの家に戻ると、土竜型の外星人コルドが、目に涙を浮かべて走り寄ってきた。

「コルドが、教えてくれたんだよ」

オウルに教えられて、スコーピオは小さなコルドに頭を下げた。

「助かった……ありがとう」
「これ、本物のスコーピオなの」

コルドは照れ隠しにそう言って笑った。
スコーピオはいつも独りで、強い。
彼のために何かしたところで、今まで礼なんて言われたこともなかった。

「しかし、これでチャン・ランが諦めるとは思えないからね」

オウルが言う。

「コルド。君は暫くスコーピオから離れていた方がいい」
「うん。そっか、そうだよね」

何よりも、自分の生命が一番大切だ。
この星に、生命より大事な物はない。

「気を付けて、スコーピオ」
「コルドも」

出て行く友を見送るスコーピオの唇から、小さなため息が零れた。

「疲れただろう、息子よ。私が起きているからね。少し眠るといい」
「うん」

生きるために食べる。
食べたいから、盗む。
生き残りたいから、闘う。
時に相手を……壊してでも。

「おやすみ」

オウルの声がやけに優しく聞こえた。
泣きたくなる胸を抑えて、スコーピオは丸くなって、眠った。

「さて。彼らは、何がしたいのだろうね」

月で生まれた子供のほとんどは親がなく、生きる術も持てない。
そんな子供同士で助け合って、どうにかこうにか生き延びるしかないのだ。
死ぬ思いで盗んできた品物を、僅かな食料と引き換える、狡い大人たち。



「……私の方から出ます。少し待ってください」

扉に向かって呟いたオウルは、ようやく深い眠りに入ったスコーピオを起こさないように、静かに外に出て行った。

「何か忘れ物でもしましたか」

扉の前で、大樹のように佇む大型の梟星人。
見下ろす相手は、小型の虎星人バリィだ。

「どうしても、聞きたいことがあったんだ」
「スコーピオの居場所をチャン・ランに訊かれましたか」

また、だ。
底のない灰色の瞳が、バリィを捉える。

「いや。旦那には、会う前に出てきちまった。もう、あそこには帰れないな」

梟の喉が、嬉しそうに膨らんだ。

「それは、賢明な判断でしたね」
「そうかな」

自嘲気味に笑ったバリィは、常に楽しそうに輝く瞳で、森の賢者を見上げる。

「オウルさん、だっけ。少し、話しをしたいと思って」
「それは嬉しいですね」

どうぞ、と、オウルは家の扉を開けて招いた。

「いや、待ってくれよ」

バリィが両腕を振って慌てる。

「中には、スコーピオがいるんだろう」

俺が入るわけにはいかない、と最後までは言わせずに、オウルは黙って待っている。

「……お邪魔します」

こんな挨拶が出来るのに、チャン・ランの下で悪さを重ねることが先ず、バリィが抱える苦しみのひとつだと思われた。



「お掛けなさい」

室内には薬草の香りが漂っていて、森の中にいる気分になった。
それは懐かしい故郷の匂いでもあった。

「はい」

導かれるまま素直に、木製の椅子に座ると、丸くなって眠るスコーピオが正面に見えた。

「子供じゃないか、まだ、全然」

小さく、幼く見えた寝顔に、バリィは軟禁していたときのスコーピオを思い返す。
目が覚めるなり平気で嘔吐して、気持ち悪いなどと敵の見張りに愚痴るふてぶてしさ。
元・仲間の足を、地面に縫い付けるような闘い方ができる男。

「あなたが何をお話しに来たのか判りませんが」

オウルが、温かい飲み物を差し出しながら話し始めた。
梢が風に囁くような、柔らかい音声に、警戒心など根こそぎ掻き消されてしまう。

「私からは、あなたにお願いがあるのです」

バリィは礼を言ってから飲み物を口にした。

「俺に願い、とは」

胃袋がほっと落ち着くのを感じながら、忘れていた故郷の味を思い出すバリィ。

「息子のことです」

オウルは相変わらず穏やかだ。

「何だろう。想像もつかないや」

カップの中身を見下ろしながら、呟く。

「闘い方を、教えてやってくれませんか」
「え。俺が」

思わず声が大きくなって、慌ててスコーピオの方を見たが、少年は熟睡中だ。
黙って視線で先を促すと、オウルは僅かに微笑んで続けた。

「相手に触れていないと闘えないのでは、生き残れないでしょう」

本当の闘い方を教えてやって欲しいとオウルは言う。

「この子はこの先、もっと過酷な闘いを強いられるのです」
「オウルさん、あんた一体」

何者なんだと言いかけて、物音に同時に気付いた。

「おまえ!」

目覚めたスコーピオが、父を護ろうと飛び掛ってくるところだった。

「待て。待て、って!スコーピオ」

軽い跳躍で攻撃を躱して、バリィは椅子を盾にスコーピオと向き合う。
敵わない相手と知って捨て身の闘い方だ。

「そんなんじゃ、自分も親父も護れないぞ」
「うるせえ」

一度完敗している口惜しさに、歯噛みしながら拳を振り回す。

「それじゃ、子供の喧嘩だろ」

自暴自棄な動きを関節技で制して、バリィは敢えて心を開いた。

「俺が、特訓してやるよ」

憎しみで一杯だったスコーピオの表情が、想像通りに変化していく。
泳いだ目線がオウルを求めて捉えた。

「父さん、本当に」
「私がお願いしたんだよ」

スコーピオの手から力が抜けた。
完全に戦闘意欲をなくして、少し離れた場所に立つ。

「そこまで嫌わんでも」

苦笑するバリィが、困って頭を掻いた。

「俺が心を閉じるようになった訳は、まあそんなとこだ……見えたんだろ」

黙って小さく頷くスコーピオ。
身体の脇に下げられた拳が、強く握られて震えている。

「いいから聞けよ、スコーピオ」

椅子を盾にしたまま、バリィは続けた。

「俺みたいに読めない相手とか、読んでも無駄な相手とか。親父を護りながら生きていきたいなら、喧嘩の仕方も考えなきゃならないぞ」

返事はない。
力強く睨んでくる黒い瞳は不信感で一杯だ。

「これはチャンスだと思えよ、スコーピオ」

闘うと輝くバリィの瞳が、スコーピオを見据える。

「俺から技を盗んで、俺を倒せばいい」
「そんなの」
「卑怯なんて言うなよな」

煽るように上から目線で笑うバリィ。

「おまえの闘い方の、どこが正々堂々なんだよ」

奥歯を噛みしめる音が、こちらにまで聞こえてきそうだった。
そうしなきゃ、生きていけない。
卑怯、冷酷、何と言われても笑えるくらいでないと、自分以外の誰かを護りながら月で生きていくなんて、絶対に不可能だ。

「口惜しさは力になる。俺を恨めよ、スコーピオ」
「……くそっ」

やり場のない感情を、スコーピオは壁にぶつけた。
こんな狭い店内で暴れて、父の仕事を邪魔することは出来ない。

「表、出ろ」

言い捨てて、スコーピオは先になって外へと出て行った。

「上手く言えねえなあ」

首を傾げながら、笑顔のバリィが出て行く。
見送ったオウルは、ゆったり流れる自分の時間に戻ると、薬の仕込みを始めた。
外からは、元気よく打ち合う音と言い合う声がしばらく聞こえていた。

――――――――――

「バリィじゃねえか」
「生きてたのかよ」

どこかで聞いたような声で呼ばれた。
バリィは『オウルさん』のおつかいの帰りだった。

「見つかっちまったか」

地面に呟いて振り返る。
チャン・ランの縄張りは気持ち避けて歩いていたが、接触は想定内だった。

「ええと、誰さんでしたっけね」

明るい笑顔で挨拶を返すバリィ。

「忘れたのかよ」
「相当酷くやられたんだな」

小屋に残された嘔吐物が、バリィから出たと思われているらしい。

「あのくそガキ」

まあ、それでもいいか。
バリィは黙っていた。

「何で帰ってこないんだ」
「ガキ一匹逃がしたからって、チャン・ランさんは怒んねえよ」

似てはいるが別種族の大型外星人を見上げながら、バリィは笑顔のまま言った。

「俺、戻りませんよ。新しい雇い主を見つけたんで」

相手の顔つきが急変する。

「何言ってんだ、おまえ」
「簡単に抜けられると思うなよ」

攻撃範囲を測るバリィが一歩後ろに退いた。

「ちょうどいい」

誰に言ったのか、バリィは声を張る。

「実戦だ。見ていろよ」
「は。何言って」

下がった位置から踏み込む両足には倍の速さと重さがかかる。
とはいえ、体格差のある相手だから、全体重を載せても、転がすにはまだ少し足りないだろう。

「先ずは、脇腹の急所」

バリィの瞳が嬉しそうに輝いていた。
真っ直ぐ、正確に突き出された拳は相手の肋骨を掠めて、その奥で守られているはずの柔らかな臓器にめり込んだ。

「これで頭に届く」

言った通り、躱す間もなく、チャン・ランの手下は唸りながら両手で腹部を抑えると、吐き気を堪えるように下を向いた。

「進化の過程で二足歩行になった俺達は、大切な器官を頭部に集めた」

耳、目と目の間、喉、練習用の無機物を打っているみたいに、バリィの拳は恐ろしい的中率で相手を捉えていく。

「あれ、もう終わりかよ」

次の講義をする前に、一体目が地面に倒れた。

「バリィ、てめえ、裏切り者!」

ようやく戦闘開始に気付いた残党が、同時に襲いかかってきた。

「敵が複数でも、やることは一緒だ」

バリィは相手の攻撃を避けて、素早く後退する。
楽しくて仕方ない、といった口調で、喋りながら相手を翻弄した。

「本当は一体ずつ確実に仕留めたいけど」

同じような大きさ、身体能力。
バリィの縦に細い瞳が、ぎゅっと収縮した。

「これは、応用編な」

一体の喉元を跳び蹴りで狙い打ち、そのまま勢いを殺すことなく反対側の一体の首を、後ろから踵で打つ。
跳躍してもバリィの体幹は安定していた。
着地と同時に次に備えたが、襲い掛かるものはいない。

「なんだよ、もう起きてこないのか。物足りないな」

戦闘の緊張感を解すようにその場で軽く跳躍するバリィが、背後の気配に振り向いた。
隠れていたスコーピオが、無言で立っている。

「参考になったかい」

無邪気な笑顔で、バリィが訊いた。

「凄いけど、俺には無理だ」

小さな声が返ってきた。

「そうかなあ」
「俺は、あんたみたいに跳べない」

拗ねた唇が尖っている。

「だから、応用編って言っただろ」

軽い拳がスコーピオの肩を撫でた。

「おまえは跳ばなくていいんだよ」
「今の技、全部跳んでたじゃないか」

口惜しさを隠そうともせずに、スコーピオはバリィを睨みつけた。

「どこを参考にしろってんだよ」

拗ねた態度のまま、スコーピオは先になって帰り道を歩き出す。

「だからさ、跳ばない場合はこうやって」

後を追うバリィが、手のひらをスコーピオの頭に載せる。
流れてきた映像に、スコーピオが驚いた。

「何で」

自分で掴んでもいないのに、相手の心が読めた。

「やっぱり、知らなかったのか」

可笑しそうに笑うバリィ。

「おまえ、宝の持ち腐れだな!」
「なに、それ」
「もったいない、って言ったんだよ!」



裏町で生きるには聡明な頭脳。
屈託のない笑い声。

「オウルさん。仕入れの品はこれで全部です」
「ああ。ありがとうバリィ」

自信に満ちた歩き方。
真っ直ぐに向けられる目の力。

「オウルさん。これ、お土産です」
「ありがとう。いただくよ」
「こっちは、スコーピオの分な」

バリィは小型の外星人なのに、とても強かった。
あれから何度か、チャン・ランの手下が難癖をつけて襲ってきたが、総て返り討ちにした。
『裏切り者バリィ』などという不名誉な通り名が付けられたが、本人は気にも留めなかった。

「裏切られた、って感じたってことは」

バリィはごくたまに、酒を呑んだ。

「それだけそいつに期待されてた、ってことなんだよ」

あまり強い方ではないようで、直ぐに突っ伏してしまうが。

「自信持っていいんだよな、俺」

スコーピオは黙ってそんな彼の傍にいた。
オウル以外に懐いた、最初の外星人だったのかもしれない。

――――――――――

「オウルさん!大変だよ!」

土竜のコルドが駆け込んできたあの日。
スコーピオは酒屋の手伝いを終えて、担げるようになった樽の話をオウルに聞かせていた。

「先ずは落ち着きなさい、コルド」

嫌な予感がスコーピオの胸を覆い尽くす。

「バリィが」

その瞬間、スコーピオはコルドの手首を掴んでいた。
親しくなった友人にはやらない行為だった。

「痛いよ、スコーピオ」

驚きと恐怖で身体を強張らせたコルドは、小さな頭痛に顔も歪める。

「ごめん。でも」

呟くように言い残して、スコーピオは走り出した。
見えたのは、知らない場所ではなかった。
でも、そこから連れ去られていたら、バリィには二度と会えない気がした。

「スコーピオ」

全力で走る彼の隣に、並ぶ白い毛皮。

「ラッキー」
「どうしたんだよ」

異常事態を感じたのか、ラッキーにいつもの笑顔はない。

「バリィが攫われた」

口にしたとたん、泣きたくなって、スコーピオは唇を噛みしめる。

「ええ。あの強い兄ちゃんだよな」

信じられないと言って呆けたラッキーの表情が、付け足した単語で引き締まった。

「相手はチャン・ランだ」
「ヤバイな」

呟いたラッキーが訊く。

「場所は分かるのか」
「ギザ。フウの縄張り辺り」
「わかった」

四足走行になるラッキーが加速して、スコーピオとは別の方向へ逸れた。

「俺、仲間集めて行くから!」

白い弾丸が声だけを残す。
腕で目元を擦って、スコーピオは前を向いた。



こんなに本気で、走ったことはない。

「バリィ!」

その場所に到着しても、スコーピオの膝は腹が立つほど震えて、使い物にならなかった。

「どこだよ、バリィ!」

声変わりが始まった、スコーピオの掠れた声が、廃れた穴だらけの建物に吸い込まれる。
神経を尖らせた聴覚に反応するのは、瓦礫の隙間を吹きぬける風の音だけだ。
当てもなく歩くスコーピオが、崩れた廃墟の影を回って、足元に転がる何かに気付いた。

「こいつ。フウの手下……」

目を上げると、同じように意識や生命のない生き物が、点々と道に転がっている。
足跡を辿るように、スコーピオはそいつらを踏み越えて進んだ。

「くっそ、強過ぎる!」
「何で倒れないんだ、こいつ!」

瓦礫の向こうから、聞き慣れた格闘の音が、怒鳴り声と一緒に耳に届いた。

「いた」

焦る気持ちを寸前で自制して、スコーピオは手近な瓦礫によじ登ると上からそっと下を覗う。

「バリィ、だよな」

大勢に囲まれた中心で、たった独り、全身の毛を逆立てて闘う虎型の外星人が、一瞬燃えているように見えた。
紅く見えたのは返り血なのか、噴きあがる闘志なのか。

「フウさん。もう無理です!」
「こっちが全滅しちまいますよ!」

フウは、バリィと同郷星人、のはずだった。

「何だよ、だらしねえな」

一旗上げようと夢を抱えて一緒に月に来て、仲良く頑張ってきた同志じゃなかったのか。

「もう少し弱らせて欲しかったんだけどな」

胸の前で構える、バリィの拳が震えていた。

「ようやく、大将のご登場か」

肩で息をするバリィなんて、初めて見る。
スコーピオは伏せた姿勢のまま、次の行動を考える余裕をなくしていた。

「悪いな、バリィ。もう死んでくれ」

薄い笑いを浮かべるフウはきれいな服装のまま、消耗しきったバリィと向き合う。

「あんたは、チャン・ランさんを本気で怒らせちまった」

輝きを失わないバリィの瞳が、真っ直ぐフウを見据えた。

「あいつの為に月へ来たわけじゃないだろう、俺達は」

応えないフウが懐から何かを取り出すのが、上からは見えた。

「バリィ!避けろ!」

思わず叫んだスコーピオ。
思いがけない方向からの声に、その場にいる全員が息を止め、次の瞬間、恐慌状態になった。
その隙を逃さない者が数体。
素早く身を沈めたバリィの前で、仁王立ちのフウが叫ぶ。

「動くな!」

この星では輸入から使用まで一切が禁止されている、鉄製の武器と鉛の玉。
武器が狙う先は、天井を向いていた。

「舎弟が死ぬぞ、バリィ」

無機質な細長い筒の先が、殺意を持ってスコーピオを狙っていた。

「何だ、あれ」

禁止物品だ、あれが何か、解るわけがない。
半分逃げる体勢で、腰を浮かせたスコーピオが躊躇った。

「待て。撃つな」

バリィの焦った声に、あの小さな物が武器なのだと知るスコーピオ。
投石のように、遠くが狙えるらしい。

「それは、おまえの態度次第だよ、バリィ」

勝ち誇った笑顔を怒りに変えて、フウは周囲で騒ぎ立てる仲間達を叱った。

「落ち着けクズ共!」

徐々に落ち着きを取り戻す手下達。
フウは更に怒鳴った。

「ガキが上から騒いだだけだ、誰か登って連れて来い」

数体が動いた。
スコーピオも立ち上がる。

「駄目だスコーピオ、伏せてろ!」

叫んで動いたバリィの背中から、鮮血が噴き出した。
何か音は、しただろうか。

「じっとしてろ、ガキ!」
「捕まえろ!」

瓦礫が落ちていく振動。
建物は脆く、少しの衝撃でぼろぼろと崩れる。
大型外星人の体重では、掴んだだけで壁が壊れた。

「フウさん、無理です!」
「登れません!」

銃口を下げて苛々と吐き捨てるフウ。

「使えねえな、ほんとのクズかよ!俺はいつだって無理しか言ってねえよ!」

逸らした意識が戻るまでの数秒。
突然、フウの膝から力が抜けて、彼はその場にひっくり返った。
バリィの咆哮が、周囲を圧倒する。

「見てろ、スコーピオ!おまえを護る、これが俺の最期の闘いだ!」

背中から腹へ、貫通した傷口は、バリィの血液を生命ごと垂れ流していく。
瓦礫に掴まる大型外星人の腕を掴み、バリィは力任せに引き戻すと、その顎に的確な拳を喰らわせる。
脳と視点を揺らして、次々と、後ろへ倒れるフウの手下達。


誰も、登らせない。
誰にも、スコーピオは渡さない。
……死んでも、護る。


スコーピオは、見ていた。
喉の奥が熱かった。
嗚咽を堪えると、目の前が濡れて歪んだ。
涙を拭うと、身体が勝手に震えた。

「そこまでだ!」
「全員、その場に伏せなさい!」

凛々しい声は、きれいな母星語だった。
戦場で使うにしては美しく磨き上げられたサーベルを引き抜いて、その青年は厳しく、よく通る声で宣言した。

「降伏の意思なき者は斬り捨てます」
「あいつは」

いつだったか、地下列車の中で助けられた。

『母星防衛庁・惑星監視警備隊・月支部』

「警備隊!」
「逃げろ!」

散り散りに逃げ惑うごろつき共は追わずに、警備隊員達は、地面に伏せた外星人の身体から武器を取り上げ、怪我人の状態を確認した。

「手当てを、お願いします」

あの青年は、剣を腰の鞘に戻すと手を挙げて誰かを呼んだ。
『クラル』という文字と絵が大きく描かれた、違う色の制服を着た数人が、簡単な医療品を持って駆け寄る。

雄々しく、勇敢に。
正義と平等を胸に。

「スコーピオ!」

警備隊員の後ろから、白い尻尾が走り抜けて、こちらを見上げ、大きく手を振った。

「ラッキー!」

親友の登場に、肩の力が抜ける。
瓦礫を崩しながら建物を駆け下り、スコーピオはあの警備隊員とほぼ同時にバリィの元へ走り寄った。

「これは、弾丸の痕じゃないか」
「だんがん……」

聞きなれない単語を口の中で転がしながら、スコーピオは目を閉じたままのバリィを呼んだ。

「バリィ。ありがと……俺は、生きてるよ」

延ばした手が、震えながらバリィの毛皮を撫でる。

「生きてるよ。バリィ、あんたのお陰だ」

うずくまるスコーピオの後ろで、立ったままの青年が、バリィを診る『クラル』の隊員と目を合わせた。
黙って静かに、隊員の首は否定の方向に振られる。
見つめる先のスコーピオが、背中を丸めて、小さくなっていく。

「バリィ……バリィ。大好きだ」

生まれたばかりの赤ん坊のように、スコーピオは大声で泣いた。
どんどん冷たくなっていく、身体の奥に逃げていく温もりを追うように、スコーピオは強く、強く彼にしがみつく。
立ったままのラッキーが、声を出さずに泣いていた。







楽しそうに笑うバリィ。
最期まで失われなかった、輝く瞳。
闘うときに輝くその瞳を受け継いで、スコーピオはまた、強くなる。



<END>

(c)Yoshie Sato 2018.

後書き

この作品は2006年に書籍化したSF[ANOTHER WORLD]の外伝になります。
※設定、固有名詞など、物語は作者の財産です。

この小説について

タイトル ANOTHER WORLD 〜外伝〜
初版 2018年3月16日
改訂 2018年3月16日
小説ID 5007
閲覧数 173
合計★ 0
アクアビットの写真
ぬし
作家名 ★アクアビット
作家ID 666
投稿数 30
★の数 67
活動度 7999
アクアビットの小説は『PCにて見開き表示』が読みやすいかと。お試しあれ〜

コメント (1)

clibin009 コメントのみ 2018年6月22日 16時33分04秒
(このコメントは作者によって削除されました)
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